グローバリゼーションは、中間層や労働者を貧しくしてきたか?

はじめに

柿埜真吾『自由と成長の経済学』(PHP新書 2021年)を読んだ。

大雑把に言うと、「資本主義やグローバリゼーションのせいで、世の中はどんどん悪くなってる」といった思想を、様々な統計データと角度から批判した本である。ハンス・ロスリング『FACTFULNESS』(2019年)など類書は多いものの、日本の論壇を強く意識した点が希少と思われる。第7章の斎藤幸平『人新世の「資本論」』批判は、一読する価値がある。

しかし先進国中間層の苦境については、ほとんど触れられていない。「資本主義やグローバリゼーションのせいで、世の中はどんどん悪くなってる」と批判する、マルクス主義系書籍が大きな支持を集めるのは、先進国中間層のの苦境に敏感だからである。

どちらかと言うと、大局で同意できるのは柿埜さん>斎藤さん なのだが…。

グローバリゼーション肯定論と否定論、それぞれにおける盲点について、この機会に解説しておきたい。

進歩主義者のグラフは一本調子

柿埜さんは「世界は資本主義のおかげでどんどん良くなってる」と論じるなかで、証拠となるグラフをガンガン出してくる。例えば次の「世界の貧困率」グラフは印象的だ [※出所は世界銀行。日本語でもその解説を読める(URL)]。

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確かに一般論として、ある国における経済発展は、貧困削減に大きな効果がある。そして本書が紹介する"比較優位の原理"(69頁)は、グローバルな自由貿易が、途上国の経済発展を促すことに理論上の"お墨付き"を与える、定番の説明装置だ。

いわば本書は、経済的"進歩主義"の書である。私が言う「進歩主義」とは、この記事では次のような考え方だーー貿易を拡大し、経済を成長させれば世界は良くなる。世界各国の経済は、基本的に縮小ではなく拡大する。したがって世界は、未来に進むごとにどんどん良くなるだろうーー。

進歩主義者が注目するグラフは、一本調子のグラフだ。良いものが歴史を追うごとに、ますます増大していったり(GDPや平均寿命)、悪いものがどんどん減少する (貧困率や病気の死亡率)。

進歩主義者の盲点を鼻で叩く:エレファント・カーブ

 ブランコ・ミラノヴィッチの著作は、「よいグラフに注目する」という進歩主義者の見方に当然生じる、深刻な盲点を暴いた。ミラノヴィッチの著作『大不平等』(2016年:13頁)では、しょっぱなに"エレファントカーブ"と呼ばれる、S字に似たカーブが提示される。

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図は、1988-2008年における「1人あたり実質所得の"相対的な"伸び」を示している。

進歩主義者が触れない、先進国中間層の苦境。このグラフが示すものはそれだ。先進国の中間層は、グラフ点B付近の、深い谷間に転落しているという。

点Bにいる典型的な人々は、アメリカ、日本、ドイツの国内で、所得分布の下から半分に属する人々だ。つまり同じ国で暮らす人々と比較して、中の下かそれより下の経済状況にある人々だ。

点Bの人々は1988-2008年の20年で、実質所得が殆ど伸びていない(ドイツ:0~0.7%、アメリカ:21~23%、日本:"低下";15頁)。この結果とともに、ミラノヴィッチは述べる。

まさかあれほど自慢げに語ったグローバリゼーションが大半の市民にーー新自由主義の政策は保護主義的な福祉体制よりも有利ですよと説得した、その当の相手にーー明白な利益を届けられないとは、予想もしていなかっただろう。(前掲書15頁)

ミラノヴィッチが「高度グローバリゼーション期」と呼ぶ1988-2008年の20年間に、先進国の中間層・庶民は豊かにならなかった。

 だからといって経済進歩主義的な見方は、全くの誤りではない。"エレファントカーブ"のグラフを再掲する。

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点Aとその左右の広大な領域にいる人々は、1988年から2008年までの20年間で、大きな実質所得の伸びを実現している。平等主義的価値観を持つ人ならば、次に述べることはきわめて重要になる。大きく実質所得が伸びた人々は、各国における富裕層ではない

ミラノヴィッチによると、点Aを含む図の横目盛り「40」から「60」までの付近の人々は、「10人中9人まではアジアの新興経済の人たち」(14頁)だ。世界人口の5分の1に相当する。地域で言えば、中国、インドやタイ、ベトナム、インドネシアの、それぞれの国の中で所得分布の"中位"にいる。各国の中間層ということだ。

