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第10話

君には嫌われちゃったと思っていた。図書館に君が来た時、本当は嬉しくて泣いちゃいそうだったんだから。

ありがとう。

君に出会えて、本当に良かった。




夏休みも半分を切った。やることも特になく、僕は球児たちの青春を眺めている。


『カキーン』


金属音が響き、観客が湧く。ボールはレフトスタンドの柵を超えた。

サヨナラホームランを見届けた僕はテレビを消した。コップに麦茶を入れると、自室に戻る。

なんてことの無い1日。僕の夏休みは昔からこれだ。

部屋に戻るとスマホに留守電が入っていた。


「まさか…」


送り主を見て、僕は今日のダラダラを諦めた。


『11時に駅前ね!』


そう告げるさくらの声。11時までは後20分もない。


「はぁ…」


僕は大急ぎで支度を整えた。


「お、早いねぇ。そんなに私に会いたかったの?」


5分前に着いた僕の努力を返して欲しい。


「なんでさくらの方が遅いんだよ」


「時間ピッタリですー」


ドヤ顔で腕時計を見せられる。僕は何も言い返せない。


「ってか、僕が来ないってパターンは考えなかったの?」


僕は暇だけど暇じゃない。

「君なら来てくれると思ってた。だって私、預言者だし!」


「はいはい」


預言者という言葉を巧みに利用するさくら。いつか各所から怒られて欲しい。


「で、今日は何するの?」


この辺で遊べるところはもう遊び尽くした気がした。


「まずは、あのカフェに行きたい」


さくらにもコーヒーの良さが分かったのかな。いや、そんなことは無い。


「いいよ。行こっか」


さくらはの影は僕の後ろをゆらゆらと着いてきた。

僕らは夏の陽炎の中に歩みを進めた。

店内はいつも通りの空調にBGMが鳴っていた。


「じゃあ、いつものところ座っててよ。私が買うから!」


「分かった。ありがとう」


今日のさくらに少し違和感を覚えた。上手く言葉には出来ないけど、なんか…こう…。

頭を悩ませながらも僕は席でさくらを待った。


「はい、お待たせ」


トレンチに乗っているのはコーヒーが2つ。砂糖やミルクは乗っていなかった。


「全く、強がらなくて良いのに」


「君は私の成長を舐めすぎなのだよ」


さくらは顔色ひとつ変えずにコーヒーを飲んでみせた。

カップを置いても無言で僕を見つめてくる。


「…何さ」


「すごい?」


「普通かな」


別にコーヒーを飲めるようになったくらい、大したことじゃない。さくらは口を尖らせた。


「まったく、君ってそういうところあるよね」


「そういうところって?」


「い、じ、わ、る、なところだよ。まったくもう」


拗ねモードなさくら、まるで同い年とは思えない。


「でも、嬉しいよ。さくらがコーヒー飲めるようになってくれて」


さくらの顔はパッと明るくなった。


「最初からそう言えば良いんだよ〜」


嬉しさが言葉から溢れている。

この笑顔を見ると気持ちが和らぐ、そんな僕がそこにはいた。



「いただきます!」


並盛のラーメンを前に顔を輝かせるさくら。


「小盛じゃなくてよかったの?」


「舐めてもらっては困るのだよ」


相変わらずの自信だ。僕も自分のラーメンに手をつけた。

いつ食べてもラーメンは美味しい。さくらと食べるとさらに美味しく感じる気がした。


「「ごちそうさまでした!」」


驚いたことに、さくらは並盛を完食していた。


「よく食べたね」


「私だって食べれるもん」


体は大丈夫なの?そう聞こうとして言葉を飲み込む。そんなこと、さくらが1番気にしているはずだ。


「次は映画見たい!」


「分かった、行こう」


「ちょっと待ってて」


映画館に着いて早速、さくらはトイレへ向かった。

どれくらい待っただろうか。上映まで後数分しかない。


「ごめんごめん」


「長かったね」


適当に答えたつもりが、さくらの顔は呆れていた。


「デリカシーって言葉知ってる?」


「ごめんごめん。飲み物買っておいたから許してよ」


さくらにオレンジジュースを渡す。呆れ顔が笑顔に変わった。


「ポップコーンは?」


「買っても、もうお腹いっぱいでしょ?無理しないの」


「さすが、分かってるね」


ふかふかの座席に座った。今日の席は少し豪華にした。


映画の内容は有名アニメーション映画の再上映だ。猫になった主人公が猫の世界を冒険していた。


「私ね、この映画好きなんだ。もう何回も見たの」


「じゃあなんで今日も見に来たの?」


同じ映画を何度も見る。その感覚が僕には分からなかった。


「ずっと病室のテレビで見てたの。

だから1回は大っきいスクリーンで見てみたかったんだ!」


夢が叶ったと喜ぶさくら。その顔を僕はじっと見つめてしまう。


「顔になんかついてる?」


我に返ると恥ずかしさが襲ってくる。


