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【60ページ分を無料公開:第3回】書籍『中国はリベラルな国際秩序に対する脅威か?』より

『CHINA AND THE WEST 中国はリベラルな国際秩序に対する脅威か?』第1章から、キショール・マブバニ氏へのインタビューの一部を公開します。
マブバニ氏は、世界的に名を知られている知識人・論客です。シンガポールの元外交官で、国連安保理の議長を務めたこともあり、現在は国立シンガポール大学上級顧問兼公共政策教授です。日本での知名度は高くないですが、国際論壇での存在感は大きく、たとえば彼の著書には、おなじみの著名論客──イアン・ブレマー、ローレンス・サマーズ、マイケル・スペンスなど──が、こぞって推薦文を寄せる、そのような人物です。
マブバニ氏の基本スタンスは「米中双方に問題がある」というものです。米中双方から一定の距離を置く視点で語るので、米中問題の全体像を把握するための手がかりにしやすいと思います。
*この記事は連載第3回です。第1回から読む方はこちらです。

マブバニ2

キショール・マブバニ
(Image credit: mahbubani.net/)


◎キショール・マブバニとラッドヤード・グリフィスの対話

〔ラッドヤード・グリフィスはムンク・ディベートの司会者〕

R・グリフィス キショール・マブバニ、この討論会に参加するためにトロントまでおいでいただき、ありがとうございます。あなたに参加していただけて、まことに光栄です。

キショール・マブバニ こちらこそ、ありがとうございます。

R・グリフィス さっそく本題に入って、なぜ今、中国とアメリカは、貿易問題をめぐってこのような極端な緊張状態になってしまったのか、あなたの考えを聞きたいと思います。いったい何が起きているのでしょうか?

新旧大国間で緊張が高まるのは、歴史の常。貿易は真の問題ではない

K・マブバニ こうなるだろうとわかりきっていたことですよ。避けられないことです。いつか必ず起きることでした。なぜなら、歴史を通じていつでもずっと、その時々の地政学は世界で一番の大国と世界で一番の新興大国の関係に左右されます。つまり、今ならアメリカと中国です。そして、いつの時代の場合でも、世界で一番の新興大国が世界で一番の大国を追い越そうとするときに緊張が高まるのです。

ですから、それはいつ必ず起きることだったのです。ただし、それがいつ、どのように起きるのかは誰にもわかりません。だからこそ、私は今、米中関係についての本を書いているのです。アメリカでの争点は、ドナルド・トランプが貿易問題で中国に対してとっている姿勢です。そして、中国側も明らかにアメリカに対して、そしてアメリカのビジネスマンたちに対して、いくつかの戦略的な間違いをしました。ですから、ある意味では、中国は自分がやった間違いの代償を払っているといえます。

しかし、結局のところは、本当の問題は貿易ではないのです。本当の問題は、もっと深いものなのです。ですから、たとえ貿易問題が今日、あるいは明日、解決されたとしても、アメリカと中国の間の対立は、これからの数十年にどんどんエスカレートしていくでしょう。

R・グリフィス 私たちは今夜、リベラルな国際秩序について話しあうことになっています。これはある意味では、危険な表現です。「リベラル」という言葉が行き詰まっているからです。あなたは、リベラルな国際秩序をどういうものだと考えますか? その国際秩序のリベラルな特徴とはなんでしょう?

リベラルな国際秩序の特徴は、主権とルール

K・マブバニ そうですね、リベラルな国際秩序とはどんなものか理解するうえで、私には有利な点が二つあるんです。まず、私は10年以上にわたって、シンガポールの国連大使の職にありました。ですから、私には、リベラルな国際秩序の中心、すなわち国際連合がどう機能しているのかについての直接的な経験があります。しかし、私のもう一つの有利な点は、それよりもっと重要です。それは、私がリベラルではない国際秩序のなかに生まれたということです。私は1948年にシンガポールで生まれました。シンガポールは英国の植民地でしたから、国民、市民として生まれたのではありません。私は英国の「臣民」として生まれました。もっと正確に言えば、英国の「もの」として生まれたのです。

