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自分の「大丈夫だよ」は誰かの大丈夫じゃなくていい✳︎自分の感じてる気持ちは自分だけのもの。

こわいとか

腹たつとか

悲しいとか

生きてたらきっとみんなあって

それらって、どれひとつとっても大切にしていいんだ。





たとえば私も腫瘍ちゃんどうなる?となって

発覚の時点からものすごく怖くて怖くて


でもすごく救われたのは友達からの

「こわいを大事にしながら病院選びをプロデュースしてったよ」


っていう手術への体験談だった。


ああそうか

大切にして自分なりにたくさん選択肢用意して進めばいいんだなって思えたのと


なんかどこかで

もっと大変な人もいるんだからそれくらい我慢しろよ


っていう気持ちがあるな、って。



よく考えてみたら

本人が感じてる


こわい

腹たつ

悲しい

痛い


なんて、

誰と比べられるの?


だよね。


その昔シングルマザーで頑張り過ぎてカラダ壊したときもそうだった


お母さんならみんなこれくらいやってる

なんならもっとやってる、出来てるのに


って散らかった部屋を見ては自分を責め

洗い物の山になってる台所を見ては自分を責め

保育園の忘れ物が続いては自分を責め

ってしてたと思う。


でもさ、体感として

しんどいとか

もっと頑張れるとかそういうのって


本人にしかわからないんだよね。


それを無視し続けた結果あの時私は倒れたわけで


なんだか思い出したのだ。


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カウンセリングのお仕事をしていても

やはり過去に壮絶な体験をしている方もちらほら見えて


みなさん口を揃えていうのが

「でもつらい経験なんて上には上がいるので乗り越えなきゃと思ってるんです」

なんなら

「気持ち切り替えて前向いて行かなきゃって思うんです」


って人もいる。



いやいやいやいや


そんなのは比べるものじゃないし

ないものにしなくていい。


自分が辛かった、ならもう


辛かった!!!


でいいはず。


ぎゃーぎゃー騒いだっていい。

鼻水垂らして泣いたっていい。


それくらい、その「つらい」に寄り添って

感じてあげて

慰めて

だれかに頼って

時間かけて

和らいでいけばよくて


「もう昇華しました!」

なんて目指さなくていいわけで。



私もこれやりがちだったかも

重たくなりたくなくて。


気づいたら出てくるこの優等生グセ

もう卒業しなきゃな。


自分の中の痛みや怖さを大切にしてたつもりが

まだまだどこかで排除しようとしてたってこと。



本当は

一緒にいたらいいんだよ。

一緒に前に進んであげたらいいんだよ。



「もう大丈夫」

って、きっとそういうことのような気がしてる。

一緒に居れる勇気。


だから他人からの大丈夫は

自分の大丈夫じゃなくていいし



自分の感情を大事にしてあげたらいい。


と同時に、誰かのそれも

尊くて大切にしたいと思いました。


私がこの10日ほどで

たくさんやきもきしながら

心から腑に落ちて、得たこと。


こうやって、自分や誰かに

いまよりまたひとつ優しく出来るようになるんだね。



今日はお客さんにお願いしてセッションもお休みして

お灸して、昼寝しまくった◎

治療法をどうしていくか考えるまで

しばしひと休み。

明日は満月、さらに月食だー

また食、、パワフルすぎだろ。笑


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