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横浜JICAの海外移住史料館に行ってみました

通訳ガイドのぶんちょうです。横浜のみなとみらいを散歩中、とあるビルに入ってみました。JICA 独立行政法人 国際協力機構です。玄関を入ると、こんなアート(見出し写真)に迎えられました。かわいい!

JICAというのは、こちらです。

独立行政法人国際協力機構(JICA/ジャイカ(注))は、日本の政府開発援助(ODA)を一元的に行う実施機関として、開発途上国への国際協力を行っています。
(注)JICA/ジャイカはJapan International Cooperation Agencyの略称です。

JICA ホームページより

建物のなかには海外移住史料館がありました。(無料です)

海外移住資料館は南北アメリカを中心とした日本人の海外移住の歴史および移住者と日系人の現在をテーマにした資料館です。

JICA ホームページより

通訳ガイドの仕事中に日本人の海外移住について海外の人に聞かれたことがありました。想定していなかった質問で、おおざっぱなことしか回答できなかった苦い経験があります。

なので、これはいい機会とちょっと勉強させてもらいました。日本からペルー、ブラジル、アルゼンチン、ハワイやアメリカ本土などの国へ渡った日本人のこと、彼らの海外での生活などの展示がありました。

日本人の海外移住は幕末に始まり、最後の移民船が出港したのは横浜港からで昭和48年だそうです。日本の経済高度成長期です。

一度に何百人もの人を乗せて遠く離れた国へ何週間もかけて行ったのですね。海外での労働条件や賃金の良さがきっかけでした。

明治時代には3万人近い人たちがハワイに渡り、サトウキビ畑で仕事に就きました。また、カリフォルニアなどアメリカ本土への移住も明治期のことだそうです。しかし、北米では、日本人移民たちは拒絶されるようになりました。

そのため、明治の終わりころに始まったのがブラジルへの移住です。コーヒー栽培に従事しました。

第二次世界大戦中には在米の日本人移民は適性外国人とみなされたことで大変な苦労を強いられたことはよく知られています。

戦後も、戦前の数ほどは多くないですが移住が続きます。日本政府によるブラジルなど南米諸国への移住が1970年ごろまで続きました。その後、日本が経済成長期に入ったため、集団的な海外移住はほとんどなくなります。

第二次世界大戦前には約77万人、大戦後には約26万人が移住したそうです。



見学の後は併設のカフェでお茶しました。誰もいない外のデッキを独り占めです。海外移住史料館のサイトはこちらです。



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