ダキョウソウ (公開中)
ダキョウソウの鉢が一人暮らし世帯のベランダに並ぶようになって久しいが、私は数少ないダキョウソウ〝ガチ勢〟を自任している一人だ。
「ダキョウソウ」。漢字で書けば当然、妥協草。正式名称は何度聞いても忘れる。多年草で、丸くて大きな葉っぱを茂らせ、桃がかかった白色の、睡蓮によく似た放射状の花弁を持つ。そして何より、あらゆることに妥協してくれる。
しっかりと世話をすれば、それはもうどんなおしゃれ系雑誌の表紙を飾ってもおかしくないほどに、美しい花を咲かせるこの植物だが、適当に放っておいても、まあまあ育ってくれる。
ほとんど水を与えなくとも、あまつさえエアコンの室外機の真ん前に置かれたとしても、だらだらと、クリーム色といえば聞こえがいいが、喫煙席の壁紙みたいな色の花弁を開く。
この全体から漂う「まあこれで良いか」という諦念は、かつての女子小学生たちの下敷きに出現した「こげぱん」を始めとする、なんともいじらしいキャラクターを彷彿とさせた。というか、現在このダキョウソウブームを支えているのは、私と同じくかつて「こげぱん」を愛した元女子小学生たちだ。
ダキョウソウの妥協っぷり、その極め付きは受粉にある。
生命の根幹、これすら妥協する。
他の植物同様に、この花にも中心には粘性のある柱頭を冠した雌蕊があり、囲むように先端に花粉をくっつけた雄蕊が生えている。その花粉が風や蜂の働きによって柱頭にくっつけば、めでたく果実がなる。この基本は一緒だ。でも、このダキョウソウとくれば、別に花粉じゃなくても受「粉」する。早い話が、なんか粉状のものなら、例のごとく「まあこれで良いか」となんでも受粉してしまうのだ。
「粉状のものって? 砂でも?」
「うん、砂でも、のりたまふりかけでも」
中学一年の時、私にダキョウソウの驚くべき生態を教えてくれたのは、小学校から一緒の萩だった。彼女もまたかつて「こげぱん」を愛した同志だ。小学校の時、昼休みを過ごした図書室も、中学に入るとバスケ部の男子が机に突っ伏して眠る場所になってしまい、はじき出された私たちはプールへ通じる階段に腰掛けて、互いのメガネのフレームを褒めあって過ごした(当時、流行していた縁の太いメガネを私たちは小馬鹿にしていたし、そのせいか私は今も縁の太いメガネがかけられない)。
「じゃあ、のりたまで実がなるってこと?」
「一応、なるにはなるけど、タネはないんだって。代わりに受粉したものが真ん中に入っている。のりたまでも」
じゃあ想像妊娠だ、と言えば萩は口蓋に紙でも貼り付いているような笑い方で私の肩を押す。私は歯列矯正のワイヤーにさっき食べた海苔がついていないか不安で口を閉じたまま笑ったが、ダキョウソウの花言葉が「特になし」だと知って、いよいよ大きな声で笑った。
二人して、同じ高校に進学した。高校でも外階段に腰掛け、小テスト用の英単語帳だけ一応持って「phenomenon」の語感を繰り返し楽しむ、オフビートにもほどがある青春を過ごした。おそらく私たちは今後とも色恋などとは縁遠い日々を送るだろうが、「その時は一緒の墓に入ろう。宗教お揃いにしよう」なんて話しながら。
とはいえ大学まで一緒とはならず、私は地元の大学に進み、萩は上京し、自然と会う機会も少なくなった。
私は大学で孤独を深める一方、萩は英語劇サークルで出会った先輩と普通に付き合い出した。東京の私立大学じゃ出会いも多いし、別に、普通のことだ。お盆の帰省時に見せてもらった写真には、鼻が大きくて優しそうな男性が笑っていた。黒縁メガネをかけていたのが、ちょっと悲しかったので、ごまかすために「鼻が大きい人、ちんちんも大きいんだってね」とだけ言った。その時、萩は笑ったんだっけ。
順調に交際を続けた二人は五年前に結婚。わざわざ家賃の高い東京に、共働きで暮らしているという。まあでも、なんというか、萩は「妥協した」のだと思う。そうでなくては、かつてあれほど小馬鹿にしていた黒縁メガネの男性を選ぶわけがない。自分を好いてくれる人が今後現れるかどうか勘案し、気楽さと寂しさを天秤にかけ、最終的には実家がどうのこうのと折り合いをつける形で、妥協した。賢明だよ、萩の判断は、まったく。
思えばその頃からだ。
私が「ダキョウソウ」ガチ勢になったのは。
仕事終わり。スーパーに寄ると店先でダキョウソウが何もかも諦めたように、だらりと葉を垂らしていた。いつもの光景のはずが、なぜかその日は違って見えた。私は保護するかのように購入すると、その足でホームセンターに向かい、取り敢えずの一式を揃える。妥協なんて、ダサい。させない。許さない。
こうして、ダキョウソウに一切の妥協を許さない暮らしが始まった。
