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箱庭の灯

久しぶりに書こうと思ってnoteを開いた。

私がnoteを始めて、結構な頻度でここに訪れていた時期にも、何人かの更新頻度が減り、いつのまにか書かなくなっていった。

きっと少し楽になれたんだろうなって。日々が充実したんだろうなって。

そう思いながら、でもやっぱり寂しくもあった。

だからと言ってはなんだけど、私はnoteをやめる時、最後の文章と称して何かを書こうと思った。

本当の意味でなくても、私は新しいフェーズに行ったよという表明を込めて、何かを書こうと。

実際にその下書きは残っている。未完のままで。

どうしても書けなかったのです。最後くらいはと、今まで偽って願って信じて書いた言葉を取っ払って、私が感じるままの言葉を書こうと気張れば気張るほど、苦しくて何も書けなくなったのです。

そうしてこの何ヶ月もがすぎたというわけです。

でもやっと書けそうな気がして、ここに来ました。

というのも昨日Teleの初武道館公演「箱庭の灯」に行ってきました。そこで感じたことも踏まえて、自分の中で整理がついた気がしました。

だからもしも参戦予定の人がいたらまだ読まないでくださいね。





浪人して狭い寮に入り、コロナと劣等感で色んなことが制限されていた頃。もう4年前のこと。

それまでの全ての過ちが蘇っては、夢に対する盲信が膨れ上がって、私が超えてはならない壁へと変わっていった。私が感じていた違和感の一つ一つが、しっかり形を整えてぴたっとはまっていった。