1945年以前は、今とはまったく違いました。1945年以前には、限られた支配的な国々、植民地主義の国々が世界を動かしており、ルールもなにもない、まったく勝手なやり方で、世界のほとんどのことを決定していました。ですから、1945年という年、特に国連憲章の調印は、世界の歴史の重大な分岐点となりました。このとき突然、人々は自分たちの将来について自分たちで決定できるようになったのです。国連憲章は植民地支配や外国の介入を違法なものとし、主権の概念を生み出しました。私はこれこそがリベラルな国際秩序の一つの柱だと考えています。つまり、自分たちの未来は自分たちが決めるということです。

リベラルな国際秩序の二つめの柱を、私は「ルール」と呼びたいと思います。国連を通して、また、その他の国際機関を通して、国々がやっていいことと、やってはいけないことについてのルールが着実に蓄積されてきました。そして現在この世界では、驚くことに、国々はほとんどの場合これらのルールに従っています。このことからも、1945年以前の世界では簡単に戦争が起きていたことがわかります。国々はすぐに戦争を始めていたのです。しかし、だんだんと、国家間の戦争は斜陽産業になっていき、今では国家間の戦争で人が死ぬ危険性は歴史上最小のレベルになっています。

つまり、リベラルな国際秩序がもたらした進歩には二つあります。まず、人々が自分たちの未来を自分たちで決定できるようになったこと、そして、すべての国が従うべき一連のルールを作り出したことです。これがすなわち、リベラルな秩序というわけです。

R・グリフィス あなたは確か、雑誌「ハーパーズ・マガジン」にきわめて挑発的に、かつ正論として、こんな小論文を書いておられました。二つの異なる経済的なリーダーシップのモデルがあって、つまり中国対アメリカというわけですが、その影響を理解しようとするなら、中国は自信をもってこれまでの経済発展の業績について語るだろう、それとは対照的に、アメリカでは賃金も収入も停滞したままで、経済格差が広がっているという趣旨でした。あなたはこれから行う討論の一部は、二つの異なる経済秩序についての間の討論になるとお考えですか? それとも、グローバルな経済秩序はこうあるべきだというコンセンサスがあると思いますか?

アメリカの政治制度は、経済成果を再分配する能力を失ってしまった

K・マブバニ 私はアメリカの経済体制が悪いと思っているわけではありませんよ。そうではなくて、アメリカの政治制度のなにかが根本的に間違った方向に進んでしまったと思うのです。なぜかというと、経済が成長するとき、政治制度はなるべく公平にその成果を分配するための仲介者として働くものだからです。アメリカについて最もショッキングなことの一つは、どういう理由なのか、よくわかりませんが、主要な先進国のなかでアメリカだけ、下から50%の人たちの平均収入がこれまでの30年間で下がってしまっているのです。もう一度言いますよ、50%、下から半分です。社会のバランスが、そして、経済成長の成果の分配のしかたがどこかおかしくなっているということです。もう一つ、ショッキングな統計があって、私の著書『西洋は終わったのか?』(Has the West Lost It?)(未訳)でも紹介しましたが、アメリカの全世帯の3分の2は緊急時の備えとして、500ドルさえももっていないのです〔このデータの出所として、上記の著書には以下のURLが示されている https://www.forbes.com/sites/maggiemcgrath/2016/01/06/63-of-americans-dont-have-enough-savings-to-cover-a-500-emergency/〕。

これも、なにかが間違っているんです。経済制度の問題ではないんです。経済は成長しているんですから。そうではなくて、収穫をどのように分配するかの問題です。ここに、税制という基本的な問題があるわけです。

それから、アメリカと中国の対立に関して私が話そうと思っていることがもう一つあります。それは、アメリカの主要な政治機関は、いわば、巨額の金によって占拠されている、乗っ取られている、ということです。お金がそれらの機関の決定を左右しているんです。だから、経済成長の成果を再分配するための公平な審判、仲裁者としての政府の能力が失われてしまっているんです。その結果、おびただしい数のアメリカ人が苦しんでいます。その怒りがドナルド・トランプの当選の理由でもあったわけです。

R・グリフィス ここで話を戻して、今晩の討論で相手方が進めてきそうな主張について、考えてみましょう。彼らはおそらく、中国は経済の自由化をやめてしまった、中国は根本的に独裁的な政権なのであって、民主主義にとっても、(リベラル陣営が定義するところの)「リベラルな」国際秩序のビジョンにとっても脅威なのだと言ってくるでしょう。このような批判は、中国で実際に起きていることを正しく言い当てているとお考えですか?

