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空の忘れ物 第4話




数時間前


「はぁ…」


ため息は夏の蒸し暑さの中に消える。目の前には轟音を上げる飛行機が空の旅から戻ってきた。


金網に手をかける。ガシャンという音が心に反響する。


ウッドデッキには子連れの姿。幼き日の私に姿を重ねる。


「お父さん…」


堪えたはずの涙が零れた。



いつも通りにフライト前にウッドデッキに足を運ぶと、制服を着た女の子が飛行機を眺めていた。


家族や恋人が多いウッドデッキには異様な光景に見える。

少し気になって近付いてみるとその子は目をうるませていた潤ませていた。


「どうしたの?」


気がつくと私は声をかけていた。


「あ…すみません…」


少女は涙を拭った。何かを抱えているような面持ちに、私はなぜだか高校生の私を重ねた。


「飛行機好きなの?」


涙の理由は聞かなかった。


「昔、お父さんによく連れられて来てたんです」


少女はウッドデッキを見渡す。その目の奥には懐かしい光景が広がっているに違いない。


「じゃあ今日は家族旅行の帰りかな?」


明るく声色を上げた。彼女にも元気になって欲しかった。




「お母さんは小さい頃に、お父さんも最近…」


私は自分の発言が裏目に出た事に気がついた。


「そっか…ごめんね」


心臓が掴まれたように痛む。


「全然大丈夫ですよ」


彼女は優しかった。



彼女の名前はさくら。両親を亡くし、今日は大阪の叔母の元へ向かうらしい。


「はい、オレンジジュースで良かった?」


ベンチに腰かけるさくらちゃんにオレンジジュースを手渡す。白く細い腕が冷たい缶を受け取った。


「あ…ありがとうございます…」


強ばっていた表情がゆっくりと溶けていった。

さくらちゃんの隣に腰を下ろす。勢いで声をかけたものの、何を話したら良いのやら…。

それでも放っておけなかった。飛行機を見て佇む背中に、いつかの自分を重ねてしまったのだ。


「私…」


先に口を開いたのはさくらちゃんだった。



初めて出会ったお姉さんの隣に座ってジュースを飲んでいる。普段の人見知りの私ならまずありえない。


それでも今日は違う。お姉さんの優しい雰囲気はどこかお父さんに似ていた。


「私…どうしたらに良いんですかね」


人は気持ちが溢れると笑ってしまう。その本当の気持ちを隠すために。


「お父さんもいなくなっちゃって、1人になって…

これからどうしたらいいかも分からなくて…」


ダメだ、堪えて。人前で泣くのは嫌だ。


「お母さんとお父さんに…会いたい…」


神様は意地悪だ。私の想いには答えてくれなかった。



肩を震わせるさくらちゃん。やっぱり昔の私と一緒だった。

蒸し暑い風が二人の間を通る。それでも、今日は青空だった。


「私もそうだったよ。ずっとお父さんに会いたかった」


さくらちゃんがこっちを向く。


「ずっとずーーっと探してた。だから私はこの仕事をしてるの。

空に行けばその探し物が見つかる

私はそう信じてる」


時計に目をやった。そろそろフライトの準備の時間だ。


「だからお姉さんはCAさんになったんですね」


私はスっと立ち上がった。


「だから私はパイロットになったんだ」


さくらちゃんに笑顔が戻った。気がついたら私も笑っていた。





緊張着陸を決断したものの、まだまだ大仕事が残っていた。


「ふぅ…」


一度深呼吸をした。揺れる機内のパニックは容易に想像が出来る。


「美月、後は任せた」


私は機内アナウンスのスイッチを入れた。



異常が起きてから、もう30分近くが経っていた。

そんな時、唐突に機内アナウンスが流れた。


『当機は近隣空港への着陸を断念し、相模湾へ緊急着陸を行います』


久保の声は淡々としていた。その覚悟がひしひしと伝わった。

私たちも覚悟を決めた。しかし、乗客たちはそうではなかった。



「どういう事だよ!そんなの助からない!」


アナウンスを皮切りに機内にパニックが戻ってきた。乗客はそれぞれに騒ぎ出し、不安に拍車をかけた。


私は怖くて酸素マスクの紐を握るのが精一杯だった。


(あぁ、やっぱりそうか。お母さん、お父さん、今からそっちに行くね)


そう思った矢先だった。


『落ち着いて下さい!!!』


さっきとは違う女の人の声でアナウンスが流れた。そのアナウンスに一瞬の静寂が訪れた。


『パイロットは全力で助かる道を模索しています!

