英語の世界が心地いい理由
私が小学校の時になりたい職業として発表したのは「通訳」だった。でも本当にしたかったのは、世界中を旅する人になりたかったんだな。
小学生の頃、毎週末になると母に連れられて叔父の家に遊びに行っていた。その叔父が必ず見ていたテレビ番組が「兼高かおる世界の旅」、これが私のルーツだった。世界中を旅する彼女を見ながら「地球上にはこんなところがあるんだ。」と思った私は、「通訳ってのになれば、世界中を旅できるのかな?」と思っていたのだと思う。
だからと言って、学生時代に英語の勉強を猛烈にしたとか、留学した、は無い。チャラチャラした女子大生が「英会話習ってます~」程度で通訳からは程遠いところにいた。そしてその頃だんだんと気づいてしまった、「通訳になりたい訳じゃなくて、色んなところに行きたいだけなのよね。」ってことに。
私が英語を猛烈に勉強せざるを得ない環境に至ったのは、約10年間外資系メーカーで働いていた頃。「外資系の会社ですけど、英語を使うことはほとんどないから安心してくださいね。」と言われて働き始めたけれど、それはウソだった。だって、直属の上司はアメリカ人だし、その部署は、海外からの転勤者をサポートする事が仕事だったのだから。
英語で仕事をこなせるようになった頃、「あれ?私、英語で話す方が自分らしい?」そんな風に感じることがあった。決して帰国子女たちのように、流暢な英語が話せる訳ではない、自分の言いたい事の半分も英語で伝えることができていた訳でもない、でも、なぜか「自分らしいかも?」という思いが芽生える不思議な感覚。
人の集まりでおしゃべりをする時、私はどちらかというと聞き役だ。皆の話を波風たてずに聞いている。自分がわーわー喋るより聞く方が居心地いい。ところが、どうしても腑に落ちないフレーズが耳に入ると、何かのスイッチが入って、「それどういうこと?」かなり理詰めで問い詰めてしまう(らしい)。
自分にとっては違和感のない自然な行動が、周りの人からすると「さっきまで大人しくしてた人がどうしたの?案外きつい性格なのね。」と見えるらしい。何度かこんな経験をして、喋らない私が出来上がっていた。
英語で話す世界では、これがない。さっきまで話を聞いていただけの人が、突然鋭い質問をしたからって非難されることはない。「おー、そんな考え方もあるね。」「いい質問だね。」「面白いね。」と、むしろ歓迎してくれる。
私はこっちの世界が好きなんだな。だから英語の世界が心地よいと感じてたんだな。外資系メーカーを退職した後、英語を使う機会もなくなって、あの頃の語学力は既に消滅してしまったけれど、英語の世界の居心地良さだけは、私の身体の記憶として残っている。
久しぶりに遊びに来てくれた友人と話をしながら思い出した、私の身体の記憶のはなし。それだけ。
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