根拠はないけど自信を持つ、という話

根拠はないけど自信を持つ、という話

自信を持つことに根拠はいらない、という話は何度かしている。根拠なんか最初に求めたら、自信なんて一生持つことが出来なさそうだし、さっさと自信をもって行動し、後から、その自信の根拠を焦って頑張って、ひーって言いながら補填すればいい、という考え方だ。

でもその考えに、実践に、自分は救われてきたと思っている。やっぱり自信のある行動には、自信がない時よりも結果が伴うことが多いから。一つの手段として、計算で、根拠はなくても僕は自信を持つ。

そんな考え方を学んだのは、高校時代、同級生で同じ演劇部だった植村整君と三浦広志君に出会ったからだ。こんな何十年も前の話だが、やはり僕の人生で一番影響を与えた二人。植村君は、まあ彼が亡くなるまでずっと一緒にやってきたので知っている人も多いが、三浦君は、ぶっちゃけ、植村君の数十倍影響力のある男だった。で、周囲に渦を巻き起こすような存在感の大きい彼らを身近で見て、感じ、なんとか自分を変えたいと望み、それで自分との大きな差を探す内に見つけた点が、この、とにかく自信のある行動、なのだった。

それを、本当は自信も何もない、ネガティブな思考で、行動力もない自分が、意図して、とにかく自分の人生に取り入れたい、と方向転換したのが十代の終わりの方で、それこそが自分の第2の人生の始まり、くらいの出来事だったと思う。

十代の自分は、純粋に、彼らのようになりたかった、のだと思う。

そもそも、この、根拠はないけど自信を持った行動、の最たるものが、公演をするために劇場を予約する、ことだと思っている。公演をする、という一種の困難さに、今、手元には何もないのに、やると決めて劇場を押さえるのだ。冷静に考えたら恐ろしいことだと思う。今、東日本大震災を経て、新型コロナ期を経て、世の中の経済とか価値観とかが変わり、この劇場を押さえる恐ろしさは確実に増してきていると思う。経済的にどうにもならないのは、実は昔も今も同じなのだが、それをひっくり返す夢を見ることすら、もう僕らは奪われていると感じる。それで、演劇、小劇場、もっと衰退しちゃうのかな、やっぱり、と思う。実感としても。

でも、根拠は、本当、心底いらない、と腹をくくってしまえば、別に平気って思うのだが、まあ昔も今も同じだしね、30年以上劇団やって、ろくに黒字になんかなったことない人間だからさ、ま、そういう考えにもなるのかな、どうだろうか。

で、以上の話は、まあ、今まで考えていたり、言ってきた話なのだが、さて、ここからが今日思った新しい視点の話。

根拠はないけど自信を持つって、負債を抱えることに似ているな、それと同じだな、と急に思った。つまり、精神の借金なのかも知れないと。そう思うと、あれ? 腑に落ちることが多い気がするのだ。

負債とは、自分が仕出かしたことに、後からヤベエ、ヤベエって取り繕うことだ。それは、行動しちゃうと決めて、後から、なかった根拠を補填していく作業に酷似している。その時の恐怖心や、焦りなども含め。

いざ行動してしまってから、行動の最初に抱えた精神の負債を返せなかった場合の、そんな時に受ける打撃にも同じような衝撃があると思う。いや、あった。経験として。そりゃ、今まで、何かしらの失敗だってしてきたし。仲間がいるので、その時には、いつだって、上手く行ったぜ、って顔をしたりしているが、まあ、そりゃ、精神の負債を返せなかったな、ひゃーって経験くらい、長く活動している劇団、演劇人なのだ、あるさ。

さて、ここまで話が転がって、話は高校時代、僕に影響を与えた奴らに話を戻す。ずっと30年以上一緒に演劇をやってきたのは植村君だから、植村君のことを考える。あれれ、あいつ、もしかして、負債を返し終わってねーんじゃないか?って急に思い当たる。なんてったって、あいつの影響なのだ、自分がこういう負債を抱える方向に舵を切ったのは。そりゃ、オリジナルのあいつのが、こういった精神の負債は多い。で、わっ、あいつ、とうとう返し終わらないまま、死んじまったんじゃないかって。今日、ふっと思ったのだった。思い返しても、奴の自信満々な態度、根拠なんかこれっぽっちもないのに、なんか凄い堂々とした立ち振る舞い、尊敬できるレベル、僕なんかじゃ太刀打ちできない、すごいものだったじゃないか。そう考えたら、ん? もしかして誰かが、残されもんが、それを背負わなきゃいけないんじゃないか、そんなことまで考え始めて。

だって、家族とかさ、友達とかにさ、借金返せって借金取りがやってくるからさ、そりゃ、残されたもんが、返して行かなきゃいけないんじゃないかって。もしも、これから、未来、僕が確実な根拠、今までなかった根拠、自信を持ってイイって世間が認めてくれるような、そんなものを持つことが出来たら、それは同時に、僕個人の問題ではなく、仲間も一緒で、だから、あいつも一緒で、同時にみんな全員の精神の負債を返すことに繋がるのではないか。そう考えた。

今日、そんな妄想を考えたのでした。妄想でも何でも、そんなことにも背中を押され、次、また次と、僕は演劇を続けようと思う。頑張らねば、と、そんな妄想に励まされる。長堀


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