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空の忘れ物 第1話



ピーピーピー

いつもなら静かなコックピットは警告音と機体の揺れ、管制塔との無線の大声で満ちていた。


「エンジンプレッシャーオールロスト!」


「頭上げろ!ディセンドするぞ!」


「はいっ」


操縦桿を握る手が震える。目下には御巣鷹の山肌が近づいていた。

「く…久保さん、もうダメです」


操縦席で副操縦士の井上が言う。

その言葉に誰もが沈黙するしか無かった。515人を乗せた鉄の塊はコントロールを失っている。


「やれ!頭を上げろ!」


パニックを起こしている井上の肩を思い切り叩いた。我に返った井上、俺たちのやることは1つだった。

「井上、どーんといこうや」




小さい頃は電話が鳴るのが怖かった。



「はい、すみません、すみません」


毎日のように鳴る電話、それに謝り続けるお母さん。


「すみません、すみません…」


電話が切れても母は泣いていた。その姿は今でも目に焼き付いている。



それが何故だか分かったのは更に先だった。


『乃木航空150便墜落事故』


乗客乗員512名の命が犠牲になった日本史上最大の航空事故である。


その飛行機は私のお父さんが操縦していた。

まずはお父さんの操縦ミスが疑われた。ワイドショーもそれ1色だったらしい。

また、ブラックボックスが全編公開されなかったり、事故現場にアメリカ軍が真っ先に向かったりと、いろいろな憶測を呼んだ事故でもあった。


その原因は機体の不適切な修理だった。

それでもお父さんへの世間の目は厳し過ぎるままだった。



大好きなお父さん。尊敬するお父さん。そんな気持ちを心の奥にしまいこんだ。

それからはテレビを見るのも辛かった。

1度テレビを壊してしまったのは今となって後悔はしている。

友達にも家族にも本当の夢を伝えられなかった。それでも私には諦められない夢があった。



“いつか、空を飛びたい”




大きく息を吸い込み、背中を伸ばす。4月の空気はほんのりと桜の味がした。


「ここからがスタートだ」


乃木航空の入社式を終える。私は今日、茨の道への1歩を踏み出した。


「なにしてんのぉー」


背中に鈍い痛みを覚える。この衝突、何回目だろうか。


「1人で伸びなんかしてさぁ〜」


明るい声が頭に響く。


「美月、突進はダメって言ってるでしょ?」


「相変わらず堅いなぁ。久保はそんなんじゃ彼氏出来ないぞ」


大学で出会った美月とは同じ乃木航空に就職した。

美月はCA、私はパイロットと道は違うけど、良い友達だ。


「じゃ、今夜は久保の家でね」


「はいはい」


初日お疲れの会が私の家で開かれることが決定した。


「〇〇は?」


「んー、多分来るよ」


「やった!じゃあ、私戻るね」


話を終えると美月は颯爽とその場を後にした。


「はぁ、全く美月は…」


初日の午後が始まろうとしていた。


「新人の久保史緒里です。よろしくお願いします」


そう言って頭を下げる。午後の仕事は空港の各部署への挨拶回りだった。


「次はここね」


指導教官に連れられてきたのは管制塔だ。内部は緊迫した雰囲気に包まれていた。


「Vector to final approach cause.」


聞き慣れない英語が私の背筋を正す。


「ほら、久保」


空気に呑まれていた私は我に返る。


「新人の久保史緒里です。よろしくお願いします」


深深と下げた頭を上げると、〇〇と目が合った。

少し緊張が和らいだが、それは一瞬だけだった。


「君か」


野太い声の方を向くと、管制部長の吉見さんがいた。

貫禄のある歩き方、偉い方特有の雰囲気に怯んでしまう。


「よ…よろしくお願いします…」


蛇に睨まれた蛙のように緊張する。吉見さんの表情は一切動かなかった。


「君はあの事故の事、どう思っている」


「えっ?」


驚きの質問に本音が漏れる。

この世界に入っていくには聞かれることは避けれないとは思っていた。

でも、いざ聞かれるとなると心の奥がチクリと痛む。


「父が起こした事故のことは…家族として申し訳ないと思っています」


今までの人生で幾度となく言ってきた言葉だった。

でも、その答えに吉見さんが満足したかは分からない。


「そうか」


その一言で自席に戻ってしまった。蛇が居なくなれば蛙の緊張も解ける。


「ありがとうございました」


また深く頭を下げると管制塔を後にした。

勤務初日は体力よりも精神が疲れる一日だった。




「かんぱーい!」


「かんぱい」


同じ部屋にいるのに私と美月は対極的だった。


「そっちはどうだった?」


「んー、色んな部署に挨拶に行ったよ」


「え、うちの所来た?」


「CAの部署には16時前に行ったよ」


美月は缶のオレンジジュースを、まるでお酒を飲み干すように空にした。


「あ〜、丁度主任に怒られてたわ」


「初日から何したのよ…」


舌を出して笑う美月。あざとさが炸裂している。


「〇〇は?」


「遅くなるって」


「あいつ…」


今度はムスッとした表情を浮かべる。本当に表情豊かな子だ。


「あいつって…一応先輩だよ?」


「でも〇〇だしなぁ」


タイミングを見計らったようにインターホンがなる。


「悪ぃ、遅くなった」


「〇〇、遅い!」


「うっせぇな。ってか美月、酒飲んでんのか?」


「いや、シラフでこれよ」


慣れた手つきで美月を振り払う〇〇。シラフで酔えるのも美月の特技だ。

「〇〇は今日どうだったのさ」


「別に変わったことはねぇーよ。山下は?」


「主任に怒られました」


「お前、初日から何やったんだよ…」


美月は2杯目のオレンジジュースを飲み干していた。


「でも、久保も吉見さんに何か言われてなかったか?」

その一言に体が身構える。昼間のことが脳裏に蘇った。


「なんだ、久保も怒られてるじゃんか〜」


「まぁ…そんな所かな」


正直、微妙な反応をしてしまったと思う。それに、2人は薄々気付いていただろう。

本当は何について話していたのかを。


「まぁ初日なんてそんなもんだろ。2人共気にすんなよ」


〇〇はオレンジジュースを飲み干した。

この2人にはいつも気を使って貰いっぱなしだ。

大学で初めて美月に話しかけて貰った時も、〇〇に初めて会った時も、初めて2人に夢を話した時も…

数えたらきりがない。

私は手元のオレンジジュースに手を伸ばすと、それを一気に空にした。


「い…いきなり豪快だね」


2人の驚いた顔を見る。そして私は笑った。


「なんか元気でたよ」


私はこれからもやって行けそうだ。この瞬間、そう思えた。


(ありがとう)


声には出さなかったが、心でそう呟いた。



「俺さ、1個夢があるんだ」


〇〇が夢なんて珍しい。必然と興味がそそられる。


「なになに?」


「私も気になる!」


〇〇は少し照れくさそうに、でもどこか嬉しそうに話した。


「いつか3人同じ便で仕事がしたい」


〇〇の照れが私と美月に伝染した。

「〇〇が管制塔から指示出して」


「久保が飛行機を操縦して」


「美月が機内で接客をする」


想像しただけでも嬉しかった。


「その夢、絶対叶えよう!」


美月が小指を差し出す。〇〇もそれに続く。

私もそれに続いた。


こうして、世にも珍しい3人での指切りげんまんが成立した。


「〇〇の管制、心配だなぁ」


「山下の接客が一番心配だろ」


「それ、私も同意」


「ちょっと2人とも!」


場が和む。昔から変わらない3人の光景だった。

初日は色々なことがあった。


そして、私の夢が1つ増えた。

fin.

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