7月が終わった。
だからきっと、夏を逃げ切るのに忙しかったのだと思う。
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ちゃんと逃げ切れたかどうかの自信はないけれど、ちゃんと生き延びた自信はある。
なにせこうして文章を書いている。良かった、まだ人として息をする元気はあったのだ。ソーダ水は炭酸も抜けてぬるま湯になる。コーヒー牛乳を下さい。この夏は暑すぎるのです。
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いまだかつて継続できたものが息をすることしかない。それは流石に嘘だとしても、文章を書くことだけはどうやらなんとか途切れ途切れに息を継ぎつつやっているように思う。本当だろうか、本当だろうとも。だからどうしたと言われても、どうやらまだ腕も辛うじて動くという返答しかできない。
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生存報告ほど詰まらないものもない。なにせだからどうしたで終わってしまう。最近の僕の考えていることとしては、「文章を読んでもらうには、だからどうしたを超えていくことだ」と思っている。昔々あるところに桃太郎がいました。だからどうした。鬼退治に行くのだ。それなら僕はどこに行くのだろう。詰まるところそれが、僕らの目標になるのだろう。つまり、だからどうしたの向こう側だ。事実を超える解釈の先だ。僕らはだからどうしたなんて野暮なことを聞いてくる心の悪魔に、びしと突き付けてやる必要がある。僕らは生きているのだと。
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文学フリマなどという大層な目標を掲げてしまったばっかりに、いや掲げさせて頂いたおかげで、むしろ掲げることによって、僕は辛うじてこうして、なんとか勢勢と息を切らしながらも、文章を書き溜めて泳いで何かを形作ろうとしている。何かとは詰まるところ交換日記の文集であり、詰まるところある病棟の連作短編であり、その他ある140字の総まとめであるかも知れない。ある程度の具体的なものがある程度の距離で形になることによって、僕らは辛うじて生きている。何とか創作者として名乗れる。それがどのくらいのクオリティかは、果たして保証できるのかも分からないことだが。いやもちろん、自信を持ってほとんどの場合は書き上げてはいるのだろうけれど。そうは言ってもなにごとにも例外はある。だからこの場合にもきっと、好き好み趣味趣向によっては、あなたのお口には合わないかも知れないのだから。
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花火大会に行きました。だからどうした。時間が間に合うかの瀬戸際に僕らは、手を握って映画のように階段を駆け下りる。そんな未来があれば良かった。そんな人がいれば良かった。
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それならあなたはきっと幸せなのですね。
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