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祈りが何かしらない

ミニストップ前で休憩していたら
黄緑色のランボルギーニが目の前の交差点を爆音で通り過ぎた。
ああいう車に乗るのはどんな人なんだろうと目で追うと
近くの大きな寺に入っていった。

本堂らしき建物に近づくと
実家の法事で聞くのよりハイテンポでバイブスも高いお経が聞こえる。
さすが渋谷の寺やなと思い
好奇心から中に入り音の方を辿った。

人はまばらで
皆膝の上で拳を叩いてリズムをとって
何かつぶやく。
何もしないと浮きそうだったので
同じリズムで膝を叩いてみた。

少し気恥ずかしさがあるけど
ぽくぽく絶え間なくなる木魚のリズムに合わせると
確かに場所と同化した。
特に何も考えず続けると、どうかなるかもわかんない。

帰る時に見たことないデザインのヴイトンを着た男性が
目を見て「こんにちは」と言った。
多分ランボルギーニの持ち主やと思う。
勝手に入ったけど、特に咎められず
目が合う人はみんな向こうから会釈をして、あいさつを交わした。

ライブに行ったような感覚が楽しかったので
それからスナップの帰りにたまに寄るようになった。
いっても
本堂でそのお祈りを眺める以外には何もせず
時間もうろ覚えで
立ち寄るだけの日が多かった。
何もない日の静かさが好きだった。

その日
特に熱心に膝を叩く男性がいた。
席を立った彼について行き、
尋ねた

- 熱心になさってたお祈り、あれって何してるんですか

お勤行のことですかと、あの行為について詳しく話してくれた。
「ここでは自分のためではなく、他の誰かや世の中のために祈ります。」
彼はケンイチさんといった。

初めて来てから気づけば2年ほど経ったが
特に信仰心が芽生えたわけではなかった。
実家の宗派も気にしたことがない。
形だけ参加の法事とか
勝手に占われる占いとか
ハルマゲドン計画とかのおかげで
祈れば手が塞がるって言葉の方がまだ信じられるし
祈りが何かしらない。

でも、その日はそんなふうに
ずっと考えてこなかったことを知りたかった。

じゃあ何を祈ったんですか

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