2024-07-07の日記

母の車椅子を押した。
20代半ばで回復の見込めない病気の親の車椅子を押すとは思っていなかったけど、逆にパワーと体力のあるうちでよかったと思う。

この1週間ほぼ寝たきりだった母も車椅子に乗るのは初めてで、お互い手探りだったけれど、私はわりと楽しんでいた。

ただ、今は車から車椅子への乗り降りは自力でできるものの、かなりつらそうだし、うまく力が入らず転倒する日もそう遠くないと思った。

私の足で歩いて10分の投票所に母を連れて行くために、片道30分かけてシェアカーを借りてきて、投票所で5分かけて駐車した。

住所が違うので私は投票しないし、一応身分証があった方がいいかなと会場に財布を持っていったけど、まったく必要なかった。
ちゃんと信頼関係のある血縁者だってことはひと目見たらわかったんだろうな。
スタッフの方は皆ごく普通に、しかし必要があれば助けようと言う雰囲気で接してくれた。
余計なことは言わず、入れやすいように投票箱を傾けてもらえたのがとてもありがたかった。
記入台のところで私が母の真後ろに立ったままでいたら、周りからちょっとハラハラした雰囲気を感じたので、記入台に背を向けた姿が母の視界に入るように立って待った。


なぜか、車椅子を押すのは初めてではないような気がした。
スーパーのカートを押すのとは違うこと、急転回や急な加減速をしないこと、乗ってる本人に数秒先の動きが予想できるようにこまめに声掛けすること。

小中学生の頃に学校の図書室を読み尽くす勢いであらゆるジャンルの本を読んでいたし、福祉への関心が特別高い時期もあったから、どこかのタイミングで読んでいたのかもしれない。
映画で見た動きを覚えていたのかもしれない。
仕事で荷物を載せた台車を押す動きと似ていたのかもしれない。

理由はなんであれ、全部、母が自分で歩く感覚とできるだけ近くなってほしいという祈りに近い願いがあったからできたのだと思う。

夜には今後の相談をされた。
痛みが強く自力で外出できない状況となって、今後緩和ケア病棟・ホスピス・自宅療養のどれを選ぶかという内容だった。

「痛みはあるし思うように動けないけど、意識はちゃんとあるし、すぐ死ぬ感じはしないんだよね」と言っていて、そうなんだろうなと思う一方、痛みを十分に緩和させるためには意識が朦朧とする強さの薬が要るのだろうなと思っている。
病気そのもので意識が危うくなるより、痛み止めの作用で頭が回らなくなるのが先だろう。
もうすでに複雑なことの理解力が落ちているし、薬が効いているタイミングでは会話の最中にうとうとしていることもある。


とか書いてたら「ごめん、痛みが強くてまた入院した」と連絡が来た。
早いよ〜。
謝らなくていいのにと思うけど、枕詞みたいなものなんだろうな。話しやすいならそれでいいよ。

今度面会に行くときに手紙を持っていく。
「病棟に入ると入院と同じ扱いになるから面会が限られる」と寂しそうにしていたから。

会話は後から思い返すにも夢と現実の区別が危うくなっているけれど、手紙なら読むたびそれは現実の言葉だとわかるし、読めなくても手紙がそこにあるということがひとつの支えになったらいいと思う。



猫を看取った時のことを思い出す。
あなたの苦しみが和らぎますように。
あなたが安心していられますように。
それだけを願ってそばにいたことを思い出す。

その祈りのような願いを現実に還元するためにどうすればいいのかを考えていく。

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