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妥協しない人

通訳ガイドのぶんちょうです。通訳案内士の仕事は普通、海外のゲストの観光案内するのですが、時々変わりダネの仕事が来ることもあります。その仕事はエイジェントから「ガイドしなくていいよ」と言われていました。「ガイドにガイドしなくていいよ、って一体何をすればいいんだろう」と思いながら、いつものように都内のホテルでゲストを待ちました。

そのゲストはある企業の有名人(アメリカ人女性)とご家族だったので、ちょっとわくわくしていました。でも、ここはガイド、どんな人が来ても慌てず騒がず普通に対応せねば。ホテルからハイヤーに乗り込みます。ガイドしなくてはいいとは言われていたものの、車内での沈黙はなんとなくぎこちない雰囲気になります。そこで、車窓から見えていた皇居の説明をちょっとだけして反応を見ることにしました。

すると、「私は仕事のこと以外は興味ないの」と。なるほど、ガイドいらないというのは、そう言うことかと納得。まあ、それならそれで、こちらの仕事も半分減るので楽です。ところが「明日は、ここと、ここと、ここと」とビジネス関係で行きたい場所リストを数十件、よろしくとばかりスマホ画面で見せられました。都内のお店は結構知っているつもりでしたが、リストにあったのは、ほとんどが聞いたことのない、小さなお店の名前です。「わかりました」と言ってスマホで写真を撮ります。

その日は無事に終了しましたが、家に帰ってから一人戦闘モード。全ての店の場所と情報をパソコンで調べまくり、終わった時は世が明ける前でした。翌日、何気ない様子でホテルで再会し、お店を片っ端から回ります。車の入れないような路地にある店が多く、ゲストも疲れているので、うまくドライバーさんと連携して、歩く距離が少なくて済むように車を回してもらいます。

よく知った街は勘も働くので、自分がどこにいるか何となくわかりますが、ひとつは知らない街だったので、前日にスマホに入力した情報を頼りにどきどきしながらの案内です。しかも、スマホの情報では入り口の位置まで書かれていません。下手をするとビルの入り口を探して一周することになります。それをゲストと一緒にやって歩き回すことは絶対に避けたいのです。

普通のツアーなら下見をしていくのですが、今回はその時間も与えられていないため、ぶっつけ本番でした。ゲストは好き嫌いがとてもはっきりしていたので、お店を少し見て気に入らなければ1分くらいで「次どこ?」と来ます。そうやって何十件ものお店周りをしているうちにゲストとの関係も打ち解け、頼りにしてくれるようになったようです。

街案内は必要ではない代わりに、スケジュール表を渡されました。朝は毎日ホテルの美容院で髪をセット。ミーティングや日本で展開している店舗を回る合間に鍼灸など多忙なスケジュールです。鍼をしているのは意外でした。そして、今日のスケジュールは何?と聞かれるようになり、完全にガイドから秘書になっていました。

都内で数日を過ごした後は、地方へ観光の予定が入っていました。飛行機、船を乗り継ぎ、そこで一泊しました。おおかたの観光が終わり、東京に戻る日、「もう帰りたい」と言い出したので、船、飛行機のスケジュールを調べて、早いものに変更可能かを調べます。飛行機はOK。でも船は便が少なくて結局、変更は無理でした。

「何とかしてよ」と言われるかと思いましたが「島から出られないから無理」と言うことで納得してもらえました。世界的に有名な美術館であろうと、はるばる何時間もかけて来た場所であろうと、自分が気に入らなければ一瞬で出てきます。地元のタクシーの運転手さんがびっくりして「え?もういいの?」と聞くのも当然です。

せっかくだから、もったいないからと、まあまあの場所や物に執着する私とは全然違うわ。潔いわ。と思いました。きびきびと注文もつけられましたが、私もそれをいやだとも思わなかったのも、この人の器の大きさなのかなと感じたのでした。

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