半エッセイ 「夏の箱庭」

「夏、暑すぎー!」

 部活への道すがら、親友に抱きつかれる。暑いのならくっつかなければいいのに、彼女は頑なにこの姿勢で話しかけてくるのだ。続く「アイス食べたい!」という悲痛な叫びで、私は財布の中身を思い出した。「金欠でーす」彼女を剥がす。部活前に買うスポーツ飲料が残額を削り取っていたから、この頃は鈍い色をした小銭しか入っていなかったはずだ。
 ぶつくさ言い続ける彼女を置き、ひと足先にテニスコートの芝を踏みしめた。私たちの舞台だ。ラケットで顔を扇ぎながら太陽へ恨みの念を送る。視線は無意識のうちに青いコートへと惹きつけられた。

「先輩、相変わらずかっこいいねえ」
 背中への衝撃と同時に笑みを含んだ声を浴びた。”かっこいいねえ”に込められた感情を、私は正しく読み取った。人の恋やら好意やらを面白がる彼女の面倒くささには慣れた。あしらう。
「はいはい妬かないでダーリン、愛してるよ」
「やだ、鳥肌立っちゃった」
「私もだよ。ほら」
 半袖から伸びる腕を見せ合い、吹き出した。彼女とは遥か昔からこうして笑い合っていた気がしてくる。出会いはわずか1年前の5月のこと。体験入部で出会って、それから……。だめだ、全然出てこない。
 頭をフル回転させてなんとか「私たちのビューティフル・フレンド・ストーリー 〜出会い、そして道のり〜」の3章に辿り着いたところで、「顔」と小突かれた。過去のことはいいか。重要なのは今この瞬間だけなのだから。笑顔を作る。彼女が呟く。
「告白しちゃえばいいのに」
 遠く脚光を浴びる先輩を見る。「できないよ、知っているでしょう」を飲み込んだせいで、会話が滞ってしまった。わたしはこういうのが本当に下手だ。こんなやりとりに意味なんてないんだから、適当に肯定すればよかった。無言はいけない。周囲を見渡す。部活は始まらない。
 急いで会話の引き出しを漁る。昨日は何をしたんだっけ。明日は何の授業があるんだっけ。今日は何月何日だっけ。そういえば、親友は私の名前を呼ばない。私はわたしでいいんだっけ。


「カット!」
「エキストラのみなさんの防寒着、持ってきました」
 十二月半ばの仙台。午前七時。気温が一桁を超える気配は微塵もない。テニスコートの隅に追いやられていた青いコートを素早く羽織り、ホッカイロを貼りつけたマフラーで剥き出しの足を隠した。身体中の鳥肌を何とかしなくてはならない。カチカチと鳴り続ける歯はどうやって止めよう。
 ダウンジャケットに顔を埋めた”親友”が近づいてきた。「明日もこの寒さかな」「予報では今日より二度高いらしいです」「二度だけか〜」「二度も、です」爪の色が酷い。ストーブに向かおうとしたタイミングで、スタッフが五分前と同じ配置へと引き返して行った。リテイクだ。
「次はアイスはなし! 想像するだけで寒い!」と”親友”は去った。大会だとか夏休みだとか文化祭の準備だとか、話題はもっとあるらしい。わたしはどれもピンとこないのだけれど。

「体調が良くならないのでやめます」と絞り出した、ほんものの夏を思い出す。テニス部員として活動できた期間は二ヶ月にも満たなかった。わたしが布団の中で過ごしたのと同じ期間物置にしまい込まれていたラケットを握りしめる。一緒に日の目を見よう。

 舞台は整った。あの夏をやり直し、あの青を取り戻す。
 身を柔く包み込むものの全てを剥ぎ取り、澄んだ寒空へと肌を晒した。


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