怖いのは…私だって同じです。それでも…それでも必ず皆さんを助けます。だから…』


その声は震えていた。

『だから落ち着いて下さい。

着陸後は私たちの指示に必ず従って下さい。

近くにお子様がいたら一緒に避難をお願いします。

必ず…必ず家に帰りましょう』


アナウンスは終わった。そして、声を上げる人はもういなかった。

機内に覚悟という名の沈黙が訪れる。



窓の外には海が見えた。



アナウンスを切る。息が上がっていた。


「山下、良いアナウンスだったよ」


先輩に言われる。必死すぎて何を言ったのか覚えていなかった。


「今は座りなさい。着陸したら私たちの出番よ」


先輩たちは少しも狼狽えてなんかいなかった。


「はい!」


席に着くとシートベルトをギュッと握った。



「ダメだ…」

いくら考えても厳しい。仮に着陸が成功しても、乗客全員を避難させるには時間がかかり過ぎる。


「タイムリミットは…30分だ」


海上自衛隊には連絡はしてある。頼みの綱は彼らだけだった。


「頼む。頼むよ」


自分の無力さを痛感する。俺はただ、祈るしかなかった。


「○○、落ち着け!」


吉見さんの声で我に返る。


「祈ったって仕方ない。俺らにできるのは橋田たちを信じるだけだ」


「はい…

取り乱してすみません」


席に座る。大丈夫だ、久保なら出来るはずだ。


無線はもう轟音しか聞こえない。レーダーに目をやると相模湾が近づいていた。



ピーピーピー
サイレンが鳴る。地上までは数百メートルだ。


「はぁ…はぁ…っ」


汗が止まらない。呼吸も忘れるくらいだ。


「…ぼ…久保!」


橋田さんの声で我に返る。体中、汗だくだった。


「久保、

どーーんと行くぞ」


私を呪い続けた言葉が今はとても頼もしく聞こえた。


「はい!」


目の前には大海原。空と同じく綺麗な色をしていた。


「来るぞ!」


機体を水平に保つために操縦桿を引き上げる。全身の力を腕に込めた。


「くっ……おりゃぁぁぁぁあ」


今までの揺れとは比べ物にならない。一瞬でも気を許したら負ける。

でも、私は負ける訳にはいかないんだ。

「やれ!頭を上げろ!」

「もっとだ!」

「分かってますよぉぉぉぉお」


ドーーーン
海面との衝突音が響く。目の前には真っ二つに割れた海が壁を作っていた。


「止めるぞ!」


また操縦桿に力を込めた。お願い、止まって!

わずか数十秒が一生にも感じた。巨大な鉄の塊が海面を滑る。そして…


ガタンッ!

その音と揺れを最後に飛行機は海上に止まった。

「やった…」


力が抜ける。椅子にへばりついてしまった。


「ここからだよ、行くぞ!」


私たちには避難誘導の仕事が残っていた。


「は…はい!」


タイムリミットは30分も残されてない。機体は今も海底へと沈み始めていた。



響くサイレン、揺れる機体。強烈な衝突音がした。

窓の外には真っ青な空と海が平行に見えた。


(本当に海に…)


機体が滑る感覚が分かった。次第にスピードが落ちていく。


(やった!)


その時だった。


「うっ…」


揺れとは同時に頭に鈍い痛みが走る。そのまま意識が遠ざかっていった。



避難は最初は順調だった。

着陸の衝撃で救急ボートは開かなかったが、乗客のパニックも少なく、海上自衛隊の艇へと受け渡しが進んでいた。

これならいける!誰もがそう確信していた。



しかし、次第に乗客が詰まり始めた。まだ半分近く残っているのにだ。


「美月、どうしたの?!」

『避難の艇の数が足りないの!』


一瞬で状況を理解した。

夏だから海に飛び込むのは容易い。しかし、沈みつつある機体の近くでは沈没に巻き込まれる危険性があった。


「どうしよう…」


いくら考えても機内で出来ることはもうなかった。

焦りに拍車をかけるように機体は角度を増していた。


「足元に気を付けてこっちへ!」


これで半分くらいか。機体の傾きを感じつつある。


「後何隻くらい出せますか?!」


救助隊員に尋ねる。返答は芳しくなかった。


「時期もありこれ以上は…今までの半隻程かと」


「半隻?!」


それじゃは全員は乗せられない。そんな…ここまで頑張ったのに…

「申し訳ない」


仕方ないことだ。そう言い聞かせるしかない。


「大丈夫です。お願いします!」


次の艇を待とうとしたその時だった。


ブロロロロッ

エンジン音が聞こえた。それも今までのとは違う、もっと大きな艇だ。


「嘘だろ…どうして?!」


救助隊員に動揺が見えた。


「あの艇は?」


「あれは…アメリカ海軍の艇です」


近づく艇はアメリカ海軍だった。それも1艇じゃなかった。これなら…


(これならいけるかもしれない!)


