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福島三部作上映会&トークライブ終了!

2022年10月9日(日) 
諫早独楽劇場10周年企画『福島三部作上映会&トークライブ』終了しました。
驚いたのは、三部作通して観る方の多さ。
20人以上の方が通しチケットで上映会に参加されました。その他、一部と二部とか、二部と三部とか、もちろん一回だけ観る方もいらっしゃって、結果、のべ約100人の方に観て頂けて、本当によかったです!遠くは、福岡や熊本などからもご参加頂きましてありがたかったです。また、集まったお客様も、演劇関係ではない方も数多く参加して頂きました。普段、演劇を観ない方にも観て頂きたかったので嬉しかったです。そして、集まった方々が終演後に、口々に様々な想いを話されているのが印象的でした。三部作を1日で見る企画だったので 休憩入れつつも、10:00~22:00くらいの長丁場。みなさんと一緒に感じて考えて駆け抜けた上映会でした。ありがとうございました。アフタートークを引き受けてくださった、谷さんをはじめ、渡邉さん、ヒロシさん、カヲルさん、松岡さん、また、長丁場を支えてくれたスタッフにも感謝いたします。

第三部の最後のアフタートークで、『演劇はお坊さん』みたいな話になりました。昔は生き死にのことをお寺さんが扱っていたが、今は、生き死にについて考える場所が、演劇なのではないかというような話。三部作の最後にこういう話ができてよかったです。

企画のきっかけとしましては、2021年の春に福島三部作の第二部の再演を配信で視聴しまして、衝撃を受け、心が大きく揺さぶられ、涙がこぼれました。その後、配信映像だけでは飽きたらず、ネットで福島三部作の関連記事を片っ端から読み漁ったり、関連動画を見たりしてしまいました。

福島という土地で起きた出来事。それまで、どこか遠い土地で起きたこと、他人事だったことを恥じました。特に長崎は被爆地。核にはセンシティブな県民性があります。私も中学生のとき、チェルノブイリの原発事故で、子供の甲状腺がんが増え、その医療費支援か何か、とにかく支援するためにカレンダーを買った覚えがあります。子どもながらに、心を痛めていたのを思い出します。そんな長崎人の私が今まで、なぜ他人事だったのだろうと思いました。
たった10年ほど前に起きたこと。今を生きる私たちと同年代の被災者もたくさんいらっしゃいます。
『現代の核の問題』を身近に突きつけられたと思いました。また、そこへ至る経緯を丁寧に描く過程で、産業のない農村部の貧困がベースにあったこと、ただただ『町を良くしたい』という想いがあった。家族のため、街のために、選択した。選択させられたことなど、いろんな事柄が複雑に絡まりあっていることが、よくわかりました。そしてまた、あくまでも演劇として、面白い。そこには人間のドラマがありました。ドキュメンタリーとは違う演劇としての面白さ。劇的な生々しさといいますか。
完全なるフィクションでの演劇と違って、取材を基に、創られていること。題材そのものも、取り扱いが難しく、下手をすると傷をえぐってしまう恐れもある。それをこんなにも力強く、誠実さと覚悟と勇気を持って演劇にしてある。

当時、10周年企画を何にするかとちょうど考えているときで、何かそれなりの大きめ企画をしたいなーと漠然と考えていたのですが、やはりこれは『福島三部作』に何かしら絡む企画をやりたいと考えるようになりました。長崎の地でやることにも、きっと意味があると思いました。

最初は、リーディング公演をするか?と思いました。九州の俳優で作る福島三部作のリーディング公演。でも、リーディングであの凄まじさが伝わるのかなあと思ったり…。演劇公演を作るのも検討しましたが、予算問題もあるし、うーん、どうしても本家版と比べてしまうし、伝わるかなあとか。
そしたら、ちょうど2021年の3月に、DULL-COROLED POP さん主催で、福島三部作の上映会をされていて…『あ!これならやれるかも!』『私が衝撃を受けたように映像でも伝わるハズだ!』『上映会をやるんならば、谷さんにも長崎に来崎して頂きたい!』と思いました。

その後は、観劇三昧で第二部の配信が見れることを知り、さまざまな人に『観てほしい!』と宣伝して、巻き込みつつ、協力者を増やしていきました。それが2021年の6月くらい。この頃には、『来年、上映会を谷さんを呼んで開催したい』と恐る恐る周りに言うようになりました。

あとは、資金面をどうするか考えたり、どうせなら、独楽の10周年企画にしたい想いはあるけれど、独楽じゃないところでやった方がみなさんが集まりやすいかな?とか、思ったり…。たくさんの方に観て頂きたいというのが第一の目的なんで、場所は、独楽にこだわらなくてもいいかなーと思ったり、と様々な検討を頭の中で繰り返す日々。まあ、悩んだ結果、独楽でするようになりましたが、やはりそれでよかったと思います。

『谷さんにお声かけしたい!早くお声かけしないとスケジュールが抑えられないよね!』という気持ちと『いやー、怖い。岸田國士戯曲賞作家だよー!こんな地域で細々と演劇やってる人が声かけていいんだろうか…。本当に来てくださるだろうか。怖い。』という気持ちがせめぎあい、なかなか勇気が出ず、気がついたら2022年の1月になってました笑

もうさすがに何とかせねば!と思い、清水の舞台から飛び降りる気持ちでメールを打ちました。
簡単な企画書も早くに作っていたのですが、もうあまりにも頭の中がぐるぐる混乱していて、添付もしませんでした。遅くなったから、もう2022年の開催は無理かもなんて思いつつ、お声かけしました。
ほとばしる想いを伝えるだけで精一杯でした。

そしたら、なんと!快く引き受けてくださって、めちゃくちゃ感動しました。『全面的に協力します』と話してくださって、またスケジュールも調整ができ、2022年に開催できる運びとなったのです。夢のようでした。長崎の小さな劇場、劇場とも呼べないような小さなスペース運営をしている、なんの受賞歴もない舞台制作の人間。会ったこともない私が送ったメールを、よく信じてくださったなと今でも思います。

また、上映会だけでなく、ワークショップもしてくださることになり、それなら長崎だけでなく、福岡でもワークショップをしてほしいと私からお願いしました。なかなか谷さんのワークショップ受けたくても諫早までこれない方もいらっしゃると思ったので。せっかくならばと。こちらも快諾してくださりました。福岡のワークショップは、モノクロラセンの村井さんが引き受けてくださり、ありがたかったです。

そして上映会当日。谷さんが独楽劇場にいらっしゃいました。私は、緊張のあまり、逆にフレンドリーに『谷さーん!』なんて呼んでしまう有り様。
リスペクトの気持ちは持ちつつも、なるべく普通に接するように心がけました。失礼があったら、お許しください。

全てが終わり、谷さんとの別れ際。実は私は膝がガクガク震えていました。緊張は、ほぐれていたつもりでしたが、内心緊張してたんだなあと感じました笑

谷さんにとって、長崎のこの旅は、心理的にきつかったかもなあと思いつつ、それでも上映会とワークショップをしてくださったことに感謝しています。

あまりゆっくりとは、お話できなかったので、『今度はこちらから双葉町に行きますね』とお話しました。また、お会いできるのを楽しみにしています。

谷さん、心からの感謝を込めて。
ありがとうございました!

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