ジャニー喜多川の、牧場

簡単に私見を書く。ジャニー喜多川の視点で考える、ということも必要だろうと思っている。ジャニー喜多川にとっての自分の事務所とは、言わば「牧場」であったと思う。自らの性的な欲求を満たすことと、ビジネスの成功とを両輪に、走り続けられる素晴らしい「戦車」でもあった。どうせアイドル業とは、性差を資本に人を売るフーゾクなのだ。何処まで行ってもフーゾクでしかないこの業界で、自分のこの所業を誰が責められるだろうか。しかも、大牧場で家畜としてのアイドルをたくさん飼育することから、もう市場の側も離れられない。そして、それと同時に、俺の性欲も止め処もなく満たされる。・・・まあ、形として、うまくやりやがったな、と思う。そんな志向は微塵もないが、牧場経営としての成功例に僕には見える。また、男が男の子に、とか、大人が子供に、という犯罪であるし、社会モラルの問題であるし、実は当人にとっては病気の問題でもある、のだが、さて、このアイドル業、もしくは、広く芸能界、こんな牧場は山ほどあるのかも知れない、と思う。権力を持つ者の欲望には抑止力が少ない。ジャニーズ事務所ほどの大牧場である必要はないのだ。小さな牧場がいっぱいあるのだろうとの想像は、まあ外れてはいないだろうと思う。ちょっと話はズレるが、古い時代劇で、代官と庄屋あたりが、おぬしも悪よのーって密談を行う場面、現在の政治を見るにつけ、あれは陳腐なお話の世界のことではなく、普通に目の前にあることなんだなぁ、と気づいて、ビックリしたことがあった。で、芸能界の、陳腐なお話で描かれるような秘め事、枕営業とか、権力の側が手籠めにしたり、とか、まあ、あるんだろうねって思っている。手塚治虫や石ノ森章太郎や、とにかく昔のSF漫画で描かれるような「悪」とかも、子供心には、これは漫画のお話、と思っていたものが、あれって現実にもあると大人になってから知ることになったりするのだ。サイボーグ009が戦っていたブラックゴーストとか、戦争を煽って武器を売る武器商人なのだが、あれ? それって、日本の大企業とか、もしくは日本の政治そのものなのでは?と思ってしまったり。ね。さて、話をジャニー喜多川に戻すと、また別の視点で、さて、ジャニー喜多川は、自分が性加害を与えていたアイドル達を、愛していたろうな、と思う。それは錯覚だが、少なくとも自分では、愛している、大事にしている、との思い込みは存在したと思う。だって牧場経営にて、経営者は家畜をちゃんと愛しているものだ。また、ジャニー喜多川の愛の強さは、しばしば相手からも愛されることにもつながった、それが多かったのではないかと想像もしている。しかも、ちゃんと売ってもらえたアイドルも多いのだ、そりゃ感謝はしてしまうに違いない。この問題は、性加害は性加害で、子供への虐待でもあるのだが、ジャニー喜多川の作ったこのシステムでは、錯覚でも何でも、愛という感情が介在していたと(当事者たちは思っていると)想像する。外部からは、気持ちが悪い、ゲーッな話なのだが、これは愛の問題でもあるのだろう。で、それが厄介なのだよ、ね、すべてを白日の下には晒すことを難しくさせている原因がこれ。それと、もう一個、最後に、ジャニー喜多川が「死んだ後に」こういった問題になったことについては、ああ、あの変態おじさんは逃げ切ったのだな、と思う。あの、安〇晋〇の死の時にも、やあ、とうとうあの犯罪者は逃げ切ったのだな、やりやがったな、と感慨を持ったのだが、こういうのは当事者の視点で、悪人の視点で、ちょっと爽快な気分にさせられもするのだな、と思う。(あくまで、当事者視点での、想像のお話として、ですよ。怒らないでね、自分、例えば他者性を持って物語を描くのが商売なもんで、自分をわきに置いて、こんなことを言ってしまうのです。)

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