見出し画像

誕生死

流産・死産・赤ちゃんの死が多い」とSNSで目にするようになり、当時の心情を思い起こすことになっています。

『誕生死』とは造語です。
今ではネット事典に載るほど、定着しています。

流産・死産・新生児死などのこと。母体内で、あるいは出生後間もなく亡くなった子も、一度は誕生したのだ、という思いから作られた言葉。 

今でこそ、この手の情報が氾濫していて、
同じ経験をした人と簡単にSNSで繋がることができます。

現に、ちょっと検索しただけで
体験談を読むことができ、
当時の記憶と感情が一気に甦ってきました。

20年以上前、
周りに同じ経験をした人がいなく、
必死にネットサーフィンをしていた頃が
懐かしくもあり、切なくもなります。

気持ちの持っていき場がない状態と
母乳を止められない生理現象を抱え、
とにかく同じ思いをしている人はいないかと血眼になって探していました。

パソコンが普及し始めた頃で、
情報も多くなく、やっと出会ったサイトは
我が子を亡くした人たちの
悲しみの吹き溜まりになっていました。

そこは、ひたすら感情が入り乱れていて、
心の拠り所を求めている人たちが集って、
私の欲しい情報や気持ちの収め場所が
全て揃っていました。

発信はしなくても、
どんなに救われたかわかりません。
それほど当時は、情報を得ることも
人と繋がることも難しい状況でした。

日々の生活に追われ、
子育てが終わりかけている現在、
赤ちゃんの死が社会現象になっていることに何の意味があるのかと問い続けています。

今更、過去の体験に向き合うことになるとは思わず、戸惑いもあります。

ネットで体験談を読むと、
忘れかけていた体の痛みや苦しみが
昨日のことのように感じられることもあります。

心に余裕ができたから向き合えているのか、
何か役割があるから振り返っているのか、
20年以上経っても鮮明な出来事で忘れることはありません。

《私の大切な一冊》

この本が出版されたのは2002年。
時代のせいか、古臭く感じてしまう箇所もあります。

それでも経験者の気持ちや想いは普遍的で、
当時も今も同じ感情を共有するのではないかと思っています。

今はまだ苦しみや悲しみの中にいる方も
いつの日にかきっと、
力強く生きていけますように。