英語は分からなかった。それでも私は受け渡しを続けた。

急に人の流れが良くなった。


「美月、何かあった?!」


『艇の問題は解決した。そのまま誘導をお願い!』


「分かった!」


美月がそう言うなら問題はない。今は考えている時間はなかった。



「久保、残りは?!」


「この人たちで最後!」


「分かった!…お願いします!」


待っている最後の乗客を受け渡した。残っているのは乗務員だけだ。


「よし、みんなも移るぞ!」


橋田さんの声に続き乗務員も救助艇に乗り込む。


(なんだろ、この胸騒ぎ)


嫌な予感がした。




「おい、久保と山下も早く!」


「すみません、最後に確認してきます!」


そう言うと久保は機内に戻った。


「あのバカ!すみません私も行きます!」


私も久保の後を追った。


「おい!久保、山下!」


橋田さんの怒号は機内の音にかき消されていった。

機体は既に30度以上傾いていた。

「ちょっと久保、どうしたの!」


「なんだか嫌な予感がしたの。確認して早く戻ろ!」


勾配のある機内を走る。電気は落ち、足元は荷物でぐちゃぐちゃだ。


「誰かいますか!」


返事はなかった。良かった、杞憂だったんだ。不安が外れたことに安堵した。


しかし、杞憂だったのはその安堵だった。


「久保、こっち来て!」


呼ばれた美月の元に向かうと、そこに1人の乗客が気を失っていた。


「さくらちゃん!!」


「後列は私が見てくる。久保はその子の救助をお願い!」


美月の背中を尻目にさくらちゃんのシートベルトを外す。


「お…お姉さん?」


慣れない傾きで苦戦しているとさくらちゃんは目を覚ました。


「良かった。早く出るよ!」


ベルトを外し終えると手を引いた。


「すみません…こ、腰が」


腰が抜けるのも無理はない。私は肩を担いだ。


「焦らないでね。絶対に大丈夫だから」


さくらちゃんはコクリと頷く。

バリンッ
背後で窓ガラスが割れる音がした。沈没までのリミットはもうない。

足場の悪い中、2人の足取りも重かった。


「私の事は良いです。お姉さんだけでも…」


「バカ!何言ってんの!」


「でもこのままじゃ2人とも…」


でも、さくらちゃんの言うことは間違ってはいなかった。

「それでも…それでも進むしかないでしょ!」


強引に足を進める。転がる荷物がそれを邪魔した。

2人とも足はボロボロだろう。避難口はまだ先だ。


「まずい、電源が…」


配線コードから火花が散っていた。

そう言えば美月は大丈夫なのか。背中からの気配を感じるほど、私にも余裕は無かった。


「2人とも、遅いよ!」


背後からの声に振り返る。ずぶ濡れの美月がそこにはいた。


「後ろはもうダメ。残っている人はいなかった!

後は私たちだけ」


後ろから美月がさくらちゃんを支える。


「美月、ありがとう」


1人なら諦めそうだった。でも、2人なら出来ない気がしない。


「無事に戻れたらさ、休暇でるかな?」


「多分ね。出なかったら有給取ろ」


「そしたら温泉に行こ。今めっちゃ寒いから」


さっきまでの暗い気持ちはもうない。美月と話すといつも元気になれた。


「見えた、避難口だ」


真っ暗な闇の中にも希望の光が見えた。


「1人いました!」


そんなに時間は経ってないはずなのに、日差しが強くなった気がした。

さっきより沈んだ機内からさくらちゃんを受け渡す。


「久保、山下、よくやった!お前たちも早く!」


救助艇に移ろうとしたその時だった。

ガタン!!
爆音を轟かせて機体が大きく揺れる。


「きゃっ!」


「美月!」


バランスを崩し機内に吸い込まれそうな美月の手を咄嗟に掴む。


「ぐっ…やばい…手が…」


既に満身創痍な体が悲鳴を上げる。このままだと本当に2人ともやばい。


「久保…

大学から今日まで仲良くしてくれてありがとう」

「っ…何言ってんの!」


考えている事が分かった。手に力を込めるが力は入らない。


「本当にありがとう…

じゃあね…」


「やだ、絶対だめ!」


美月の手がするりと私の手から抜け落ちる。視界がゆっくりと流れていく。


「嫌、美月!!」


大切な人を失うのはもう嫌だ。でも、無情にも美月は私から離れていってしまう。恐怖で目が閉じる。

嫌だ…嫌だ!


もう声も出ない。


そのとき、背中に衝撃を受ける。私はゆっくりと目を開いた。


目の前には…美月がいた。私より長く力強い腕が、美月の細い腕をガッチリと掴んでいる。


今度は背中を振り返る。見慣れない鼻の高い顔だった。


「Great job, Captain」


美月が引き上げられる。私たちは救助隊員に支えられて救助艇に足をつけた。


「バカ!何言ってんの!」


「だって、だってぇ…」


美月を抱きしめた。そして、人目もはばからずに2人で大泣きした。

救助艇は機体から離れる。再び爆音を轟かせると、機体は海の中に消えていった。


(あぁ…終わった…)


私なりによく頑張ったと思う。


「久保…!くぼ!」


美月の声が遠ざかっていった。


fin.

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