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内藤さん探し

荻窪駅から環八を世田谷方面へ、
大きな煙突がいやでも目に付く、高井戸駅前。
内藤さんを探すことにした。

まず訪ねたのは、内藤商店。
…内藤さんが撮った写真を探しているのですが
「うちは違うよ、本家の内藤なら、あっちのゴルフ場経営してる家か、栗農園の家じゃないか」

新たに得た内藤情報から町を歩く。


「うちにはないみたいです。」
栗農園の内藤さんは違った、ちなみに栗は近所でかなりの人気商品らしい

「あいにく内藤は不在でして」
言伝を残しってもらった、ゴルフ場の内藤さんからはいまだ連絡はない。

さらに新しい内藤さんは見つかっていく
「うちはその内藤ではないの」
「あっちの内藤なら」
日毎に住宅地の奥へ向かった
この地域はあんな大きな道路に面していると思えないくらい、農業が盛んな事を知った。
「この花は日本でここしか咲いてないんだ」
そう誇らしげに言った彼も内藤さんだったかもしれない。


ある、ひらけた農園についた
何か知らないかと、声をかけようとしたら
「この前、取材に来た人かい」
逆に声をかけられた
…いえ、初めてです。けど伺いたいことがあって、この辺で内藤さんってご存知ないですか。
「あん?俺も内藤だよ」


内藤さんは話好きだった。
「この裏の道でかい囲いの豪邸は、xxの会長んとこだ、金融屋だからな、春になると若手教育するどなり声が聞こえる。夏になると庭のデカいプールにねーちゃん呼んで全裸で騒いでるって話だ、葬式の時にはそこの道にまで車の列ができて…」
止まらない話の合間に写真の事を聞いた、
「ちょっと待ってな」
そう言って家の方に行こうとするも
「そう言えばな、清掃工場建設時はそりゃこの辺り皆で…」
足は止まり、話が止まらない。
結局、その内藤さんの家にも写真はないんじゃないかという事だった。


集まった情報から、内藤さんは写真機一つで家が建つくらい高価な時代の人物だとわかった。ならもう内藤さんはいいかな
内藤さん探しをここで終わりにした。


しばらく経って、内藤さんを忘れた頃
古い写真に杉並区役所蔵と書いてあるのをみかけた。
これで最後にと区役所へ問い合わせると、それを含めた昔の写真を見せてもらえるそうだった。

都電が走るまっさらな街並み、清掃工場建設反対運動、和解条項の象徴としてあの区民センターがある事、僕が探している写真はやっぱりない、けどその中で印象に残った五日市街道の杉並木。

昔そこいらは杉並木がずっと続いて、皇太子殿下へ端午の節句の式典用に献上されるくらいの上質な杉材だったんだ。
それを遺した名前こそが杉並区って農家の内藤さんが言ってたっけ
未だ風に吹かれ揺れているような風景の裏側に、内藤庄右衛門と記してあった。


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