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「読書」~いのちの姿/宮本輝~

読書が好きで、就寝前に横になって本を読むのが至福のひとときなのだが、なかでも好きな作家が宮本輝氏。

文庫になった本は全部読んだ(たぶん)。でも単行本は高くて手が出ない。でも読みたい。ということで図書館で借りてきた。

今回はこの「いのちの姿」というエッセイ。
宮本輝氏はある時期からエッセイは書いていない。
理由は「小説に専念したいから」だそうだ。

それがどうしてこの本が単行本化されたかというと。。。
京都の高名な料亭「高大寺和久傳」の女将さんがエッセイ誌を出すことが夢だったそうで、それを実現することにしたと打ち明けられ、協力するというよりしかたなく協力することになったらしい(笑)

各界人士に執筆してもらうというこのエッセイ誌「桑兪」の創刊号は2007年11月に刊行された。

宮本氏は3号くらいで廃刊になるだろうと思っていたが、評判はよくまだ続いている。
そしてこの「いのちの姿」は「桑兪」の創刊号からの14編が収められている。

エッセイ誌「桑兪」はネットでも購入できるので今迷っている・・・
14編のエッセイはそれぞれに趣があってやはり同じものをみても見えるものが違うのだという事をあらためて感じた。

今回はこのなかで「パニック障害がもたらしたもの」の感想を少し。

宮本氏が心の病にかかっていたことは知っていたが、このエッセイではかなり詳細にかかれている。

「25歳の5月に、突然精神性の疾患に苦しむようになり、それが「不安神経症」「パニック症候群」という病名がつけられ治療方法も確立されたのはだいぶあとのことになる。」

宮本氏は最初の発作の日から約9年間、一日に何度も起こる激烈な不安発作の正体がわからないまま生きていたことになる。

「私は大げさではなく、精神的に極度に追い詰められていき、自分のなさけなさや臆病さに嫌気を感じ、自分自身を責め続けるようになった」

「けれども私がここで書きたいのは、もう俺は廃人と同じだと思い、失望し落胆し、その苦しさにのたうちながら、ときには隠れて泣くしかなかった病気が、いつのまにか大きな宝物というしかないものをもたらしつづけていたことである」

そして、「小説家になれば電車に乗らなくても済む」という理由で小説家を目指したとある。

これは目に見えないものが「あなたは小説を書きなさい」と導いてるようですが、本人、家族にとっては厳しい試練だったでしょう。
その後宮本氏は肺結核でも入院しています。

そしてこういう経験から「私が生と死についてつきつめて思考するようになったのは当然のなりゆきだったと思う」と語っています。

そして最後に
「さて、私がパニック障害という病気によって得た多くの宝物についてだが、もはやそれをひとつひとつ具体的に述べる必要はなさそうだ。他者の痛みが少しはわかるようになったということだけでも充分ではないだろうか。
それからもうひとつ、心の力というもののすごさをわが身で知ったこともつけくわえておく。
ああ、さらにもうひとつ、悪いことが起こったり、うまくいかない時期が続いても、それは、思いもかけない「いいこと」が突如として訪れるために必要な前段階だと信じられるようになったのだ」と綴られている。

じつは、僕も宮本氏ほどひどくはないが、たぶん「不安神経症」かな?という症状で長年悩まされている。
いつもということではないので、仕事も日常生活もさほど問題ないのだが、頭がボッーとして動くのがキツイ日があったりする。
主治医に「身体はなんともないので一度心療内科に」と勧められた。
「うつ病」かと思ったが「そんなに前向きな明るい人はいませんよ」と笑われた。
最近信頼できる先生に出会い、「いろいろ薬を試して最後には服薬をやめましょう」と言ってくださった。また友達にも医療関係の方がいてありがたいことにいろいろ教えて頂いている。

宮本さんにくらべればほんとたいしたことがないですが(笑)
でも宮本氏のように「この病気が(?)大きな宝物というしかないものをもたらしつづけてくれた」と言える日が来るといいなと思う。
今は人の痛みが少しはわかるようになったくらいかな。。。

2017.5