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交換日記(1)世界の終りと炭酸水荘

<1周目のお題:世界の終りと>

三月の終わりに咲く東京の桜みたいに、溢したコップから滴る水がテーブルから落ちるみたいに、地球の端から滝のように流れる海の終わりみたいに、僕らが始めたものには、いつか終わりが訪れるようだ。

「世界の終わり」という情景を、作品に触れる僕らは、いつか一度は通ることになる。それが誰かの作ったものであれ、自身の産み出したものであれ、始まりがあれば終わりがあるように、生まれてきたその世界には、必ず終演が訪れる。もしくは終焉に片足を触れる。

村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」には、記憶を閉じ込めた「骨」のような媒体が、図書館にいくつも眠っている。彼らは「骨」に触れて、そこにあったいつかの記憶を思い出すことができる。

僕らは世界の終わりに触れる時に、どんな世界にいるだろうか。それは隕石が降る世界かもしれないし、ウィルスの蔓延した病気と対峙する世界かもしれない。世界の端っこという意味かもしれないし、地球を離れて宇宙に旅立つという意味かもしれない。もしくは、炭酸ソーダの雨が降る世界かもしれない。

炭酸ソーダの雨が降った世界の終わりの日、この街はまるで炭酸の水槽みたいだった。雨に溺れる夢を見た。あなたと永遠にいる夢だ。

炭酸の水槽に沈むように住んでいる。この街はもうとっくに滅んだように、人も疎らで、残された甘い蜜みたいな、点在する夢を食べる。

あなたに触れた夜、涙みたいに溢れ落ちる海や、満ちた月の輝きみたいに降る光や、掴んで書こうとしたペンや、そういったものを思い出して、記憶に刻んでおく。

ここに書く遺書みたいな文章も、誰かに読まれればそれは意思になって、心に届いてしまうみたいに、僕らの緩やかに死んでいきたい感情も、記してしまえば共感できるから。

ここは炭酸ソーダの水荘。いつか緩やかに沈んでいく僕らの、生きた痕跡と、存在した遺跡と、石碑に記された名前に、ここにあなたがいたことを、骨みたいに、記憶みたいに書き残して、世界が滅んだ後、生まれ変わった僕らが、手を触れて思い出す場所だ。

つまり、あなたと生きていたのだ。

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