見出し画像

『好き』かわからなくなった時は。

あなたの『好き』なモノやヒトはなんですか?

こちらでは、はじめまして!
お初のnoteへの投稿であります。
長文はもはやこっちの方が皆様に優しいのではないかと思い始めてみました!

さて、最初の質問「あなたの『好き』なモノやヒトはなんですか?」のあなたの答えはなんでしょうか?
まぁ、人それぞれあると思います。

私の『好き』は、『コーヒー』と『ヒト』と『映画』と『描く、つくること』です。
ありすぎてまとめられません...笑
どれもとても『好き』で優劣はつけ難いです。
余談ですが好きな映画は ジム・ジャームッシュ監督の「ストレンジャー ザン パラダイス」です。(どうしよもない主人公がそのまま終わる映画ですが、クズなりに楽しく生きてて、「ちきしょー、クズ最高だなおい!」と大学を中退したクズな私は、クズなりに楽しく生きるという素晴らしさを教わった映画)

私は幸せなことに『コーヒー』という好きなモノを仕事にすることができています。
でも好きなモノが常に自分の身の回りの近いところにあるとたまに『好き』という気持ちが迷子になることがあります。

そして必死になって『好き』を探し回ります。でも見つからない。いない!どこ行ったの!!?ってヤケになっているうちに『好き』が少し自分を苦しめてきます。そしてそれが続くうちに『嫌』になってきます。

『好き』なコーヒーを仕事で吐きそうになるほど飲むこともあります。「正直もう飲みたくない。」「美味しくしたいのになかなか上手くいかねぇ。」「それでも美味しいものを提供したい、けどなかなか難しい。」とかあーだこーだやってるいるうちに疲れてきて、そのうち本当に『好き』なのかわからなくなってきます。
こうなるともう迷子です。

迷子になったからってヤケになって探し回ると『好き』というのは余計に苦しめてきます。なんだかそんな気がします。

そして本当は『好き』なのに、その『好き』を周りの環境のせいにしたり、自身のエゴフィルターをかけて攻撃しはじめます。

こうなったら もうおしまいです。嫌いになっちゃいます。バッドエンドです。
あなたの答えが『ヒト』であった場合は最悪です。
周りの環境やエゴで『ヒト』を傷つけるなんてクズです人間やめましょう。

というのは流石に言いすぎです。あなたを傷つけましたね。本当にごめんなさい。
でも、よくないことですね。

だから本当はコーヒーが好きなのに、嫌いになりそうな時もありました。たぶん上手くいかない辛い現実を見るより嫌いと思った方が楽だから。

でも『嫌い』にはなりたくなかったので、私は向き合い方を変えたり、時には耐えたり、『好き』とのコミュニケーション方法を変えていろいろ試してみました。
すると、意外とうまくやり直せることがあったりします。そのパターンはラッキーですね!

でも、ダメな時ってあるじゃないですか?

そんな時はもうわからないですよね。
お手上げです。
では、どうしたらいいのか。

すでに頭が煮え繰り返りそうな方はここで小休憩です。


もう一つの『好き』が教えてくれたこと。


はい、というわけでおかえりなさい。
ここでカミングアウトすると、私実は今コーヒーを仕事にできておりません。

いやいや、嘘はよくないよと。はいその通りです。

私はコーヒーとのコミュニケーション方法を変えた結果、少し関係が修復しました。完全に嫌いになることはなさそうでした。
だから『好き』なコーヒーをさらに知りたいのでカフェカルチャーの盛んなオーストラリアへのワーキングホリデーを決意しました。

カミングアウトの内容に戻ります。

私はそのための準備でフィリピンに語学留学へ来ています。
その後オーストラリアでバリスタを始めるその間はコーヒーから離れています。
準備期間を含めると約半年『好き』なものから離れることになってます。

これが私自身の中でも大きな気づきになりました。

コーヒーを淹れることができないなんて、めっちゃ辛い日々です。実際涙が出ました。
『好き』から離れるとこんなにも絶望感を味わうのかと。


驚きました。


だって、こんなにも『コーヒー』が『好き』だとは思ってもいなかったから。

ソレを『好き』でいれること、その環境に身を置けていること。どれだけ幸せなことだったのか。
身をもって実感しました。

でもこれ、有名なあの『映画』が教えてくれてたんです。

その有名な映画とは宮崎駿監督のジブリ映画 「魔女の宅急便」です。
観たことのある方が多い映画でしょう。

実は登場キャラクターである、あの絵描きの女性(名前は忘れた)が語りかけてくれているんです。

観てない方にもわかりやすく伝わるようにまとめるとこんな感じです。

主人公である魔法使いのキキが、ひょんなことから魔法を使えなくなり、行き詰まって自信をなくしてしまいます。
そこで絵描きの女性がこう語りかけるのです。

「魔法も絵もにてるんだね。ワタシもよく描けなくなるよ。 そういう時はジタバタするしかないよ。描いて描いて描きまくる。」

いやいやいや、そしたら『好き』が『嫌い』になってまうねん。姉さん体育会系やなまじ。文系ちゃうんか。とか思わずツッコミをいれたくなります。
が、しかしこう言い続けました。

「それでもダメな時は描くのをやめる。散歩をしたり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうち急に描きたくなるんだよ。」と。

これ、『好き』にたいしても言えている。
もしあなたに恋人がいたり、好きな人、モノがあって『好き』が迷子になった時はまず探しに行く。
それでもダメなら『好き』から少し離れてみるんだ。すると愛おしく感じる瞬間がある。
その時に改めて『好き』と実感する。

すばらしい!名作を生んだ偉人の言霊よ。
まさに今の私、アナタに刺さるお言葉。

でもこれって、『好き』でいようとする人の話でしょう?『好き』から本当に離れたい時は?でも、離れたら自分に何も残らない。そんな時はどうしたらいいの? 無趣味なんていえないし…!

そうですよね。『好き』を諦めて何も残らなくなる自分、なにも取り柄のない自分、無趣味=否定的な世論。いろいろ考えたら怖いことばかりです。

でも、誰が言ったんでしょうか?
「何かを好きでいなくてはいけない。」
「なにか取り柄がなくてはいけない。」
「趣味がないと悲しい人。」
ましてや、決められてすらいません。
別に従わなくていいと私は思います。
人生なんていうのは、どうせ暇です。

要らないことばかり考える脳みそが発達したから勝手に考え込んで悩んでしまうのでしょう。そもそも人生に意味なんてない気がする。だから自分自身でどうにか意味をつけて、みんな正気を保っているんじゃないかなと思います。

ドラマ 『逃げるは恥だが役に立つ』の百合ちゃんがこう言ってました。「自分に呪いをかけなくていいんだよ。」

これもいい言葉ですね。
何かを決めつけるということは、何かの呪いをかけるということ。
だとしたら、自分が苦しかったり、自分がかけた呪いに進んでいかなくてはいけないのならいっそのこと その呪い解いてあげたらいいんじゃないかな。

そう思います。
私は基本的には能天気なポジティブ人間です。
だけど、自分もきっとどこかに呪いをかけているんだろうなぁ。

だからこそ。

力み過ぎたら、リラックスしてみる。
やってみてダメなら、辞めてみる。

少し遠回りな気もするけど、それでいい。
だって『好き』であり続けられるのだから、それ以上に幸せなことはない。

だから『好き』に少し疲れたら、離れてみて。
その距離はまたきっと埋まるから。
それでもダメなら、『何もない』ということを恐れないで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?