見出し画像

井戸の中のキツネとヤギ

 ある村の近くに一匹のキツネが住んでいました。ある日、キツネは事故で井戸の底に落っこちてしまいました。キツネはあの手この手で登ろうとしましたが、井戸は深くどうしても登ることができません。やむを得ず寒く暗い井戸の底でじっとしていたところ、一匹のヤギがやってきました。ヤギは喉が渇いていて、水を飲みにきたのです。井戸の中にいるキツネを見つけて、ヤギは声をかけました。

「おうい、そこの水は美味いか」

 キツネはとびきり元気に答えました。

「美味いなんてもんじゃあない! まさに神の与えたもう水だ! 水というよりジュースだ、酒だ。おまえさんも飲みに来るといいぞ」

 それを聞いたヤギは自分も美味しい水を飲みたい一心で、後先考えず井戸の中に飛び降りました。ひとしきり井戸の水を飲んで喉の渇きを潤した後、ヤギはどうやって地上に戻るべきか考えましたが、いくら頭をひねっても思いつきません。困ったヤギは、キツネに聞きました。

「ここからどうやって出れば良いだろう」
「簡単さ。君がその前足とツノを壁にもたせかけてくれ。そうしたらまずおれが君の背中を伝って上に登る。そしておれが君を引っ張りあげる。どうだ、単純な話じゃないか」

 ヤギはキツネの提案を聞いて、なるほどそうしようと言い、言われた通りに前足とツノを壁にもたせかけました。キツネはヤギの背中を上り地上に出ると、うんとひとつ伸びをしたのち、ヤギに向かって「さよなら」と言いました。ヤギは驚いて大きな声を出しました。

「待ってくれ、約束が違うじゃないか。おれを引っ張りあげてくれ。でないとおれはここからずっと出られなくなってしまう」

 それを聞いたキツネは言いました。

「あわれなヤギ君よ、君にもしそのあごのヒゲほどの思慮深さがあったなら、上り方を考えるまでは降りなかったろうに。」

 キツネはそのままどこかに行ってしまったようでした。困ってしまったヤギは、それからしばらく寒く暗い井戸の底にいなければなりませんでした。そのうちに友達の鳥たちがやってきて助けてもらい、やっと地上に戻ることができました。

 この一件でヤギはたいへん反省し、仲間たちにこの出来事を話して「考えなしに目の前のごちそうに飛びついてはいけない」と説いて回りました。

「井戸の中の狐と山羊」(中務哲郎(訳)(1999).『イソップ寓話集』岩波文庫 )

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?