百面相と坊主憎けりゃ・・・

昔から、子供の頃から好き嫌いが凄く激しかった。
一度嫌いになるとそれが覆される事が殆ど皆無だ。

子供の頃「人を嫌いになっちゃいけない」という躾けをされた記憶がある。
「みんなと仲良くしなさい」
「友達をたくさん作りなさい」
「たくさん友達がいる人は偉い」
そんな呪文に縛られていたと言うか、魔術にかかっていた様な気がする。
正直、ワタシは友達を作るのが苦手だ。
でも、友達がいなくちゃいけない呪いにかかっていたが故に無理矢理「友達と思われる存在」を作っていた気がする。
本当に好きで、仲良くなりたくて、気が合って友達になった訳じゃないから
最初から粗ばかりが見える。
どんなに仲良くしようとしても、心のどこかで無理をしている自分がいた。
そして、子供の頃はなおさら皆に好かれている人と友達でいる事が必須条件だった。
だから、皆から浮いていたり、風変りだったり、嫌われている人と友達になることは決してなかった。
その子の外見だけで、外からの評判や印象だけでその人となりを決めつけていたような気がする。
もちろん、子供の頃はそんな複雑な事を考えてはいないから無意識に人気者と仲良くなろう、と努力していたんだと思う。
そう・・・仲良くなる、友達になる努力をしていたのだ。
だから、努力を止めるとその人の粗ばかりが目についた。
そして一度「嫌だ」と思うと、きびすを返すようにと言うか、手のひらを返すように嫌いになった。
正に「坊主憎けりゃ袈裟迄憎い」であった。
廊下ですれ違う時なんか息を止めていたものだ。
昨日迄あんなに好きだったのに、仲良くしていたのに、仲良くしていたかったのに、今日になったら顔を見るのも嫌だし近くに寄るのも嫌。
なんだこの極端な性格は!?
・・・とずぅっと自分で自分に腑に落ちなかったけど、こうして書いているうちに分かったな・・・
「努力して友達になろうとしていたから」なんだと。
好きだから、気になるから、友達になりたい!じゃなくて
「友達を作らなくちゃいけないから、好きなとこを見つけて気に入って貰う努力をしていた」んだ・・・
あぁ・・・そうか・・・だから長続きしなかったんだ。
「友達がいない」=「ダメな人」って言うレッテルを貼られていたというか、自分で貼っていたというか。
それだもの嫌だと気づいたら終わりだわ・・・
怖かったんだ。
友達がいなくて寂しい人、残念な人、嫌われている人、
って見られることが・・・
外からどう見られるかが自分の価値基準だったんだ。
坊主が憎いから袈裟迄憎かったんじゃなくて、袈裟すら憎い位その坊主が憎かったんだ・・・(わかりそうでわかりにくいけど)
いい人のフリして、仲良くなりたフリして近づいて、友達になりたいフリしているもの、いつかそんな仮面ははがれるし、一緒にいる人は違和感もあるし居心地も悪い・・・
なぜ「孤独」は悪いものになったんだろう。
なぜ「友達」は必要不可欠になったんだろう。
孤独が故に心が強くなったり、繊細になったり、深く考えたり出来るのに・・・
友達がいる故に、傷ついたり、苦しんだり、悩んだり、辛い思いをしたりするのに・・・
・・・気づくの遅っ・・・
でも、気づいて良かったねアタシ。
「友達作るの苦手がアタシ」も百面相の一つだもんね。
いいじゃん!!
坊主憎けりゃ袈裟も着物の足袋も憎くてさ。
全否定結構!全否定上等!
アタシはそんなアタシを認める事が出来たんだから。
やっぱりnote面白い。
自分で自分をカウンセリングしてるみたいだ。
noteを始めなかったらきっと気づかなかっただろうな。
百面相の一つ一つを見つけていくって、ちょっとヒリヒリするけど
ちょっと楽しい。
まだまだ「百面相の旅」は続くのかもしれない。
いや、続けていこう!コツコツとね!

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