自由“の”時間

誰もいないしんとした時間。
皆が寝静まった時から始まる一人の時間。
この時間が僕にとっての自由の時間。
自由"の"時間が始まる。

電車の終電の後、暗く灯りの灯っていない駅前で自由の時間が始まった。
どこからとも無く集まってくる人々は、各々自由の時間を満喫している。
昼間に何かに追われていた彼らは、自由を求めてこの時間に出てくる。
駅前で大騒ぎする者もいれば、恋人への溢れんばかりの想いを伝えているカップル、暗くなったショーウインドウに向かってダンスの練習をする若者。
皆、自分なりの自由の時間を謳歌していた。

自由にはルールがある。
本来、僕たちには自由な時間はない。
僕たちにあるのは、自由"の"時間を満喫する権利のみある。
自由は思想、自由は概念、自由は責任、自由は意志なのだ。

自由を満喫するには自由を感じるのだ。
自由を感じるには自由を語るのだ。
自由を語るには自由の重さを測るのだ。
自由の重さを測るには自由を観測するのだ。
自由を観測できれば、自由を知ることができる。
そして初めて自由を満喫できるのだ。

自由にはルールがある。
ただ一つルールがある。

自由の時間を謳歌するには、他人の自由の時間を侵してはならない。他人の自由の時間を侵した者には自由の時間は与えられない。

そうして他人との距離を保ち続けることで、各々の自由の時間が守られるのだ。


シンと寝った夜。
けれど誰かが活動している。
その時間を何人たりとも侵さないルールがあるからこそ、各々の自由の時間は完成するのだ。

ここは夜だぜ。
自由の時間だ。

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