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ある大きな木の話(その一)

「震災の後の記録」V

 震災の只中とその後の三週間ほどの暮らしのなかで去来した思いは、澄んだもの、濁ったもの、忘れたいこと、憶えていたいこと、まことにさまざまです。そしてまだ渦中にあるという気持ちが、余震のあるなしとは関わりなく、なかなか抜けないため、振り返ってそれらを文章に綴るにはすこし時が経つことを必要としそうです。
 それでも、壊れた食器棚を新しいものに替え、子供たちの転校の手続きが済み、妻との久びさのちょっとした口論などがあり、日常らしきもののかたちが見えてきた今日、忘れられない、そして澄んだ思いで胸が満たされたことについて、一つだけ記しておきたいと思いました。
 傾いた家の片づけに西原村に何度も通っているあるとき、私たちの家を含め、五軒もの家の敷地を南北に走っていった大きな地割れが、私たちの家の母屋を躱(かわ)すようにして弧を描いて進んでいることに気が付きました。不思議に思い、庭の端の方まで地割れに沿って歩いてみました。地面はうねり、ひび割れていましたが、にもかかわらず木々は若々しい枝を空に向かって伸ばしています(写真は昨春のものです)。世話をする私が離れたために、草は伸び、枝を透かしてやれないために影が濃くなった庭を久しぶりにしげしげと観察すると、モミジとヒメシャラの間を進んで家に襲いかかろうとする地割れがS字に曲がって、エゴとケヤキの切り株の間を通って家の東側へと逃げて隣家へ進んで行っています。
 この光景の理由に気付いたとき、深い感慨と感謝の念を抱かずにはおれませんでした。昨秋に惜しみつつ伐採したケヤキの根が通せん坊をして家を、そしてその中に眠っていた私たちと、思い出深いものたちの多くを、護っていてくれたのでした。
 かなり深いところでは地割れは家の真下をも通過しているのかもしれません。しかし、ケヤキの根は縦にも深く伸びるので、高さ10mを超えていた木の根は相応の深さまで拡がっているはずです。いずれにせよ地表に近い方の層にて、ケヤキは地割れの勢いを受け止めて、切り株だけを地面から覗かせながら、刃物を当てた当の私とその家族を護ってくれていたのでした。
 ケヤキは欅と書きますが、その名の由来は、一説に「けやけき」(著しい、際立った、華々しい)木であるから、と言われています。偉丈夫のごとく隆々と聳え、心地好い日陰や、箒を逆さにしたような大らかな姿でずっと心を和ませてくれた大木でしたから、切り出した丸太から炉を囲む腰掛けを三つ取り、伐採に加勢して下さった方にはたっぷりと薪として差し上げ、素性のよい枝は剣や杖に見立てて我が家の少年たちも遊び道具にしていました。伐採してからも私たちとの縁は続いていたのです。そして、そうすることが自然に思われました。切り株に庭仕事の合間に腰掛けると、まだしばらくは活動を続けているだろう根からの温かみが腰に上ってくるようでした。
 三週間ほど前に自然は過酷な面を私たちに見せましたが、自然を恨む気持ちは私にはいっさい生まれませんでした。むしろ、大地と私たちの間にある人工物が一瞬取り除かれ、私の閉じた意識が地表からもっと深い方へと、裸の生き物としての真実に近い方へと殻を破られて、生命を喪う恐怖と同時に、自分を生かしめてきた大きなものと繋がるようなふしぎな安堵や、本質からは少し逸れたものを取り除かれて空っぽになった清々しさすら覚えていました。震災は私たちの生活を一変させましたが、それは少なくとも私個人にとって、単なる「逆境」や「悲しいできごと」だけではなかったのです。
 しかし、この発見はいわゆる山川草木としての自然との繋がりだけを私に想起したのではありませんでした。この木を植えたきっかけについて、もう少し話しがありますが、すでに長くなりましたのでそれについてはまたの機会に。

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