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空の忘れ物 第3話




『今日は頑張ろうね💪』


『もちろん、美月こそね』


LINEを返すと家を出る。鍵を閉めるとまたLINEの通知音がした。


『今日、下手な操縦すんなよな』


生意気な文面だった。朝の清々しい気分がちょっと台無しだ。


『そっちこそ、ちゃんと管制しなさいよ』


生意気に返信をする。

朝は強い方ではない。今朝も眠気は覚めきってはいない。

しかし、今日はいつもとは違う感覚があった。眠気と緊張の間にどこか浮き足立った私がいた。


「あ、やばい」


そんな感情に浸っていても時計の針は待ってくれない。


「大事な日に遅刻はまずい」


少し早歩きだったが、私はいつも通り空港に向かった。

8月の暑さが朝にまで染み出していた。隣の家の玄関には、迎え盆の精霊馬が玄関に飾ってあった。

(見ててよ)


ふと空を見上げた。数時間後には私は空を飛んでいる。

そんな当たり前が何故か今日は重く心に響いた。






いつもと同じ轟音が響く。機体がふわりと浮く感覚と同時に色々なメーターに目を落とした。

機体の高度が次第に上がり、バランスが安定する。羽田空港がもう粒のようだ。


「今日はやけに楽しそうだな」


「え〜そうですか?」


自分でもそんなつもりは無かったが、顔はにやけていたに違いない。

「今日は初めて3人でのフライトなんです」


「CAの山下と…あと1人は?」


「管制官の○○です」


橋田さんは納得をしたように頷く。タイミング良くコックピットの扉が開いた。


「はい、久保。橋田さんもいつものです!」


飲み物を美月が運んでくる。目が合うとウインクで返してきた。


「失礼します」


美月が部屋を後にすると無線に連絡が入った。


『It is a rain forecast for Haneda from 16:00.』


英語で話す○○の声を聞くと、少しカッコイイなって思う。


「Affirm」


無線での英語は独特だ。覚えるのに少し苦労した。

無線を切るとベルトを外す。順調なフライトだった。





それは突然の出来事だった。





ボンッ
何かの爆発音と共に機体が大きく揺れた。


「え、何?!」


異常事態なのは明らかだった。機体の揺れを収めるためにも操縦桿を強く握った。


「まぁ…バードストライクですかね」


「いや…」


橋田さんの答えより先に私も異変に気づいた。


「機体が戻らない?!」


コックピット内に緊張感であふれる。


「尾翼が飛んだんだ!このままだとやばいぞ」


操縦桿を握る。何とか機体を立て直そうとした。

この状況だと機内は…

一瞬、美月の事が過ぎる。でも、今は人の心配をしている暇はない。

そんな時、管制塔から連絡が入った。



爆発音に大きな揺れ。乗客を焦らせるには十分過ぎた。


「お客様にお知らせします。機体に鳥が衝突した可能性があり、ただいまバランスが乱れております」


一報をいれると、騒いでいた乗客も静かになった。乗客のコントロールはCAとしての職務だ。


にしては揺れが長すぎる。嫌な予感がした。

「まさか…」

私の勘は嫌な時ほど当たる。



「何やってんだ?」


レーダーに映る220便は明らかに蛇行をしていた。

背筋に冷たいものが走る。万が一なんてあってはならない。


「何やってんだよ久保!」


軽く舌打ちをする。別に久保に向けたものじゃない。

俺は無線のスイッチを入れた。


『This is the control tower. What happened?』


操縦桿を握ることで手一杯で、連絡することすら忘れていた。


「Uncontrollable. The tail was damaged!」


機体は少しバランスを取り戻す。それでも予断は許さない。


「Affirm. 久保、これからは日本語で大丈夫だ。少しそのまま耐えてくれ」

「わかったけど…早くっ!」


今一度、操縦桿を握り直す。管制塔の次は…そう考えていると再び無線が繋がった。


『久保、何があったの!』


「私もわかんない!でも、尾翼が壊れたっぽい!」


自然と声が大きくなる。


「 やっぱり…」


美月は言葉を失っているようだ。それも無理はない。


「こっちは何とかする。だから、機内は頼んだよ美月!」


