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未来小説 いのちの始まり

いのちの始まり      

              今秦楽子作


彼の船に乗って、
わたしは無人島を目指していた。

彼はこの海を熟知した頼れる存在だ。
彼は若々しく小麦色の隆起した胸板は
生き様を語っている。

一枚だけまとった大判のストールを
海風になびかせ、
携えたハープが海風で奏する感触を
わたしは確かめた。

「もうすぐだよ」

目の前にこんもりした森が見える。
その足元はゴツゴツした岩場と砂浜が
続いている。

……もうすぐ。

心の中でつぶやいた。
この島に来るための経験を振り返る。
あの日。あの時。
自然から愉悦を感じたこと。

それは長野県を旅していた時のこと。
不思議な体験だった。

わたしは衝動に駆られた。
稲光りの閃光のなか、
乾いていた道がだんだんと湿気を含み、
土に沁み込まなかった水たちが
自然と流れになったのを見て。

……そこに素足で身を置きたい。

身体が直感的に欲した。
素足で感じたドロの感触は
あまりにも心地よく、
天からの雨みずを身体いっぱいで
うけた触りに愛を感じる。
匂い、音、情景、ありとあらゆる感覚は
大地と天を感じさせる。

そんな自然界から
わたしは悩んだり苦しんだりしていた思考を
全く止めていた。
ただ無心に自然たちに身を寄せていた。
目の前の自然の一部になっただけで、
大地と天と一体だと感じた体験は、
愉悦そのものだった。

自然の包容力に身を委ね、ひらめいていた。
そんな不思議な体験。

わたしはその旅を経てから目覚め、
ハープとの関わり方を変えた。
以前はハーピストとして音の楽しみ方を
教えていたけれど、
ひらめきを得てからはハープで音霊を
創り出すことに使命を感じるようになった。
突き詰めると音霊をとおして

「お空の赤ちゃんを、
ご両親につなげるお仕事」 

それがわたしの新しいスタイルになった。

ただ音霊を創るだけでなく
ロケーションも重要視している。
そこには美しい自然たちが重要だった。
それを前にした男と女は
ただのニンゲンとして存在するだけ。
命の循環をとおして自然の営みを行う、
まぐわいを行う。

それはあたりまで尊く神聖なるもの。
そしてそうした中で育まれた「いのち」は
純粋で無垢で、
けがされた自然界を救う役割を持っている、
地球を復元する「いのち」たちなのだと
悟ったから。それがわたしの使命。


旅の中で出会ったこの無人島こそが
神聖なる場所なのだと
目の前に広がる地に思いを馳せた。

彼に手を引かれ浜に降り立つ。
自然あふれるこの島は
ひとの手が入っていないにも関わらず、
なぜかそこにある森は整然としていた。

樹々が風の音を奏で、
鳥たちがそれに声を合わせる。
夏に向かう、蒼々とした樹々たちは
きのう降った雨で湿り気を帯びていた。
つんと刺す爽やかでスパイシーな香りは
心を穏やかに包み込む。

「ゆっくり呼吸してごらん」

「うん」

彼の言葉に目をつむり、
オリエンタルな香りを胸のありとあらゆる
細胞に送り込んだ。
むかし親に抱き抱えられていた安心感。
そんな居心地だった。

この島に降り立ってから感じる感覚は、
安心であり安全であり、こころを許せる、
そんな感覚だった。
わたしと彼は充分に身体をゆるませ
自然たちに委ねていた。

砂浜へ腰かける。ハープを奏する。
その音色は、優しくまごころを持って
彼に語りかけた。 

「君の音霊を聴いていると、
胎内の記憶なのかな、思い出してくるよ」

奏で続ける。
彼は言葉を心に沈めて、
まるで母親の子宮に入る時のような
安堵の表情で目をつむっている。

音霊が彼の「いのち」に沁み込んで
「いのち」同士の反応を
確かめ合っているようだった。
魂がまぐわうための音霊たちは波音とともに
わたしにも彼にも入り込んでいった。

 しばらく音霊の余韻を惜しみながら
恍惚感に包まれたふたりは、
寄せて返す波音の「ゆらぎ」のリズムと
呼吸のリズムがおのずと重なってゆくのを
感じていた。
彼がそっと手を重ねる。
温もりを分かち合うように、存在を
分かち合うように掌の感触を研ぎ澄ませる。

