『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』について

人に貸して頂いた。ざっと読んだ。ある意味で評価が難しい。知人はいろいろ言及してるから、感想を書いといたら役に立たないこともないだろう。

この本の語り口に、私はイヤな感じがした。

基本的に、経済学の「合理的経済人」というモデルを批判する本だ。

著者の経済学批判の特徴は、語り口が感傷と道徳的ニュアンスを帯びていることだ。「経済人(働く男)は女性を抑圧することで成り立つ」「経済人には愛がない」「経済人にはケアがない」とないないが続く。

流行りのケアの倫理とフェミニズムで、「合理的経済人にはXがない」という批判が続く。

この語り口が解放的と感じる人と、「イヤな感じ」がする人に分かれるだろう。私は後者だ。

著者の指摘が間違っているわけではない。

経済学は家事労働をGDPにカウントしない。確かにそうだ。

経済学的には環境破壊しても富が増える。確かにそうだ。

人間は、経済学が言うようにインセンティブだけで動くわけではない。確かにそうだ。

人間は合理的ではなく時に感情で動く。確かにそうだ。

経済学は2008年の金融危機を予測できなった。確かにそうだ。

つまり、著者の指摘はいろいろと正しい。私がこの本に嫌な感じがするのは、私が差別的な感性あるいはフェミニズムへの嫌悪を内面化しているからだ、という可能性がありそうだ。なのであんまり批判する気にもならない。こういう時は素直に反省した方が良い。

とはいえ、この「正しさ」が本書の限界でもある。

経済学は家事労働をGDPにカウントしない。確かにそうだ。マクロ経済学の入門書に書いてあるしね。最初の方に。

経済学的には環境破壊しても富が増える。確かにそうだ。経済学の入門書に書いてあるしね。外部性の話だ。

人間は、経済学が言うようにインセンティブだけで動くわけではない。確かにそうだ。人間は合理的ではなく時に感情で動く。確かにそうだ。行動経済学の入門書にそう書いてあるしね。(注:付けくわえると、ジョセフ・ヒースも『資本主義が嫌いな人のための経済学』でそう言っている。だからヒースを好きな知人がこの本を嫌がるのをみると、やはり内面化した価値観や「語り口」の好みの問題ではないか、とも感じる。)

経済学は2008年の金融危機を予測できなった。確かにそうだ。誰でも知っている。

つまり著者のアイデアには、既知の部分と、(私から見て)新鮮な部分がある。既知の部分では経済学の知識に「寄生」している。しかも経済学者自身が気付いて指摘しているモデルの不備を、非難している。これがフェアな態度かはわからない。

また経済学の入門書に数行や数ページでさらっと書かれた部分を引き延ばしたような文章を、どう評価するかという話になる。やっぱり『資本主義が嫌いな人のための経済学』のほうが、知的に刺激される感じはある。

経済人モデルの批判に、感傷と道徳的ニュアンスを付け加えた点が目新しかった。

「ないないという批判はあるが替わりとなるモデルがない」とか「その色々不備のある経済人モデルも、ないよりは予測や政策の役に立ってるんじゃないの」というのが正論かもしれない。

そしてこれは「語り口」のちょっとした変化に過ぎないともいえるし、語り口のちょっとした違いが大切なんだともいえる。

以上、書き飛ばしでした。

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