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空の忘れ物 最終話




「ん…ここは…」


目を覚ますといつもと同じコックピットにいた。しかし、周りの景色は、一面真っ白だ。


「おぉ、起きたか」


隣で操縦桿を握る人。その顔は光が反射してよく見えない。


「良い操縦だった。

でもな、もう少し頭上げてりゃ、揺れは少なかったな」

橋田さんの声では無かった。でも、私はこの声に絶対の安心感を覚える。


「相模湾に緊急着陸なんて、腹が据わってるな」


私はまだ頭がボーッとしていた。今のは…褒められたでいいのかな?


「本当によく頑張ったな、史緒里」


そう言うと頭を撫でられる。温かくて優しい、懐かしい手だった。

「おと…」


言いかけた瞬間、強い眠気に襲われた。

待って…お願い、もう少しだけ…


「帰るべき場所に帰りなさい。次はたくさん、話を聞かせてくれ」


私の想いとは裏腹に、私の意識はコックピットから遠ざかっていった。




「…さん…お父さん…」


気がつくとそこはコックピットでは無かった。

名前も知らない機械たちが、定期的なリズムを奏でている。


「美月…?」


私の右手は美月に握られていた。当の本人は私の右手を枕替わりに眠っていたけど。

時計に目をやる。日付は事故の日から3日後を示していた。

「あーぁ、体が動かないや」


あの日の疲労はまだ私の体を痛めつけている。

暇で辺りを見渡す。窓から差し込む陽射しは、穏やかさを体現しているかの様だ。

本当に飛行機事故があったのか。そう錯覚させるくらい、病室は穏やかに時が流れていた。


「久保…?…くぼ!!」


美月が起きる。さっきまでなんてこと無かったのに、目から涙が溢れてきた。


「良かった…本当に良かった…」


美月は私に抱きつく。私も動かない体で全力で美月を抱きしめた。


「ちょっと痛いよ美月。全く…もう」


体はズキズキと痛む。その痛みが私に生を感じさせる。




「こんな所に居たのか」


病院は暇で仕方ない。中庭で遊ぶ子供たちを屋上から眺めていた。


「よぉ、元気してるか」


2人きりになったのはいつぶりだろうか。多分…久保さんの、あの日以来かもしれない。



「久保が目を覚ましたらしい。顔くらい見せてやれよ。

戦友だろ?」

戦友、それは俺の事を買い被りすぎだ。


「あれは全部、久保の手柄だろ。

俺は何もしちゃいないさ」


「それもそうだな。でも、ここからだぞ」


俺にはその言葉の意味が分かる。俺も吉見も、過去の反省があった。

大人の世界は一筋縄では終わらない。ここからが俺たちの力の見せ所だった。

「大丈夫。ちゃんと守ってみせるよ」


澄み渡る空を見る。空に出るには格好の天気だ。


「そうだな」


俺たちは久保の病室に向かった。

いつもと変わらない久保と山下がそこにはいた。





会場は記者たちで騒がしい。テレビ越しに見ている私たちにも、その緊張が伝わってきた。


「凄い数のカメラだね」


今日は事故についての記者会見が開かれる日。

テーブルには橋田さんに吉見さん、乃木航空の社長、そして知らない外国の軍人さんが座っていた。

『定刻になりましたので記者会見を始めさせて頂きます。』


司会の方の一言で会見が始まった。


「私たちまで緊張しちゃうね」


「なんで私たちが緊張するのよ」


美月にそう返しても、内心ビクビク怯えていた。

世間の棘を私は知っている。またそれに苦しむ、そう思っただけで背筋が凍った。


会見は事務的に進んでいった。状況説明から調査報告、被害状況を話終えると、いよいよ次は質疑応答だった。


『読売新聞の佐藤です。胴体着陸の操縦は橋田機長が行ったのですか?』


『私と副操縦士で行いました。』


『テレビ朝日の鈴木です。パイロットの人為的なミスという可能性は?』

『私も副操縦士も操縦ミスはしておりません。

ブラックボックスも全編提出済みです』

どこか聞き心地の悪い質問だった。まるで創ったシナリオに誘導するみたいだ。


「これ、橋田さん怒ってるね」


「だね」


配慮の無い質問に温厚な橋田さんにもイラつきが見えた。


『判断したのは副操縦士とありましたが、結果は偶然で、大惨事になる可能性もあったのに実行したのは何故ですか?』

バン!
美月が机を叩く。


「ちょっと、何この質問」


私も同じ意見だ。美月が怒っているのも分かる。

ただ、偶然なのは事実だ。やる前は上手くいくなんて正直思ってもみなかった。

『あのさ…』


橋田さんはさっきより、少しだけラフに言葉を紡いだ。


『君は起きた奇跡と起こらなかった悲劇、どっちで記事を書きたいの?』