理解を深めるふたりの目の前には
「あお」の世界が広がっていた。
輝く海の碧と空の青、水平線には
グラデーションのハイライトだけが
境界を示している。
雲ひとつない「あお」の世界に生成色の砂浜
は波の通った跡だけが濃く映っていた。

彼の肩に頬をうずめ、
聴覚から入る波の「ゆらぎ」と、
肌から感じる彼の鼓動を合わせて感じる。
そのリズムがピタっと合わさった時、
彼の額にわたしの額が、
彼の視線とわたしの視線が、
スッと重なった。

自然と呼吸が合い、「いのち」を感じあう。
唇が重なる、まごころを確かめ合うように。
内から溢れる愛の交換がはじめて成立する。
もうそこに言葉は必要なかった。
まっすぐに歩み出し浅瀬に素足を浸す。
そんなに冷たくもない海に
ふたりは溶けていった。

「顎を空に向けてみて」

背中に回った彼の腕に身をあずけてわたしは
この海の子となるべく、
そっと浮かんでいた。

首から回ったストールは結び目をなくし
正方形に浪に漂う。
海のリズムに合わせるように
浮かんだその布は、目に美しいパープルに
ピンクへのグラデーションを
なびかせていた。

濡れた布の端は海に溶けこんだ肌を撫で
心地の良い触りを残す。
そっと彼の方に目をやると服を脱ぎ捨てた
小麦色の肌が露わになっていた。
海と一体となりわたしは体を浮かせていた。

海に浸かった耳が
海中での浪の揺らぐ音を感じる。
眩しい太陽、隣で見守る彼。
肉体は重なり合う。
優しい抱擁を重ねては見つめ合う。

それは波が砂浜を拭うように自然と
自然に行われた。
額を重ねる。視線を重ねる。眉毛が重なる。
視線が重なる。
優しく愛おしむようにゆっくり、
ゆっくり確かめ合う儀式。
先人たちが昔から伝えてきた儀式。

わたしと彼と海が重なりあい、
相手に対する愛が内からあふれ出る時、
ふたりはエネルギーの融合と循環を感じる。
お互いが繋がり合いたいと感じ、
浪に揺られながら自然界とも一体となる。

ゆっくり、ゆったり、
自然界のリズムに合わせて。
ふたりの全身の筋が縮むのを感じながら
彼は「いのち」を送り出した。
そのまま、そのまま、交わったもの同士は
まだまだ海と一体となり、時を止めていた。

それからも子宮の中に浮かぶ胎児のように
ふたりは海と「いのち」を
ひとつにしていた。
それは天からのタイミングなのだろう。
浪が次第に高くなる。そんな合図だった。

水打ち際に
流木を集め火の世話をはじめる彼。

「寒くない?」

「この火の温もりと揺れる炎に
癒されてるわ」

日は傾き、空のグラデーションには
温かみの色が染まり始めていた。
目の前にある火の営みを眺めながら、
その奥で寄せて、返すを反復する波たちは
パチパチという音に重なる波音になった。

火の向こう側にある海と空が広がる。
地、水、火、風、空、全てのエレメントが
揃う時だった。
お互い手をつなぎ「いのち」を確かめ合う。
火を眺めてお互いを感じあう。

その時のふたりからは、愛が溢れ、
愛が共鳴してその世界は包まれた。
そしてその愛は地球を包み宇宙までにも
広がった。
その愛はわたしの胎内にひとつの「いのち」
を誕生させた。
この10年、ツキのものが来なかったけれど
この瞬間のためにわたしの身体は調っていた。


桜が咲き始めた日、
臨月を迎えていたわたしは、内なる海へ
語りかける。
「いのち」を宿したわたしはまた
「お空の赤ちゃんを、
ご両親につなげるお仕事」 として
彼とハープとともに無人島に降り立って。
親になりたいご夫婦をアテンドしている。

ひとつ、またひとつと「いのち」を
おろして。
その芽たちがいつか息吹いたころに
彼らが地球を復元するのをまぶたに写して、
わたしの音霊は今日も響く。 





                 (了)

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