幸い、地元市役所の職にありつけたので、就業中以外の時間を全てダキョウソウに費やすことができた。萩以外に新しい友人もいないので、地球の誰よりも早く帰宅すると、湿度、温度、共に調整してあるダイニングに並べたダキョウソウたちの様子を確認。今日も彼らは艶やかに葉を茂らせ、ロンドンの近衛兵のような厳粛さをもって私を出迎える。
「ただいま」
鉢皿にたまった水はすぐに捨て、敷いたウッドチップの乾燥具合をチェック。それに応じて専用霧吹きで葉の裏と表、一枚一枚に水を吹きかけていく。葉の根元にたまるとカビが発生して、それを「受粉」しかねないので、多すぎた場合は布で念入りに拭き取る。
甲斐甲斐しい世話のおかげで、エデンと見紛うような美しい、白桃色の花弁が無機質なダイニングを彩った。思わず、スマホで写真を撮った。誰かに見せたい。でも両親に見せれば「花も良いけれど」の前置きで結婚云々と切り出されるのが目に見えている。
じゃあ、やっぱり、萩だ。
「ダキョウソウに一切妥協を許さない、それが私だが?(画像)」
すぐに既読がつき、「すご。むしろ虐待では?」と返ってきた。「ヴィーガンに怒られるかな?」と返せば、見たことないパンダのスタンプが「そういうこと!」と親指を立てる。どういうこと。
ほぼほぼ萩への当てつけ、というか嫌味として育て始めたダキョウソウだけれど、いざ、その成果が実ったときに報せたくなるのは、萩だけだった。
うっかりダキョウソウが受粉しないように、粉状のものには特に気をつけた。外の砂塵を持ち帰らぬように玄関で服を脱ぎ、そのままシャワーを浴びると、念入りに身体を拭いて、全裸にマスクという変態じみた格好のまま、肝心の「受粉作業」に入る。
耳かきの梵天で慎重にダキョウソウの花粉を採取すると、待ち構えている雌蕊の柱頭に擦り付ける。想像妊娠なんかさせるものか。プライベートを全て明け渡し、このダキョウソウに費やしているのだから。やがて子房は果実へと変わり、熟した中から「純正」のダキョウソウの種子が手に入った。掌に載った、種を眺めると、妥協しなかったことに誇りを見出す。
目に見える成果を手にすると、余計にダキョウソウへの愛が増幅する。愛は滑らかに執着へと変わり、いよいよ私の部屋はダキョウソウのためだけのものになる。ダイニングも私の寝室も全てダキョウソウに譲渡し、私はバスタブの中、屈葬されたように眠った。
交配作業にも慣れてくると、今度は妥協させないのでなく妥協できないダキョウソウが欲しくなる。
数ある株のなかから、手間がよりかかるもの同士を掛け合わせ、どんどん「妥協できないダキョウソウ」を誕生させていく。自分の環境に妥協できないので、徹底的に管理しないとすぐに枯れてしまう。ダキョウソウの風上にもおけない品種だ。だからこそ、美しい花が咲いた時の喜びもまたひとしおなのだ。
「(画像)」
「花の写真だけ送られても!」
でも本当は、こうして萩に生存報告したいだけだったのかもしれない。
だから、というのも変だけれど、萩が交通事故で急死したという報せを受けたとき、斎場で久々に会った萩のお母さんに変なお願いをしてしまった。
「あの、少しだけ。萩の遺灰を分けていただけないですか?」
同じ墓に入ろうだなんて約束、とうに忘れていたし、いざ大人になってみるとそもそも萩が入るお墓は決まってしまっていた。
萩のお母さんも戸惑っていたけれど、最終的にわざわざ分骨用の、小さな骨壺に入った遺灰を持ってきてくれた。果たして鼻の大きな旦那さんに許可を得ていたのかはわからない。
「いつもね、あなたのこと話していたのよ、距離が遠くて寂しいって。お花屋さん? 一人で経営ってすごいわね」
曖昧に頷いて、萩の家を後にする。
お花屋さんではないのだが、訂正はしなかった。萩が、私のダキョウソウについて話してくれていたのだろう。斎場からの電車、骨壺はカバンに入れると中身が溢れそうなので、膝の上に載せ両手でそっと包んだ。
「ただいま」
ひんやりした空気が、眼の縁にわずかに滲んだ涙を自覚させる。私は服も脱がず、シャワーも浴びず、そのままダキョウソウの立派な花が並ぶ前に立つ。骨壺の蓋を開ける。深く呼吸して、そっとその上から遺灰を撒いた。萩だった粉が、湿度、温度、完璧に調整された部屋に舞う。
交配を繰り返して、すっかり弱くなったダキョウソウたち。遺灰という闖入者に当惑している、ように見えた。どんだけ軟弱なんだよ。まあ私がそうさせたんだけど。
いつものようにスマホでその様子を写真に収める。
「あんたの遺灰ですぐ枯れそうなんですけど(画像)」
もう、既読のつくことのない画面を放り投げ、バスタブの中で、蹲る。私の中にダキョウソウを育てる理由が、何ひとつ残っていないことを認めると、ようやく声に出して、泣いた。泣いて、泣いて、ダキョウソウの花言葉を思い出して、少し笑った。