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我田引水自画自賛

日本の古代史に興味の無い方には、意味不明だと思います。

だいたい、学校時代、日本史を習っても忌部なる氏族集団の話など出てきません。対抗馬である児屋根は中臣鎌足を出し、後の藤原に繋がり、北家・摂関家となり、明治大正昭和にまで至ります。近衛文麿は当時政界のプリンスとも呼ばれていたようです。

古事記によりますと、児屋根も日鷲も同格というか同列でした。危機感を抱いた斎部広成(いんべのひろなり、従四位下、九世紀頃の人)が、「古語拾遺」を著して、忌部の由来と役割を示し、復古しようと試みました。が、力関係は改善することなく今に至り、日本史の中(徳島県を除き)から忌部が忘れられることになります。

近年、反動に近い力学が働いたのか、これでもかと、阿波忌部を前面に押し出して、史実を曲げ、学問的検証も無いまま情に訴えて阿波忌部を燦然と輝かせようとする動きがありました。

このことが、ますます徳島噴飯説を盛り上げてしまったのは否め無い事実です。阿波古代史も大きなくくりでは、五つくらいの勢力に分かれると思うのですが、あまりに妄想的な方が多くいて、収集が付かない程になっています。よって、5チャンネルやYouTubeで噴飯だと揶揄されているのが現状です。

批判を仔細に見ると、似非科学・情での反論を排斥しても、「さもありなん」な批判も散見されます。

さて、現・徳島県博物館長の長谷川賢二先生が、三年程前に講演をした動画がアップされておりましたので、それを貼っておきます。阿波忌部に関する考察をされていて、とても興味深い内容となっています。参考になれば幸いです。

うぷ主は、財団法人・阿波和紙伝統産業会館だそうです。



※余談ですが、歴史の世界はどうしてこうも、非科学的な妄想が跋扈できるのでしょう。不思議な領域ですね。近年では、DSなどの話を持ち出せば、検証も無く陰謀論者で終わりです。全くもってよくわからん世界です。


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