リベラルな国内秩序と、リベラルな国際秩序を、区別して論じる必要性

K・マブバニ 私は、リベラルな国際秩序とリベラルな国内秩序とは、はっきり区別しなければならないと思います。中国は明らかにリベラルな国内秩序の国ではありません。それでも、中国のような非民主主義国が、リベラルな国際秩序のルールに従って行動することには基本的に矛盾はありません。

そもそも、「リベラル」という言葉をめぐって多くの混乱が生じています。ここで、国際関係の分野の二人の学者の発言を引用したいと思います。私は最近、現実主義の立場をとるアメリカの著名な政治学者ジョン・ミアシャイマー〔著書に『大国政治の悲劇』奥山真司訳(五月書房新社)等〕に質問してみました。「ジョン、『リベラルな国際秩序にとって、アメリカは中国よりも大きな脅威だ』とあなたが発言していたと言ってもいいですか?」とね。彼は「いいとも、キショール」と答えました。だから、これは本人の許可を得たうえでの引用です。

次に、ジョン・アイケンベリー〔著書に『リベラルな秩序か帝国か』細谷雄一監訳(勁草書房)等〕の最近の発言です。アイケンベリーはリベラルな国際秩序に関する著書のある国際政治学者として著名な人です。彼はこう言いました。「まさか、リベラルな国際秩序が殺される日が来るとは思ってもみなかったよ。殺人ではなく、自殺によってね」。リベラルな国際秩序殺しの主犯は、その擁護者であるアメリカ合衆国ですよ。アメリカはその秩序が制約しているルールから、逃げ出そうとしているんですから。

そういうわけで、今日の世界は、こんなパラドックスの状態にあります。中国は民主主義の国ではなく、アメリカは民主主義の国なのだが、リベラルな国際秩序にとってより大きな脅威となっているのは、非民主主義国ではなく、民主主義国のほうだということです。

R・グリフィス そのお話について、もう少し考えてみたいですね。私たちは中国の独裁主義的な罪についての報道を常日頃たくさん見聞きしています。その罪には、やるべきことをやっていない罪とやってはいけないことをやっている罪の両方があるわけですが。少なくとも、西側諸国のメディアではそう報道されています。多数のウイグル族が収容所に入れられていること、国による徹底した監視システムが採用されていることなどです。私たちは過去の思考パターンに戻って、世界を無理に解釈しようとしているのでしょうか? 昔の冷戦神話のような考え方に戻ってしまったということでしょうか? いや、それどころか、冷戦より昔の、第2次大戦神話に戻ってしまっているのでしょうか? そのせいで私たちは、今の問題は貿易についての闘いではなく、民主主義と悪の闘い、一部の人たちが言っているように、独裁政権との闘いなのだと考えるようになったのでしょうか?

K・マブバニ 奇妙なことに、西側のメディアも、有識者たちも、ここ20年か30年ほどの間に中国の業績に関してはどんどんネガティブに言うようになってきていますね。中国の人たちの意見を聞いてごらんなさい。中国の歴史が始まって以来、3000年の間で最もよい30年はいつだったか。彼らはきっと、最近の30年だと言うでしょう。貧困から脱することができたからです。8億人が絶対的貧困から脱出したんですよ。