吉見さんはしてやったりと少し顔が解れている。


『それは…』


記者はたじろいでいた。綺麗なカウンターが決まった。


『前者ならまた質問してくれ。次の方』


「橋田さん、やるぅ〜」


綺麗なカウンターは見てる私たちの心もスッキリさせた。


『…の山田です。』


でも、爽快な気分は長くは続かなかった。


『今回の事故の副操縦士は、25年前の乃木航空150便墜落事故の機長の娘さんという情報がありますが…』

恐れていた質問だった。しかし、予想していた質問でもあった。

嫌な汗が背中を伝う。手が震える。鼓動が早くなる。


「久保、大丈夫だよ」


美月が優しく手を握ってくれた。それでも私の緊張は収まらなかった。


「ありがとう。全然大丈夫だから」


大丈夫じゃないのは火を見るより明らかだった。

橋田さんはまだ回答しない。沈黙の重い空気が会場を包んでいた。


『当時も機長の手腕も疑問視する声が世間ではありました。

今回の副操縦士の手腕も一部では…』


記者はここぞとばかりに攻め立てる。橋田さんたちはネット際に追い込まれていた。


『それが何か』


記者の連打を止めたのは、今まで黙っていた吉見さんの一言だった。


『副操縦士は年齢も若く、未熟な点が無いとは言いません。しかし、技術的には問題は全くありません。

25年前の機長も同じです。2人とも我々の大切な仲間のパイロットです』

吉見さんの強い言葉は私の震えを止めた。

記者は蛇に睨まれた蛙の様に、ただその場に立っていた。


『もう一度、聞きます。その2人に何かありましたか?』


いえ、と細い声を漏らすと記者は席に座った。


「…久保?」


握られた美月の手の上に大粒の涙が落ちる。


「あれ、何でだろう。おかしいな」

涙は止まらない。そんな私を美月は優しく見守ってくれた。


「まったく…

今日くらいは強がらなくても良いんじゃない?」


いつの日かの橋田さんの言葉を思い出した。


“1つ覚えておけ。俺たちパイロットは、久保さんのことを悪者だなんて思ったことは1度たりともない”


その言葉は本当だった。もう私は後ろめたい気持ちを抱えて生きる必要はないんだ。

そう思うと涙が止まらなかった。

本当、私って弱虫だなぁ。


これからは声を大にして言おうと思う。

“私が尊敬しているのはお父さんだ”ってね。




私が落ち着いた頃、会見では外国の軍人さんが質問を答えていた。


『今回の作戦は全て私の独断で指示をしました。220便からの依頼や本土からの命令ではありません』


とても流暢な日本語だった。

この人のお陰で乗客は全員助かることが出来た。いつか会って、ちゃんとお礼をしたい。

「でもこの人どこかで…」


どこかで会ったことがあるような気もした。ダメだ、思い出せない。

そんなことを考えていると、もう記者会見は終わっていた。

私はまだ美月の手を握っていた。美月も何も言わず、ずっと私の横に居てくれた。




それから数日、私の体も随分と回復していた。


「はぁ…結局、温泉は行けなさそうだね」


「まぁ仕方ないよ。9月に夏休み取ろうよ」


美月と温泉の話をしていると、病室の扉が鳴る。


「どうぞー」


看護師さんと一緒にやって来たのは、記者会見で話していたあの軍人さんだった。

「ど…どうも…」


その屈強な体に、私も美月も緊張してしまう。彼はそんな私たちを他所に、右手を額に当てた。


「この度のフライト、素晴らしかった。

私は君を、いや、君たちを尊敬する」


それは“敬礼”だった。私たちはどうして良いか分からず、とりあえずぎこちない敬礼で返した。


「わざわざありがとうございます」


ソファーに座った彼にお茶を渡すと、軽く会釈をした。日本人も顔負けするくらい日本人みたいだった。


「今日来たのは君に渡したい物があるんだ」


私には心当たりがない。どんな物が渡させるのか、一人勝手にうきうきしていた。

そんな私の期待は、良い意味で裏切られることになる。


「これだ」


彼が鞄から取り出したのはカセットプレイヤーだった。


「これは?」


「聞けば分かる。私と彼の約束なんだ」


彼って誰のことだろう。

私は恐る恐るイヤホンを耳に付ける。そして、プレイヤーのスイッチを押した。




ザザッ…ザザッ…


『おい、山に突っ込むなんて嘘だろ?!』


『嘘じゃない。それしかもう方法はない』


『そんなことしたら助からない!

今すぐ横田に引き返せ!滑走路は空いている!』


『ダメだ、もう燃料がない。山に落ちなきゃ、街に落ちろってか?』


ザザッ…


『でも…お前にも家族がいるだろ。死ぬのが怖くないのか!』


『…じゃあ、1つお願いしても良いか?

