自分育て直し日記。

千里の道も一歩から。たいがい いい年になりましたが、まだあきらめません。自分育て。

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最近の記事

「弱者」と「救済者」のカラクリ

幼少期、自分の身のまわりに「弱者アピール」をする人がいた場合、自分自身が必然的に「救済者」にならざるを得ず、それが常態化すると、その後、「人助けの人生」を歩むことになります。 そして、「救済者」である当人は、自分の生きづらさが「人助け」に端を発しているということになかなか気付けないんですよね。 なぜならば、人助けはいいことだし(一見、利己主義の対極にあるように見えるし)、人から感謝され、必要とされることで、自分の存在意義が確認できるから。 実のところ、救済者は、人の世話ば

    • 望むようには愛してもらえなかったかもしれないけれど

      小さい頃から、有形無形を問わず、自分が欲しいと思ったものが、なぜか手に入らないという憂き目にとてもたくさん遭ったせいか、自分は「与えられない(与えてもらえない)」人間なのだと、意識下に強く刷り込まれてしまったようで。 物理的にも精神的にも、自分より遥かに満たされていると思える同級生と自分を見比べては、いつもみじめな気分になって、自分の境遇を呪っていました。 乞食根性というか、自分の中に、常に飢えが巣食っていて、人様からの施しに目の色を変えて飛びついていたんですよね。 今思

      • パーフェクトな球体(にならなくてもいい)

        完璧で、完全無欠で、誰に頼らずとも生きていけるような、そんな人間にならなければと、ずっと思っていたんですよね。 自分ひとりだけで、完全な、欠けのない、パーフェクトな球体にならなくてはいけないと。 でも、ここへきて、私が持っている「欠け」は、誰かや何かが持っている「余分」で埋めてもらえばいいんだと、自然にそう思えるようになりつつあって。 私だけで球体になるのではなく、私を取り巻く世界全体で球体になればいいんだと。 本来、自分が備えていないものを、必死になって取ってつけよう

        • (余計な)言葉はいらない

          母のセラピストを務めていたときに身に付けた姿勢というか、スタンスというか、人に対して積極的に言葉をかけて、心を和ませ、励まし、やる気にさせるということを、ずっと踏襲してきました。 自分には、それだけの度量があり、ゆえにそれは私が果たすべき役割なのだからと。 今思うと、「それだけの度量がある」わけではなく、それだけの度量がある人間に「なりたかった」、あるいは「そう思われたかった」だけだったんだなと。 そうすることが自分にとって自然だから、そうすることが自分にとって心地よいか

        「弱者」と「救済者」のカラクリ

          タクシーの車内にて

          一昨日、最寄り駅から自宅まで、めずらしくタクシーに乗りました。 車に乗り込んで、50代後半とお見受けする男性の運転手さんに行先を告げ、さて、財布の用意を、と思ってカバンをゴソゴソ、やっと見つけてそれを取りだそうとした瞬間、「うわっ!」という運転手さんの慌てた声とともに、ブレーキがゆっくりと、しかし勢いよく、ぐぅーん!とかかり、体が前のめりになって、財布を床に落としてしまいました。 財布を探すのにカバンをのぞいていたため、何が起こったのか見ていなかったのですが、どうやら、私

          タクシーの車内にて

          あなたは誰ですか?

          職場の異動を繰り返していると、以前同じ課だったり、近くの課だったりして、仕事上の関わりがあった人と、再度巡り会うことも珍しくなく。 今のフロアにも、そういう人が少なからずいて、そのうちの一人は、今から20年ほど前に同じ課、さらに今から4年前に隣の課にいた同期の男性で、かつて、同じ課だったときに、何か仕事の押し付け合いのようなことになったんだったかどうだったか、すでにディティールの記憶はないのですが、いずれにせよ、それで険悪な雰囲気になってしまって、関係の修復ができないまま、

          あなたは誰ですか?

          「こなす」から「味わう」へ

          まだまだ続く、新しい職場ネタ。 採用されたばかりの頃、とても気の合う同期の男の子がいました。 おっとりしていて、やさしくて、よく気の回る子で。 一緒にいるとホッとするような素朴な温かみがあって、話がいつまでも尽きなくて。 残念ながら、彼が、あっという間に別の人と結婚してしまったこともあって、それこそ20年以上もコンタクトを取っていなかったのですが、なんと、4月から同じ課で仕事をすることになり。 とてもうれしく思った反面、ひさしぶり過ぎて、なんだか照れ臭いなぁと思っていた

          「こなす」から「味わう」へ

          「ダメな自分」は何とかしない方がいい(その2)

          「大人げないと思われるんじゃないか…」と思いながら、大人げない言動をする。 「なんて自分勝手な人間なんだ…」と思いながら、自分だけ事なきを得たいと思う。 「いつもニコニコしていないといけないのに…」と思いながら、不機嫌さを押し隠せない。 これの何がよろしくないかというと、この「 」の部分、自分に対する「罪悪感」をベースにしているということ、それが諸悪の根源だと、あらためて認識したんです。 自分には根深い罪悪感があるなということは、かなり前から気が付いてはいたんですよね。し

          「ダメな自分」は何とかしない方がいい(その2)

