見出し画像

海にはなりたくない

 占いへ行くと「良妻賢母タイプだね」と言われる。生年月日でもタロットでもルーンでもそうだ。深い意味を持って言っていないのはわかるけど、わたしは誰の妻でも母でもないのでそんな言葉で褒めたつもりになられちゃ困るというものだ。なぜ果たしてもいない役目を割り当てられなきゃならないんだよ。
 ご覧のとおり、わたしは優しくない。褒め言葉を素直に受け取ることもできない狭量な人間だ。自分が恵まれた環境に置かれていることを理解しつつも、そうではない環境にいる人たちへ思いやりの気持ちを持つことができない。顔も知らない人々はもちろん、仲の良い友人にだって優しくできない。あなたたちのこれまで育った環境や今の状況などわたしには知ったことではないと感じる。そう、わたしは自分の掌に収まるだけの今に精いっぱいで、誰かを思い遣って慈しむことなんか本当は全くできていないのです。でも、それって果たしてわたしの罪なのでしょうか。人々の背後に透ける彼/彼女らの人生や生活を思うと責められているように思えて苦しい。わたしはわたしのことで苦しんではいけないのですか、何も不自由してはいけないのですか。金にも人にも困らない豊かな人間としてお天道さまの元をにこにこと大手を振って陽気にご機嫌に歩いていかねばならないのでしょうか。

 そうなのかもしれないね!

 わたしの本名には海に由来した単語が使われている。それはおそらく響きで選んだあとの後付けの意味なのだが、その割には“海のような広い心を持ってほしい”など大層な願いがこもっているようだ。慣用句として使われる“海のような広い心”とは、素晴らしく寛容で何者に対しても平等に愛を与える度量の大きな様を示しているのだろう。そして海はしばしば女性の象徴としても表される。まさに良妻賢母といったところでしょうか。
 わたしはそんな海にはなれないし、なりたくないと思う。わたしは手中に収まるだけの、自分が優しくできるだけの今に精いっぱいでいたいのだ。

優しくいたい
海にはなりたくない
全てへ捧ぐ愛はない
あなたと季節の果物を分け合う愛から

季節の果物/カネコアヤノ

そもそも海だって誰かに恵みをもたらす一方で誰かをころしたり、しているじゃないですか。たしかにわたしが人に優しくできないことは罪かもしれない。こんなに優しい世界に生まれたのにさも不幸かのようにどんよりとした顔で燦々とした陽の下を歩くなんて、馬鹿げたことなのでしょう。こんな素敵な生活ができる環境にいるのだから両手を大きく広げて、いろんなひとを愛しむべきなのかもしれない。でもやっぱりそんなのはどうでもいいと思う。わたしが小さくて惨めであることは罪ではなくて、ただの事実なので。
 わたしは海の心を持った人間ではないのですべてを受け入れることはできないが、今わたしがみているあなたたちのほんの一面にだけは優しくありたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?