俺の人生最後のお願いだ』


『なんだ』


『これから言うことを家族に届けて欲しい。

出来れば世間には公開はしないで欲しい』


『ブラックボックスは全編公開されるだろ』


『いや、君たちなら出来るだろ?』


ザザッ…

『まずは…正子、こんな形になってしまってごめんな。

これから大変なことになると思うが、史緒里のこと頼むな。

俺と結婚してくれて、ありがとう』


『史緒里、お父さんはお前の成長が楽しみだった。

史緒里は飛行機が大好きだったな。これからも好きでいてくれたらお父さんは嬉しい。

お母さんのこと任せたぞ』


『すまない、これを伝えてほしい』


『…分かった。男と男の約束だ』


ザザッ…ピーッピーッピーッ


『長話に付き合ってくれてありがとな。無事に街は通り過ぎた』


『あぁ、それは良かった』


『しんみりしないでくれよ。ハハッ』

『キャプテン、グッドフライト』


『あぁ…ありがとう』


プツッ




音声が終わる。終わってからも私の耳にはお父さんの声が残っていた。

イヤホンを机に置く。手が震えていた。


「これって…」


彼は優しい笑顔で話してくれた。


「私がずっと隠していたブラックボックスの音声だ。君のお父さんと若かった私が話している。

本当はもっと早く渡すべきだった。遅くなってしまい申し訳ない」


彼は頭を下げた。どれだけ時間が経っても、これを届けてくれた、それだけで私は充分だった。


「長い間、これを守ってくれてありがとうございました」


私も頭を下げた。

「君のお父さんは偉大だ。

でも、君も負けていない。これから何を言われても、それを胸に忘れないでくれ」


私は無言で頷いた。声を出したら涙も溢れてしまいそうだった。


でも、今泣いたらお父さんに怒られそうだ。唇にギュッと力を入れた。

隣にいる美月は私たちのことを優しく見守っていた。

「それでは私はこれで失礼するよ。

あ、これ1つ貰っても良いかね?」



彼は帰り際、テーブルの上のお菓子を1つ指さした。


「是非、箱ごとどうぞ。地元の銘菓なんです」


そう言うと彼は流暢にお礼を言い、お菓子を1箱持って、病室を後にした。

机の上にはレコーダーが残される。


「聴く?」


美月に尋ねた。美月は首を横に振った。


「だって、それは久保のでしょ?」


「ありがとう」


時代遅れのカセットプレイヤー。私はイヤホンを耳に付け、また、プレイヤーのスイッチを押した。



「大佐、こちらです」


車に乗り込むと、私は緊張から開放された。


「そちらは?」


「あぁ、彼女から貰ったんだ。

私も昔、食べたことがある」


箱を隣に置いた。このお菓子の名前は確か…萩の月だったっけな。


「戻ったら食べましょう。みんな喜びますよ」


「そうだな」


私は病院を後にした。


「かえしてよ、おとうさんをかえして!」


あの日の記憶が蘇った。私は一度、彼女の家に行ったことがある。

まだ幼かった彼女は泣いて私にそう言い放った。

初めて萩の月を食べたのもその時だった。あれほど涙の味がしたのも初めてだった。

「立派になっていたよ」


今度は友の墓に顔を出そう。そして、約束を果たしたことを肴に、酒でも交わそうかな。


「大佐、今後の予定ですが…」


「あぁ」


懐かしむ暇もなく、私は日常に戻っていった。





「久保さん、おはようございます!」


「おはよう。今日も元気ね」


朝の空港を颯爽と歩く。この姿も板についてきた…はずだ。

あれから5年、私も遂に機長になり、後輩と呼ばれる人たちも増えてきた。


「お、久保。おはよう」


眠そうに欠伸をする○○。相変わらずピシッとしない奴だ。

「ほら、ちゃんとする!後輩見てるよ」


○○は適当な返事をした。まぁ、今はお説教はこのくらいにしよう。


「今日は?」


「那覇だから、久保の便じゃないな。じゃあ、行くわ」


○○の背中は最近頼もしくなった気がする。守るものが増えたからかな?

あの事故以来、○○はよくお見舞いに来てくれた。

そして、私の病室で美月に告白していた。

ったく、何やってんのよ。お幸せに!


今も2人は続いている。早く結婚しろと私は○○には圧力をかけている。


「あ…久保先輩!」


息を切らして走る彼女。まだ制服に着られていた。


「今日も…お願いします…!」


私の今の指導生だ。そして、案外長い付き合いでもあった。


「ほら、さくら!元気に!」


「はい!」


あれから連絡は取り合っていたが、まさか配属された時はびっくりした。


「行こっか」


私たちは足早にフライトの準備に向かった。



「エンジンOK、オイルOK、ハイドロOK」


いつもの様に機器をチェックする。隣でさくらも同じチェックをする。

あれだけの事故を経験しても、私は空に出ることを辞めなかった。


「よし、さくら行こっか」


「はいっ!」


飛行機のエンジンを入れる。滑走路をゆっくりと進む。

事故の恐怖を忘れた訳では無い。あの怖さは今でも脳裏に焼き付いている。

それでも多くの人に感謝をされた。私への世間の目は思っていたよりも優しかった。

それに、私は飛行機いや、空が大好きだ。それ以上に復帰した理由はなかった。


空港が目下に見える。機体を安定させると、私はマイクを持った。


「さくら、やってみる?」


さくらは首を小刻みに振って拒否した。まぁ、まだ早い。橋田さんが私に任せ過ぎていただけか。


「ふぅ…」


一息つく。そして、機内アナウンスのスイッチを入れた。

「本日は乃木航空250便をご利用頂き…」


あの日無くした何かは、まだ空に忘れたままだった。

だから私は今日も空に出る。

いつか、空の忘れ物を見つけるその日まで。


fin.

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