記憶と記録に関するメモ [メモリアルマッスル]
自己観察による記憶に関する気づきを書く
数年ぶりに地元に帰った。
目的は全く別にあったのだけど、撮った写真をみていると、完全に忘れ去っていた記憶がいくつか蘇る
正確には忘れていたというより、かなり奥底に閉まっていたというのが正しいだろうか
ここで記憶に関して考察してみる
記憶というのが身体的なものとして仮定する
ここ一年ボクシングを通して、身体に関して知った事の中で、
反復による学習と強化
という特徴は記憶にも当てはまるのかもしれない。
つまり、記憶、海馬に接続する神経系も筋肉のような特徴をもつのではないかと思う。
というより、海馬につなぐ回数が多いものを記録していく身体の特徴を学習と呼ぶのかもしれない
なんにせよわかりにくいので、これをメモリアルマッスルと呼ぶ
メモリアルマッスルを鍛える方法(暫定)
記憶と同じ土地にいく、同じ人に合う
同じにおい、同じ音、同じ景色(録音、写真等の感覚の代用で)の刺激を受ける
そもそもの五感とか記憶関連は曖昧な部分が多々あるので、上記は実践できることだけ。
長々書いたけど
再会した分だけ、思い出は強くなるって当たり前かもしれんこと
メモ
写真と思い出した記憶
母の実家から向本折神社かお諏訪さんに行くまでの道
死んだ祖父の不動産事務所前の道路は
車通りが多いからあまり歩くなと言われる
玄関先にいとこが採ってきた虫の水槽がまた増えた
カブトムシの入った水槽は空っぽになって
茶色い汚れで中はみえん
代わりに一回り小さなやつは
鈴虫やバッタ系のなんかがガサガサいってる
家の横、コンクリートブロックが雑に埋まった階段を飛び降りて、裏の通り
5歳まで育った、青色トタンの半地下アパート
ビニールハウスの並ぶ道
隣の空き地の横、カズマにいちゃんの家
2階でギターの練習をしてるのが見えたくらいで、引っ越した後からずっと話せていない
まだ、昼間は暑くて、コンクリートの長い道のりはずっとつづく
逸れた分だけ辿れる思い出もあるけど
道沿いの大きな墓場がなかなか終わんくて
怖くて走り抜けた先
ひらけた原っぱにでて、ずっと向こうの市民病院
学校に行きたくなくて、5日ぐらい風邪っていいはってたら
漫画みたいなサイズの注射打たれたんやっけ
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