私が初めて中国に行ったのは1980年でしたが、その頃、中国の人々はどこに住むか、どこで働くか、何を着るか、どこで勉強するか、まったく自分で決めることはできませんでした。それに、中国の国民で海外旅行のできる人などいなかったのです。40年近く前ということになりますね。あなたがもし今、中国に行けば、中国の人たちが、どこに住み、どこで働き、何を着て、どこで勉強するか、自分で決めているのがわかるでしょう。共産主義のグーラグ〔旧ソ連の強制労働収容所〕のような国、旧ソ連のように海外旅行を許さなかった国だと思っていたら、驚くでしょう。毎年、1億3400万人の中国人が自由に海外旅行をしているんですから。

R・グリフィス そのうえ、彼らはちゃんと帰国していますからね。

K・マブバニ 1億3400万人という驚くべき数の中国人が、そのまま外国にい続けることを選ぼうとはせず、自分の意思でちゃんと帰国しているんです。自分の居場所を自分で選ぶことは、力強い信任投票なのかもしれませんよ。これらの人たちは、「私はこの国が好きだ。自分によくしてくれているから」と言っているわけです。彼らはなぜそう言っているのでしょうか? 

中国に対する西側の見方には根本的な問題があると私は思っています。西側の人々は、世界の歴史のなかで西洋が世界を支配してきた200年という見せかけの時間枠にとらわれてしまっているのです。西洋による世界の支配には、もう終わりがきているのに。だから、彼らは完全に異なる世界観のなかに存在する新しい考え方に移行することができないでいるんです。

しかし、中国人の考え方からすれば、これまで2200年の中国の歴史から学んだ明らかな教訓は、こういうことです。中央が弱いと民は苦しむ。中央が強いときは民は利益を得る。ですから、習近平のような強いリーダーは中国では人気があるのです。中国の人たちは習近平が好きです。自分たちの生活がよくなっているからです。

これはアメリカ合衆国とはまったく対照的ですね。アメリカの人口は3億人ほどで、中国の約4分の1ですが、政治の歴史の長さを比べれば中国の10分の1しかない。この政治の世界に出てきたばかりの新興成金の国がこう言っているわけです。「中国よ、私はなにが中国にとって最善か、わかっているよ。君たちは2000年の歴史をもつというが、それなのに、なにが自分たちにとっていいことか、わかっていないんだね」と。

中国のリーダーになった以上は、中国の政治文化を理解し、そのなかで生きていかなければならないのです。中国という国を運営していくには、大変な制約がありますよ。14億もの人々がずっと同じ一つの国にまとまっているなんて、奇跡のようなものだからです。それは恐ろしく大変な仕事です。それには特殊な統治が必要です。単純にトップダウンというのとも違います。どんなことなら国民が受け入れられるか、どんなことなら受け入れられないか、限りなく理解していかなくてはなりません。

だって、14億人が決起しようと決めたら、どんな政府だって抑えることはできませんからね。中国の政治の力学はそんなふうに動いているんです。中国の外にいる私たちが、中国の人々のためにはなにがいいのか、自分たちの方がよくわかっているなどと考えてはいけません。

R・グリフィス 最後の質問です。あなたはシンガポールの出身です。外交官として国を代表する仕事をしてこられたし、シンガポールに住んでいたわけです。この討論会はカナダで始まったものです。アメリカと中国というグローバルな大国がぶつかり合うなかで、カナダやシンガポールのような小さな国が栄えていくためには、そう、栄えていってほしいと私たちは思っているわけですが、少なくとも、生き延びていくためには、どうしたらいいのでしょうか? 現在のこのような状況で、私たちにとっての有利な点があるとすれば、それはなんでしょう? あるいは、率直に言って、現在の状況は中くらいの強国にとっては、地政学的な観点からしても非常に困難な時期になってしまうのでしょうか?

「象が戦うときも、象が愛しあうときも草は苦しむ」

K・マブバニ 今、私たちが思い出すべきは、スリランカのこんなことわざに含まれている知恵です。「象たちが戦うとき、草は苦しむ。象たちが愛しあうとき、草はやっぱり苦しむ」。つまり、超大国どうしが戦っても、愛しあっても、私たちはどっちにしろ、災難に遭うわけです。

私たちにとって重要なことは、第一に……

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