自信なんてなかった。それでも今は威勢を張るしかない。


『分かった。

……帰ったら久保の家でね』


そう言って無線は切れた。


「はいはい、分かりましたよ」


そう呟くと、次はこの状況をどうするべきか頭を凝らした。



管制室に緊張が走った。飛行機事故なんて大事中の大事だ。

慌てふためく俺に吉見さんが話しかける。


「お前が慌てたって何も変わらないだろ。深呼吸しろ」


俺の肩を軽く叩く。


「各自の担当に連絡しろ!最優先事項は220便だ。国交相と…自衛隊にも連絡をしておけ!」

吉見さんは冷静に指示を出した。その頼もしさに俺は少し心が落ち着いた。


「220便は私と○○で担当する。みんな、全力を尽くせ!」


はい!その声が上がると各自持ち場に戻った。


「ありがとうございます」


隣に座った吉見さんにお礼を言った。


「気にすんな」


再び、無線のスイッチを入れた。




「クソっ…このままじゃジリ貧だ。

どこかに降りるしかない」


「高度8000mを切りました!」


横目でメーターに目をやった。普段なら見ない位置に針が振れていた。


「橋田さん!オイルとハイドロ共にやばいです!」


「エンジンは?どこまでならいける?!」


今の場所は…山梨県に入ったくらいだ。どこまで行けるかなんて…正直分からない。


「久保、お前ならどこに降りる」


「この場所なら…」


頭を巡らせる。今の私には2つの策しか浮かばなかった。


「あの訓練、クリアしたか?」


あの訓練…150便のシュミレーションは1度も成功できたことがない。


「いや…」


機内は音で溢れているはずなのに、橋田さんの声は明瞭に聞こえた。

「俺たちは久保さんじゃない。

俺たちのやり方でけりをつけるんだ」


ギュッと目をつぶった。残る策は1つになっていた。高度は既に4000mを切っている。


「相模湾に胴体着水します」


我ながらぶっ飛んだ策だと思う。でも、これしかなかった。


「シュミレーションの成功率は?」

「五分五分です…」


自信なんてあるわけない。橋田さんの口が緩むのが見えた。


「上出来だ。やるぞ久保!」


「はい!」


気持ちを高めていく。揺れる操縦桿を左に切った。

機体は轟音を上げながら左に旋回する。ふと写った窓からエンジンから火の手が上がっているのが見えた。


ピー
突然、無線音が鳴る。この音は外部からの無線だった。


『This is Yokota base. Landing is possible on the first runway.』


横田基地が着陸許可を出してくれた。これなら…

いや、でも…


「Oil pressures are all lost! The aircraft makes an emergency landing in Sagami Bay.」

油圧が効かない状態で着陸なんてしたら止まれる訳が無い。横田基地周辺には市街地がある。


『…』


無線は反応がない。それもそうだ。前代未聞なんだから。


『Good luck. Leave the rest to us.』


そう言い残して無線が切れる。

しかし、間髪を入れずに無線が入った。

『久保、現状は?』


「高度3000を切った。ハイドロもオイルもほぼなし。バランスとるのがやっと」


『付近の空港に緊急着陸は不可能だ。だから…』


○○が言葉を詰まらせた。非情な現実ってことね。


「当機は相模湾への緊急着陸を行う」


橋田さんの通達に管制室がざわめいているのが分かった。

『そんなの無理だ!』


焦る○○。無理なのは私も百も承知だ。


「久保はシュミレーションなら五分五分だってよ」


『でも…』


『それなら十二分だな』


○○の後ろから別の人の声が聞こえた。


「よく分かってるじゃねーか。吉見、俺のクビをかけるから、最後まで頼むよ」

『はぁ…』


大きなため息が無線の向こうから聞こえてきた。


『お前のクビだけで済むかバカ。私のクビもくれてやる』


また橋田さんが微笑む。吉見さんも無線の向こうで同じ顔をしているのが想像できた。


「歯食いしばれよ久保」


「はい!」


私は今日一番大きな声を出した。


fin.

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