巻きスカートは禁止です

 実は、学校の制服を着たことがない。
 中学校は近所の市立だったが、たまたま制服がなかった。特に変な格好の人はいなかったが、ピアスをしていても注意されないほどには自由だった。ちなみに、成績はすごくいいし、全く荒れていなかった。
 高校は伝統のある私立男子校で、自由が売りでもあった。ほとんど校則もなく、授業が終わるのも早い。ここも全く荒れていなかった。縛られないと、楽しいことがいっぱいあるのでわざわざ攻撃的にならないのかもしれない。また、ルールがないとルールに反抗することもできない。

 ただ、いくら自由でも限度というものがある。いちおう、染髪禁止ということにはなっていた。ただ、「地毛です」というだけでOKだったので、勇気さえあれば染められた。
 服装に関しても、明確な規定がないまでも時折警告された。最初に聞いたのは「短パン禁止」である。私は履いていなかったが、別にいいんじゃないの? とは思った。先生は「電車通学で足が冷えて、体調を崩すといけないから」と説明した。それは苦しい。そんなことを言ったら半袖もどうかということになるし、電車通学していない学生はいいことになってしまう。こちらも明確なルールではないので、譲らない人もいた。
 次に、「巻きスカート禁止」が言い渡された。説明しないと意味不明な人も多いだろう。当時ビジュアル系のバンドが流行っていて、格好をまねする生徒がいた。なかでもシャズナに影響を受けた者は、長い布を巻き付けたような「巻きスカート」で登校してくるのである。
 これは、体調を崩さない。それでも巻きスカートは禁止され続けた。理由は全く思い出せないので、とにかくダメと言われたのだと思う。

 最終的には黙認されるように、基本的には自由な校風だった。ただ気になったのは、それでも「先生は何かを禁止したがる」ということだった。短パンも巻きスカートも、勉強ができなくなったり、不良になったりするアイテムではない。一言でいえば、「目立つ」のである。だから私はこう考えた。「○○だから禁止する」のではなく、「禁止したいときに○○があった」なのだろう、と。
 昔から、他校には訳の分からない校則があるという話はよく聞いた。そもそも制服なし、校則ほぼなしで過ごした私には、「それが何につながるのか」と思うルールは多い。髪の長さだとか、靴下の色だとか、いったん「何でもあり」になってしまうと、わざわざ規定することの馬鹿らしさがよくわかる。それでも、そういうものはなくならない。
 おそらくそれは、ルールがあって、ルールを守らせる力があることこそが重要なのである。ルールは意味不明であればあるほど効果的である。なぜなら、それでも守るというのは明確な力関係があるからである。理不尽なことを強制的にさせるというのは、優越感や安心感をもたらす。ただ、単にさせたいことをさせる、というのはさすがに教育ではない。教育であるという体を保つためには、無理やりでも理由をつけなければならない。それが、「ふさわしい下着の色」などというばかばかしいところにたどり着くのだろう。

 自由な校風を完全に受け入れている先生にとっては、短パンも巻きスカートもどうでもいいようだった。しかしそんな学校においても、全く何もないことには耐えられない先生たちがいた、ということである。もちろん、自由だから何でもいい、とは言えない。さすがに海パンや甲冑だったら、強制的にやめさせても仕方ない、とは思う。短パンや巻きスカートは、ファッションとしてすでに成立しており、普通に自己責任で選択できるものなのである。
 ちなみに私が卒業した後、新しくできた学科は共学になり、制服が導入された。それを進めた先生たちのことも知っているので、「不安だったんだな」と思った。自由な校風においては、教師は自らの考えで限度を見極め、「いくら自由ではそこからはダメだ」と言ってあげることが必要になる。短パンや巻きスカートについて、本当に禁止すべきか、高校生にふさわしい格好とは何かを真剣に悩んだ先生もいたはずだ。制服にすれば、その悩みから解放される。そして、他の学校と悩みのレベルは同じになるのだ。

 私は制服を着たことがないので、制服のメリットデメリットはわからない。ただ、私服のデメリットを感じたことはない、というのは述べておかねば、と思う。「私服にすると短パンや巻きスカートにするやつがいる」と思う人には、デメリットがあることになるだろうけれど。
 制服はなくなるべきだとも思わないし、みんなで巻きスカートを履くべきだ、とも思わない。ただ、「反対するために反対する」人はどこにでもいて、それによって何かを奪われるのは残念だなあ、と思うのである。

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