点Aより左には、それより貧しい層が含まれる。世界で最も貧しい10%の人々は、10~40%台の伸びに留まっている。"10%"という伸びは、先進国中間層より大きいものの、図の全体からすれば見劣りがする。

 この図は世界人口も表している(12-13頁参照)。横目盛り「50」付近までに、世界人口の50%がいるのだ。したがって世界で最も貧しい10%の人々は、世界人口の10%でもある。

これよりも豊かな階層の人々は、20年間で実質所得の伸びが40~70%だった。つまり世界人口の約6割が、20年間でこの規模の所得"増加"を経験した。1人の途上国の国民と、1人の先進国国民の命とを平等に扱う功利主義・最大多数の最大幸福の見地からすれば、この成果は高く評価されるべきものだ。

日本で想像すると、例えば1988年における25歳の青年の所得が200万だったとすると、年に実質所得が2%や3.5%ずつ伸びるとして、2008年における25歳の青年の実質所得は300~400万になる、といった事態だと思われる。

 上記を踏まえグローバリゼーションの含意を、分かりやすく述べよう。それはつまり、日本人の中間層が、「この20年で所得はなにも増えませんでした。ぜんぶ資本主義とグローバリゼーションが悪いですね!」と途上国のひとに共感・連帯を求めても、「??」となり、同意されない可能性が高いのである。

ミラノヴィッチの言葉を引用すると、「簡単に言えば、最大の勝ち組はアジアの貧困層および中間層で、最大の負け組は豊かな世界の下位中間層だということだ」(15頁)。

金融危機に対する見方もまるで違う

 金融業界はそれがもたらすとされる格差拡大・金融危機によって、先進国の左派から死神のように憎まれる。しかし途上国の中間層には、世界金融危機がプラスに働いたかもしれない。下記は2008-2011年という、世界的な金融危機後のデータを含むグラフと、含まないグラフを重ねたものだ(34頁)。

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世界金融危機後の3年間を加えると、世界の最下位から数えて8~9割程度までの人々の実質所得の伸びが、いっそう大きく増加する。この金融"危機"の所得増加へのダメージは、豊かな世界の豊かな人々に偏っていた。

結局、グローバリゼーションをどう捉えればよいのか

 ここまでの話を整理しよう。20年間のグローバリゼーションで、先進国の中間層はほとんど所得増加を得られなかった。これに対し、途上国の中間層とそれより貧しい階層では、かなり所得が増加した。グローバリゼーションの進行は、"グローバル"には貧しさの縮小をもたらしたのだ。

資本主義とグローバリゼーションは、途上国の庶民を豊かにした。しかし同時に、先進国の中間層にツラくあたっている。

したがってこう評価できる。

経済的進歩主義は、「資本主義とグローバリゼーションは途上国の庶民、あるいは世界人口の大半を豊かにしてきた」と示す点で正しい。しかし先進国中間層の苦境を見ず、苦境に対して冷淡ないしは鈍感だ。

別の立場として、世界の「労働者」におけるグローバリゼーションの影響の不均衡・不平等を区別せず、「資本主義とグローバリゼーションは、"労働者"を貧しくしてきた」と語る、古典的左翼のスタンスがある。これは現代の先進国の中間層に関して妥当し、国内では支持されやすい。

しかし途上国には当てはまらない。世界の"労働者"は、一枚岩ではない。途上国の労働者の経済的利害には、先進国の超富裕層と似ている面がある。ひょっとすると"労働者の連帯"は、先進国の国境や国籍で止まるのかもしれない。

まとめると、途上国における資本主義やグローバリゼーションの「功績」部分を否認することは、フェアな見方ではない。同時に、先進国中間層にとって、グローバリゼーションが経済的停滞を招いていると認識しない事も、公正ではない。

 このため伝統的に国際的な連帯を重視する左翼は、難しい位置に立たされる。国内中間層の苦境に多く共感すれば、経済ナショナリストに接近する。世界的見地から途上国労働者に多く共感すれば、グローバリストに接近する。

グローバリゼーションを考える場合、進歩主義者、古典的左翼それぞれの盲点を認識する必要があると思われる。

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