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飯綱丸龍と菅牧典ってどんな関係なんだろうね、という捏造設定

妖怪の寿命については知る由もないので無から捏造する。天狗はなんだか生活が人間に(他の妖怪と比べて)近そうなので、寿命もかなり長かったりはしなそう。僕は度し難くって情緒がめちゃくちゃになるようなのが好きなので、管狐は天狗より寿命が何倍も長いものとする。
飯綱丸という名字は人間と同じく家系を表しているのだろうか。だとしたら先代の飯綱使いがいたことになる。しかし飯綱丸家で一人ずつ一組のつがいの管狐を使役していたらすぐに数が増えて破綻する。そこで、飯綱丸家で一匹の管狐を飼って、時の当主がそれを代々継いでいくということにする。何故かつがいで飼わねばならないらしいので、そのぶんの埋め合わせをその当主が行う。人間が天狗と管狐のキメラを思いついてその概念を広め、妖怪として成立させない限り、間に子は生まれまい。
ちなみに狐には年に一度発情期がある。その間大変そう。
つまり龍が大人になって自分の親と典のことを把握したあとに彼女を継いで、ある夜に、典の身体を、自分の先祖が代々抱き続けてきた使い古しのそれとして見なければならなくなる。自分よりずっと長く生きてきて、幼少期それこそ姉みたいなポジションで生活してきたにもかかわらず今はむしろ自分より幼げで、飯綱丸様なんて呼んでぺったりと甘えてくる。このギャップに頭をめちゃくちゃにされていてほしい。
龍が典を従えていると思いきや、いつの間にか典を第一に考えてあれこれやるようになって、実質として主従関係が逆転していてほしい。確かに龍が典に指示をしてはいるけどその指示の大前提にいつも典自身のことが入れ込まれている、みたいな。典への絶対の忠誠を龍は自覚していないが典は気づいていて、最終的には共に破滅する道を選ぶよう仕向ける。龍がそれに気づいたときにはもう龍自身が自分のことなどどうでもよくなっていて、典の意向を汲み取り、頑なに従う。
管狐による破滅をいかにして回避しようとしても必ずそれは訪れる。
???「いかに策を練ろうとも、相手はそれを乗り越えて来る。」

めぐつかだと思ったらつかめぐ。
もう終わりだよこのカップリング…

という妄想を具現化したのがこれ。リョナだけど非虐待パートだけでも読んでほしい。あわよくば感想がほしい。今最終話書いてる。


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