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日本最大級の重要文化財=熊野摩崖仏、そして真木大堂・両子寺・川中不動…

 「蕗の薹」チェックアウト前に富貴寺大堂を堪能したのち、その日はタクシーを貸し切りにして、国東の摩崖仏とお寺巡りへ。まずは真っ先に、国指定重要文化財で日本最大級の摩崖仏を謳う、熊野摩崖仏へ。なぜなら、かなりの山登りが必要で体力勝負確実だからです。入口からこんな感じです↓。

熊野摩崖仏への道
後ろを振り返ると、入口にある胎蔵寺と向かいの山の耶馬が見えます。

そして、かなり上ってから見えてくるのが、この「鬼の階段」。手すりがついているだけましですが、かなりの足元の悪さ。気が遠くなりました。

鬼の階段 鬼が作った伝説からの名前ながら、鬼のような階段ではあります。

苦行のようにして急な階段99段(どういう風に数えるのかわからないくらいにがたがたでしたが)の先に、急に目の前が開けて、巨大な仏たちの姿が顕れます。

熊野摩崖仏 左が不動明王、右奥に大日如来 人の大きさと比較してみてください。

手前左側に日本最大級(日本最大はどうやら豊後大野の11メートル)の不動明王が高さ8メートルほどで聳え立ち、右奥に日本最古の摩崖仏(平安後期)と言われる大日如来。平安仏教の楽園が、鬼の階段をのぼりきった先に広がっていました。階段を登ってきた誰もが、「わあ」とか「おお」とか感嘆詞つきで仏たちを見上げていました。日本古来の磐座を拝む自然信仰が、仏教伝来を経て神仏習合していく、その瞬間をとらえたような遺跡でした。

木漏れ日を浴びて、ますます神秘的な不動明王 童子2像は摩耗して見えなくなっております。
不動明王の右手には、龕の中に中国の官服の神像?十王?
大日如来の近影

日本最古の摩崖仏のひとつと言われる平安時代後期の大日如来は螺髪もひとうひとつ渦巻までしっかりと刻まれ、じつにはっきりしたお顔でありました。
ヒーコラ言いながら、階段を下りきったあとは、胎蔵寺の石造仁王を横目に見ながら…

熊野摩崖仏の登り口にある胎蔵寺

またまた重要文化財の仏像群がある真木大堂へ。平安後期から鎌倉期と言われる大きな仏様が9体。写真撮影は禁止なので、公式HPの画像をお借りして雰囲気をお伝えします。大きくて、美しさと迫力を兼ね備えた御仏たちでした。こんなに大きい大威徳明王は初めてでした。

真木大堂の公式HP画像から

真木大堂のあとは、三宮の景といわれる耶馬を眺める展望スペースの近くにある銅山摩崖仏に立ち寄りました。思ったよりも階段が長くて急でまたも息がきれました。

三宮の景と呼ばれる耶馬
階段を上がりきったところの覆堂の暗闇の向こうに…
不動明王の姿が浮かび上がります。

銅山摩崖仏の不動明王は、熊野摩崖仏の不動産とちがって細身でした。登り口に表示がないので、うっかりすると見落とします。
 ここからは一気に国東半島の最深部、両子寺を目指します。

両子寺の石仏仁王と山門への石段
仁王の背骨と背筋が凄い!
両子寺の奥の院・杵築藩主が江戸時代に建てたものですが、やはり磐座信仰の名残が。

両子寺は、石造の仁王や奥の院が知られていますが、奥の院の岩場への食い込み具合がやはり磐座信仰とのつながりを感じさせます。お堂の横の暗闇のところに、お堂の裏の岩場の礼拝場所への出入り口があります。
 次は、尾根を二つくらい越えて、谷筋を豊後高田の方へと下って、川中不動のある天念寺を目指しました。

川中不動と天念寺
川中不動尊近景

谷川の堰の手前にある巨大な岩に刻まれた不動尊と二童子。川の治水のために彫られたものと推測されていますが、室町時代以前にこの場所にこの規模で彫り上げた人間の信仰心にただただ感嘆しました。
 そして、一気に豊後高田の街を通り越して、国東半島六郷満山の寺や摩崖仏の大本となっている宇佐神宮へ。富貴寺は、宇佐神宮の神宮寺であった弥勒寺との関連がありましたし、他の寺々を開いたという伝説の仁聞菩薩は、八幡神と一体と見なされてきました。

宇佐神宮上宮の本殿前楼門

国東の石仏たちとは全く趣の異なる朱色の世界が広がっています。本殿と呉橋がちょうど一般公開中でした。

宇佐神宮の呉橋
500円で、お守り付きで渡らせていただける、特別公開期間でした。
宇佐神宮 呉橋と下宮の間にある弥勒寺の跡 金堂の礎石が点在しています。
祓所

弥勒寺と下宮の間にある祓所は、清らかな池に突き出た、神秘的な場所でした。司馬遼太郎さんの「街道を行く」宇佐編で、宇佐八幡が中津の薦神社が原点であり、そこが古代の用水池を神格化したものではなかったかと推測して書いていたことを思い出しました。

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