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【小説】明日こそジンジャーティー 1

 平日の午前中。そこは私の安らぎの時間、だった。

 お客さんがいないのだ。人通りも少ない場所だし、元々夜しかやってないお店だったから。私が無理を言って、お昼にカフェを出来るようにしてもらったのだ。午後三時を過ぎると、人が来ることもある。常連さんはいなくて、迷い込んだように立ち寄る人たち。そんな感じ、だった。

 人がいないときには、ひたすら紅茶の研究をしている。おいしい淹れ方、新しいブレンド、美しい見せ方。私は誰よりも、紅茶が好きだ。だから誰も飲んでくれなくても、自分で飲み続けていれば幸せだった。

 ふらふらしていた私が名目上仕事を持っただけでも、父は嬉しそうだった。だから、私も安心だ。今のところ大赤字だけど、そのうちおいしい紅茶の噂が広まって、お客さんも増えるだろう。事実、ついに常連さんができたのだ!

 その人はいつも十時過ぎにやってくる。歩いて来るので近所の人だろう。見た感じ二十代後半、髪は少し長め、縁のない眼鏡をかけている。白系統のシャツを着ていることが多いが、ごくたまにスーツを着ていることもある。おしゃれには気を使っていなさそうだが、腕時計はどう見ても安物ではない。

 彼は無言のまま、一番奥の席に着く。鞄からノートパソコンを取り出し、起動させ、一分ぐらいしてからおもむろに「ホットコーヒーを」と言う。そう、この私にコーヒーを頼むのです!

 店の外の看板にも店内にも、「紅茶をどうぞ」と書いてあるし、メニューにも紅茶がいっぱい載っていて、申し訳程度にたった一行「ホットコーヒー」と書いてあるだけなのに。父が「喫茶店ならコーヒーだろう」と言ったのでいやいやメニューに付けくわえただけなのに。彼はさも当然というように、毎日まずいコーヒーを飲むのだ。しかもパソコンにくぎ付けになった彼は、コーヒーになかなか口を付けない。飲み終わってしまったら座る権利を失ってしまうとでも思っているのか。

 唯一の常連。それだけのはずなのだが、妙に気になる。妙だから気になるのだ。パソコンで何をしているのか。どこに住んでいるのか。そもそも仕事は何をしているのか。全てがよくわからない。

 外は雨。店の中には私と彼だけ。冷めたコーヒーと、私の前にはアップルティー。

「はい、はい……ちょっと待ってくださいね」

 彼は、携帯電話で誰かと話している。少しガラガラ声で、ゆっくりと喋る。

「あ、そこはですね……はい、銀捨てて……はい、金から、はい……それで……」

 パソコンを見ながら金だの銀だのと言っている。ひょっとしたら、何かの相場について相談しているのだろうか。毎日仕事していないように見えて、ここで取引とかをしていたのかもしれない。

「はい、はい。桂馬を打ったら角を2三から打って」

 <ケーマ>を売るというのは意味がわからないが、鉱物か何かだろう。しかし兄さんからの<核>というのは何かの隠語だろうか。そのままだとしたら話が壮大すぎる。

 その後もよくわからない話を、時には眉をひそめながら、時には笑いながら話している。とてもやばい仕事をしている顔には見えないし、ひょっとしたら趣味程度の話なのかもしれない。

 電話が終わったのか、再びパソコンに目を落とす彼。そのまなざしは真剣で、すこし、かっこいいかも、と思った。

「あの……」

「あ、はい」

「コーヒーをもう一杯」

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