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何を見ても何かを思い出す

というタイトルの本が、実家の本棚にあった。
家には読んだことのない母の本がたくさんあった。

とても印象に残る言葉だな、と当時眺めていたのだが、
最近、よくこの言葉を思い出すようになった。

何十年か生きていくうち、歳を重ねるということは、この言葉のように、
“何を見ても何かを思い出す”ということなんじゃないかと思うようになった。


※※※


昨年、記録的な大寒波といわれた大雪の日の翌日、娘が生まれた。
育児は何もかもはじめてのことだらけで、子供の顔をじっくりと眺めることもなく
あたふたしているうちにしばらく時間が過ぎた。

ある日授乳が終わって、ふと、娘の瞳を覗き込んだ。
小さい娘の瞳は白目の部分が青白くて、瞳はガラスみたいで、何も写っていなかった。まだ視界がぼんやりとしているからか、どこを見るでもなく
ただまっすぐに天井をみていた。
まるでロボットみたいだ、魂がまだ宿る前みたいだとおもった。
それが不思議で、何度も食い入るように見つめた。
ずっと見ていると、新入荷!ただ今入荷しました!という言葉が思い浮かんだ。
そんな威勢の良い商売文句が浮かぶくらい、赤ちゃんの目は真新しかった。
不思議で、何度も食い入るように見つめた。


もうすぐ1歳になる今、娘はキラキラした目をくるくる動かしながら飽きることなく何かを見つめている。
それをみるのが好きで、どこに行っても、家にいるときでも子どもの瞳をのぞきこんでしまう。
行ったことのない場所に行くと、たくさんの刺激があるからか、興奮してあちこち探索して、家に帰ってくるとばたん!と電池が切れたように眠ってしまう。


赤ちゃんの時期である今は、自分の目で見て何かを感じる時期なんだなあと思う。
そうしているうちに知識や経験のストックがだんだん増えていく。
すると小さい頃は一つの目線でしか見ていなかった物事を、いろんな視点から捉えるようになるんじゃないかと思う。
実際に体験したことの引き出しや、本から得た知識の引き出し…自分の中のいろんな引き出しを開けて考えるようになる。
視点がたくさん増えることによって、考えが直線的なものではなく、ゆるやかにカーブを描くようになっていく。

それが年を重ねるということで、”何を見ても、何かを思い出す”
ということなのではとふと思った。


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