【舌打ちについて考える】

先日ひさしぶり(というか初めて?)に舌打ちをする大人を見かけたので、舌打ちについて考えたい。
見かけたというか、仕事で出会った。

関わりの薄い私から見ても多忙な人で、その人の多忙さがピークにきていたときだったのだと思うのだけど、
静かなオフィスに舌打ちが響いた。

そのとき私の頭に浮かんだのは、

舌打ちに対する突発的な嫌悪感と、
「私が原因の一つだったりするのかな」という心配と、
失礼ながら「いい大人なのにな」という呆れだったように思う。

中でも保身に走りたい私は真ん中の感情が色濃くて、その直前の自分の仕事を振り返り、一瞬「何が悪かったのかな」と浮かんだ。
その時の作業は当然止まったし、思考も引っ張っていかれてしまった。


そして、思い至った。
「なんで舌打ちってこんなに怖いの」

どう考えてもその人の舌打ちで私の感情が、左右される必要なんてないし、そうなるように頼まれているわけでもない。
その人もそんなの想定してないだろう。
ただその人が、その人の感情を昇華するためだけに一瞬行われる舌打ちという動作に、なぜ私は瞬間的に思考回路を奪われてしまったのか。
私に害はないのだ。唾を飛ばされたわけでもないし、その音で鼓膜がやられたわけでもない。

ただ私の中の認識として、「舌打ち=機嫌が悪いときのどうしようもない感情の発露」というものがあり、「②職場の自分にとって無関係でない人間」が、「③目の前」で「④機嫌が悪くなってしまった」からだ。 
この四要素のどれかが欠けていたら、私はきっと全く気にならなかった。
道行く人が舌打ちをしていたら嫌なことがあったのかな、と思う程度ですむし、イヤホンをつけていることが多い最近はそもそも耳にも届いてこないだろう。

誰かから又聞きする形で「◯◯さん、さっき舌打ちしてたよ」なんて言われたら(そんな場面一生なさそうだけど)、ほお!と相槌を打ちながら、頭の中では夕食の算段を立てるはずだ。

と、こんなことをぬるぬると考えているうちに、肝心の舌打ち事件は正直なんでも良くなってしまったし、その人も30分後にはしれっと雑談に参加していた。
おさまるものがおさまるところにおさまったのか、その人なりに折り合いがついたのかは定かではない。

でもやっぱりその後、その人とはあんまり仕事したくないなと思ったので、その気持ちを消化させるために書いている。

そもそもなんで私は舌打ちに嫌悪感があるんだろう。
口から出す音は品がないものだということか。
確かに咀嚼音はあまりにも大きいと不快な思いをする人が多いらしいし、私も気になったことはある。
これについてはまた整理して考えてみようかな。
面白そうだ。

相変わらず話はまとまらない。


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