践祚大嘗祭に麁服を調進する御殿人とは
更新を長い事さぼっていました。
体調不良にて9月には入院をしていましたが、スッキリ治っていなかったのか又熱が出ました。今回は、薬を飲みながら自宅で1週間ほど療養です。
表題にありますように、「御殿人」とは何者なのかというテーマで勉強をしています。以前に、このような記事を(践祚大嘗祭麁服調進における御殿人の読み)書きました。御殿人の読みは「みあらかんど」です。
御殿人を簡単に言うと、天皇即位式・践祚大嘗祭では、麁服(あらたえ)という大麻の布が必要になります。この布を太古より調進(請求があってはじめて献上すること)しているグループが阿波の国にいました。御衣御殿人(みぞみあらかんど)と云います。御衣人(みぞびと)は延喜式第七巻目践祚大嘗祭に阿波忌部の所作と書かれ、仔細事がわかります。麻の種を撒き、世話をして、収穫し糸に紬、布にします。そして11月に行われる、天皇陛下一生一大の大嘗祭に調進される運びとなります。
実は、この麁服調進というプロジェクトは、南北朝の頃から577年間途絶えていました。ところが、奇跡としかいいような無いことがつぎつぎ起り、現在のように正常な姿へと復活しました。
日本は古来より、霊力を信じ、大麻には霊が宿りやすいという信仰をしてきました。よって、神官が振る幣や、横綱が結ぶ綱、あるいは神宮のお札は全て麻でできています。ただし、大東亜戦争で負けた為、GHQによって麻を禁止され今に至っていますので、どこでも栽培して安価に入手できていた麻も今では許可栽培になり、希少の為価格も上がり、小さな神社では買えなくなりました。そこで、藁で注連縄を作ったり、和紙で幣を作ったりしています。横綱は、大相撲関係の財力で滞りなく大麻を利用できています。
大麻製の麁服は、かつては京都まで、掃き清めながら進んだそうです。これは927年時点の憲法細則文にきちんとうたわれています。
他にも徳島県からはいろんな由加物が調進されました。
三木家から麁服が調進していたことの証左として、中世古文書の存在は大きいです。どのような形で中央から依頼があったのかは、天皇陛下から大納言がこのように聞きましたからよろしくという形で下文が阿波の国に向けてあります。これを阿波の国司で文官が写し(コピー)を書き、三木家に送り、督促したのです。その案(写しのこと)が保存されていました。
上記は、文保二年の大嘗祭の折の督促です。よって、後醍醐天皇からの物だとわかります。左弁官下文が阿波の国あてに届きましたので、これをコピーして三木家に督促しています。
また、さらに、三木家に早く御殿人になるようにとの中央斎部からの下文もきています。
古文書は全部で48通ほどあり、その中でも特に官宣旨案については4通ほど保管されていました。この書により阿波の中世、山岳部の勢力がどのようになっていたのかも知ることができ貴重なものです。
年末には、徳島県立博物館の元館長であった、長谷川賢二先生に講演頂く企画も立てています。今から期待でワクワクしています。阿波の歴史は調べれば調べる程面白いですね。
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