          「ダメな自分」は何とかしない方がいい(その1)

          たとえば、私が長らく(本当に長らく)やってきたことですが、「ダメな自分を何とかしなければ」と思っているとしますよね。 あるいは、「もっとこうしなければ」とか、「今以上にこうあらねば」とか。 そうすると、日々、何とかしなければいけない「ダメな自分」、何かを身に付けなければいけない「不十分な自分」、よりよい自分になる必要がある「至らない自分」というものを、ずっと意識し続けることになるわけです。 この日記でも何度か書いていますが、24時間365日体制で、自分にダメ出しをし続けて

          「ダメな自分」は何とかしない方がいい(その1)

          自分が自分でいることに安らいでいられるか

          しつこく職場(の上司)の話。 新しい職場の居心地のよさ、特に、直属の上司の感じのよさについて、その理由をぼんやりと考えていたのですが、ふと思い当たったことがあり。 それは、人に期待していないというか、こうするべきでは? こうあるべきでは? という(有言無言の)圧が感じられないということ。 クセのある人、問題のある人に対して、あの人はああいう人なんだよねー、この人はこういう人なんだよねー、で終わり。 目くじら立てて問題視することもせず、かといって、あれでいいところもあるん

          自分が自分でいることに安らいでいられるか

          「育ちがよい人」の秘密

          さきほどの記事で、今の職場の雰囲気がすこぶるよいと書いたのですが、うちの課の課長と、その課長をサポートする立場にある、まさに読んで字のごとくの課長補佐の仲がとてもよく、隙あらばお互いに冗談を飛ばし合って、毎日笑いが絶えない状況下にあります。 課長の人となりは、正直まだよくわかりませんが、大らかで、朗らかという印象。コンビを組んで丸1年経ったところの課長補佐に全幅の信頼を置いていて、「こいつに任せておけば何とかなるだろう」という余裕が垣間見える感じ。 そして、この課長補佐、

          「育ちがよい人」の秘密

          「私がやらなくちゃ!」の法則(さらにその後)

          この4月から、新しい職場に異動になりました。 前の部署には通算4年いましたし、一応希望も出していたので、その意味では想定どおりでしたが、異動先がかなり意外な部署で。 相変わらず、転職するぐらいの勢いで、まったく異なる業務に携わることになります。 前任者からの引継ぎの際に聞いた話では、山盛りの仕事に重い責任、難しい人たちがわんさといる外部組織とガッツリ関わらなくてはならない、とのことで、かなり緊張して、怖気づいてもいたのですが(3月の最終週あたり、ずっと胃腸の調子が悪かった

          「私がやらなくちゃ!」の法則(さらにその後)

          またしても、オラクルカードに背中を押された話

          夏に、オラクルカードに背中を押された話を書きました。 10年以上も没交渉だった後輩に連絡を取るにあたって、逡巡する気持ちがあったため、試しにカードを引いてみたわけですが、見事に「古いものを手放して先へ進め!」という趣旨のカードが出て、うーんと唸ったという話。 そして先日、新しく始めたいことがあったものの、1歩踏み出すことに躊躇する気持ちがあり、普段、どちらかといえば、新しいことにはためらいなく飛び込めるタイプなので、何が引っかかっているのか、本当のところどうしたいのかを確か

          またしても、オラクルカードに背中を押された話

          おならと鼻水

          いったい何の話だ?!と思いますよね(笑) 先日、うちの上司(男性。私より4つ下)と雑談をしていたときに、どういう流れでその話になったんだったか、上司が「いやね、僕、許せないことがあるんですよ。聞いてもらえます?」と言い出しまして。 基本的に、当の上司と私はあまり共通項がなく(言ってしまえば、共感できるところが少ない。と言うと、上司は決まって「なんでそんな冷たいこと言うんですかー!」。だから、そういうところだっつんてんだろーが!という(笑))、はいはい、また何か始まったなと

          不可能が、新たな可能を生む

          もともと、自分があまり恵まれているとはいえない境遇で育ったこともあり、どうしても、生まれついての苦労人、幼少期の劣悪な環境から這いあがった不屈の人、そういう人たちに惹かれます(そして励まされます)。 先日、職場で回覧されていた冊子に、穴澤雄介さんというヴァイオリニストのエッセイが載っていました。 不可能を可能にするのではなく、不可能が新たな可能を生む。 弱点の克服ばかりに気を取られれば、長所を探す機会も伸ばす時間も失う。 苦肉の策は最善の策… 私のちっぽけな苦境なんぞ、

          不可能が、新たな可能を生む

          「私がやらなくちゃ!」の法則(その後)

          4か月ほど前、「ババを引かないトレーニングの話」を書いたのですが、その後、新しく降って湧いた重たい仕事を任されることになりました。 この局面で、「いや、私、そんな仕事やりたくないんで!」などとは到底言えず(ここが、自営業者と勤め人の大きな違いですよね。勤め人の場合、基本的に、命じられたことには応じる必要がありますので。応じられないなら辞めなさい、という話になる)、能力的にも、私以外の担当者に任せるという選択肢はないということもわかっていましたので、観念したわけですが。 精

          「私がやらなくちゃ!」の法則(その後)