「自由への逃走」カテゴリの行方

この「自由への逃走」カテゴリは逆張りで、「規範や権威は大事だ」というモチベーションに導かれた記事を書いてきた。私自身の認識では少数意見として、「カウンターカルチャー」(内容は正反対だが)のつもりでやっていた。

ところがオリンピックで風向きが変わった。いじめや差別問題で有名人が次々炎上した。

一定の問題や加害性のある行為(前科)が、文句なしに敗北した。オリンピックという特異なイベントによって、今のネット世論の支配的規範のポテンシャルが示されたように見える。

ポリコレという新しい規範や権威の側が、かなりの勝利を収めてしまった。といっても、よくわからない旧来型"権力"が、事なかれ主義的に当事者をクビにした妥協の産物でもあるのだが。

そして小山田さんにシンパシーを抱く、雑に言ってサブカル/カウンターカルチャー気質の人々は、「大衆の倫理的感情が暴走している/強すぎる。コントロールした方がいい。メディアや制度設計を考えよう」といった事を述べているように思う。総体的に言うと。

つまりサブカル/カウンターカルチャー側の立ち位置が、ある種の規範や秩序を求める、保守的な側へと変わってしまったように見える。抑制なき倫理主義に対して、こうした無抑制を、より穏健なものとしコントロールしたい気持ちがあるように見えた。つまり今ではポリコレ的な倫理主義の加熱が、もっともラディカルで、もっともカウンターカルチャー的なのである。

この「自由への逃走」カテゴリの、モチベーションや存在意義がかなり弱くなってしまった。

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