超えなかったのか超えられなかったのか。can’t なのかnot ableなのか。変わったのか気付いたのか。もう考えることを私は放棄した。

色んな選択肢があって、これからの人生は長くて、私はどこへでも歩いていける。

その事実に耐えられなくて、泣いて叫んだ日々を私はずっと忘れないと思う。

死にたいと泣いた日も。殺せと叫んだ日も。殺したいと怒った日も。

誰かの命を救いたいと心から願っていた自分から湧き上がるそれらの感情に、私は失望したのだと思う。





始めから無理だったのだと。あの子を傷つけて自分だけ成功しようだなんて。意味もなく過ごした日々を、意味があったかのように語るなんて。

これからの人生に意味を見出すことも無理なのだと。

でも、私は終止符を打つことができなかった。きっとこれから先も、その日が来るまでは生きていくんだろうなと思う。




その日が来るまで私が生きられるように。

でも生きていることを喜ばないように。

私は死ななければいけなかった人生を、自分の弱さゆえに生き続けているんだと。

誰かに主張するかのように自分を切りつけた。

じんわりと滲むそれに、生きていることと死ねなかったことを思い知らされた。少しだけ安心して眠りにつけた。




そんな頃に見つけたのがこのnoteという場所だった。

私の箱庭。

自分が生きていく世界をつくるために言葉を紡いだ。自分が欲しかった言葉を必死になって書き連ねた。

これでいいんだと。私の思考が存在していいんだと。

誰からの視線もない。非難の声も届かない場所で、私は自分を癒していた。




人間はそんなに強くないから。ずっと沈んだ調子でもいられなくて、私は日常生活が送れるようになった。

学校へ行き、アルバイトをし、休日の楽しみを見つけた。

生きていけるように、少しずつ楽しみを置いて、そこまで歩いていく日々。

あまり遠くを見ると足がすくんでしまうから。足元だけを見て、たどり着いたにんじんを食べて、たまに箱庭に寄り道をして。

箱庭では私がつくった言葉がいつも迎えてくれた。私が迎え入れた人の苦しみと優しさが散らばっていた。苦しみが少しでも楽なればとまた言葉を紡いだ。

でも、だんだんと私は箱庭に行かなくなった。

私に、私が欲しい言葉をかけてくれる人が現れたからだった。

それがTeleであり、NPOの活動で出会った方でもあった。




Teleは「ずっと普通になりたかった」と語った。普通の人なんていないのに。きっとTeleはそれも知っているのに。

自分が普通だと信じて疑わない人がこの世界にはいる。それもかなりの割合で。

自分が普通でないと思っている人の方が少数なのだ。

普通でない人がつくりあげた普通に、苦しめられ、傷つけられ、だから箱庭が必要だった。

私にも、Teleにも。

「あなたの言葉が造った世界を愛せばいい」とTeleは歌った。

「あなたの自由だ」と歌った上で「やっぱり悲しいから」と伝えた。






この世界は結構ハードだと思う。生きていくのがこんなにも大変だなんて、生まれた時には思わないよなって。小学生くらいから少しずつ教えてくれたらいいのに。気づいた人にだけ、気づいてしまった人にだけ、どんどん解像度を上げてハードを作り上げる神様はなかなかに残酷だと思う。

だからね。気づいた時に無理にこの世界に優しさを見出さなくていいのだと思う。自分の箱庭に、自分で優しさをつくる時間が必要なのだと思う。

Teleはその箱庭を音楽にした。だから私たちにも届いて、箱庭から箱庭へと移る人が生まれた。自分を普通だと信じられる人も、ハードの解像度が低い人も、Teleの箱庭に美しさを見出した。

美しさの中にある残酷さと、諦めと、鋭さを、感じる人がどれだけいるかは分からないけれど、私は彼の一種の冷たさが愛しいなと思う。

きっとそれがあるから信じられるのだと思う。




私はTeleに出会った時、この人の言葉をもっと聴きたいと思った。本でも書いてくれたらいいのに、なんて思っていた。

でも今回の公演を終えて、それはあまりにもナンセンスだと感じた。

きっとTeleにも喜多郎の中にある全ての言葉は引き出せない。少しずつ引き出して、箱庭に置いて、音楽となって私たちに届く。

回りくどくて、時間がかかって、少しずつしか分からない。その工程こそが愛すべきもので、それを受け取るためにも、私は生きていくんだと思った。





最近、人生の最後に聴きたい曲によく出会う。死にたかった時、死は禁句のような気がしていたけれど、今はそれほど重たさがなく、ただいつか訪れる終着点として考えられるようになった。

そんな日に、それまでの日々を讃えられたら。後に残る人にいい後味を残してあげられたら。これ以上のことはないなと思っている。





私はこれからもこの箱庭を残しておくと思う。私のもがいた日々だ。そんなに思い詰めるなよって今なら思う。そんなこともあったねと笑うことはまだ出来ない。でも、そんな日々を過ごした自分を、そこまで嫌いではないなと思うようになった。

あなたの箱庭が優しい言葉で満たされればいいなと思う。人からの言葉を信じられないなら、自分でつくればいい。その言葉を信じて生きていける人がどこかで生まれているかもしれない。

自分で癒して。自分の知らないところで誰かが癒されて。誰かに癒してもらって。

あなたの箱庭と私の箱庭に、ほんの少しの隙間でもいいから通いあう道があれば嬉しい。





Teleは箱庭の中心にある灯が自分でもいいのだと語った。自分が灯であってもいいと思えたら教えて欲しいと。

でも私は、灯はできるだけ多いといいなと思う。自分の灯が消えた時にもどこか遠くで灯が見えれば安心する。誰かの灯が消えた時、自分の灯が代わりを務められたら光栄だ。

だから箱庭に迎え入れてもいいと思える人に出会えた時には躊躇ってはいけない。

自分の信じられる人に出会う瞬間と自分が出会いたいと思う瞬間が合致するのはとても難しい。啐啄の機。だからその時が訪れたら、少しだけ勇気と思い切りを持って、迎え入れてみたらいい。

私は私の箱庭に迎え入れた人には少しでも生きることが楽であって欲しいと思う。きっと大丈夫だから。あなたが苦しんでいることが、私は救いに感じるから。もう苦しみを手放してもいいと思うから。

箱庭で、時に優しさを捨てても、それは決して無くならない。時に怒りをぶち撒けても、全てが置き換わるわけではない。

箱庭であなたらしくひかる。あなたらしいひかりを見つける。

私の灯が消えないように。

生き抜こう。


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