「少し痩せた?」


適当な言葉で恥ずかしさをかき消す。

「君も女心が分かってきたねぇ〜」


本人は嬉しそうだから、結果オーライかな。



映画を楽しんだ僕らは併設されているショッピングモールで買い物をした。


「これとこれ、どっちが可愛い?」


「んー、こっちの青いやつかな」


「これとこれは?」


「左の方がさくらに似合うよ」


さくらは僕の選んだ方を全て採用した。私のおかげでセンスが磨かれてるねって一言余計だったけど。

買い物の終わりに前と同じく本屋寄るか、さくらに尋ねた。


「んー、今日はいいや。それより、あの公園に行きたい!」


チラッと時計を見る。気づけばもう18時を過ぎていた。


「今日はありがとうね」


地面に伸びた影が茜色に染まる。


「前とほとんど同じだったのに良かったの?」


「私のやりたい事をやったの!ここの夕陽も見に来たかったし」


それ以上は喋らず、じっくりと夕陽を見つめていた。

水面に映える茜色。でも、一番映えていたのはさくらの横顔だった。

黄昏の時間は短く、すぐに闇夜が忍び寄る。


「ねぇ、最後に行きたいところがあるの」


「良いけど、どこに行くのさ?」


これから僕らが行ける場所などそう多くはない。


「遊園地!最後はやっぱり観覧車だよね〜」


そう言って歩き出すさくら。僕はその背中を後ろから追いかけた。



「君たちはデート?」


券売のおばさんがニコニコと尋ねてきた。


「はい!」


そしてこちらは大嘘で返す。


「あらぁ〜良いわねぇ〜。今日の運転はもう最後だから、2人の貸切ね」


夜の遊園地は昼間とは違う雰囲気が漂っていた。楽しかった時間への未練や後悔が園内には散りばめられていた。

「それではいってらっしゃぁーい!」


係員の人が扉を閉める。15分間の2人きりの時間。


「なんで観覧車好きなの?」


「特別好きじゃないよ。でも、前に乗ったときは1人で乗せられたからさ」


恨めしそうに僕を見るさくら。その節はさくらの自業自得のはずだ。

「さくらが強がらなきゃ3人で乗れたのにね」


「君がその前に意地悪するからじゃん!」


「デートなんて言うから」


遥香といきなりデートさせられたことが、なんだかとても昔の事のように感じた。


「あ、かっきーとのデートが嫌なんだ。言っちゃお」


どうやらさくらは誤解を生むのが得意みたいだ。


「はぁ…もう僕の負けでいいよ」


勝ち誇ったような笑顔が少し癪だ。でも、それはさくららしい良い表情だった。


「わぁ…夜景も綺麗だね」


観覧車はゆっくりと、ゆっくりと僕らを運ぶ。


「本当だ、凄く綺麗」


この夜景も、この時間も、そしてこの笑顔も、今だけは僕の手の中にある気がした。

それから暫くはどちらも言葉を発さなかった。

いや、正確には僕は言葉が出てこなかった。ただこの空間にいるだけで満足していた。

さくらと僕は絶妙な間を空けて座っている。

横並びだけど、どこか埋まらないその隙間。

その原因は僕なのか、

さくらなのか、

はたまた運命なのか。


「ねぇ…」


その一言だけ発すると、さくらは僕らの間に左手を置いた。

僕は気づかないフリをした。


「ねぇ、手、握ってよ」


さくらは夜景を眺めながら僕に問いかける。


「急にどうしたのさ。それもお得意の預言?」


いつものふざけた返事を僕は期待していた。


「違うよ。これは…」





「これは“お願い”だよ」




さくらの預言はいつもお願いじゃないか。

そう返すことは僕には出来なかった。

ただ黙って手を重ねた。白く華奢で、確かな温もりがそこにあった。

僕らの間を繋ぐのはたった今できた1本の橋。繋ぎ目すらまだ緩い。

それでも今、確かになったことがある。僕はさくらのことが…


長かった観覧車も、もう下り半ばを過ぎた。


「僕も今日は楽しかった。最高の夏休みだよ」


高校2年生の僕の夏休みは、短い人生の中で最も輝いていた。


「良かった。君は本当に私に尽くすタイプだねぇ」


「言っても止まらないから諦めてるんだよ」


特別な時間の終わりは確かに訪れる。


「こうやって1日中遊べるのも今年が最後だからね…つい、わがまま言っちゃったの」


「来年は受験だもんね。さくらの癖にちゃんと先を見越してるんだね」


さくらは大きく首を振った。


「ううん。私には1年後どころか、明日だって見えてないよ」


その表情はどこか悲しかった。


「みんなそんなものだよ。さくらだけじゃないさ」


在り来りだが嘘じゃないはずだ。少なくとも僕はそうだ。


「君らしい…優しい言葉だね」



「じゃあさ、明日じゃないけど来週の予定をつくろうよ」


良い案を思いついた。さくらもきっと喜んでくれるはずだ。

いや、僕の願望なのかもしれない。


「来週のお祭りに一緒に行こう。だからそれまで頑張って勉強しようよ」


僕の予想通りに、さくらはパッと花を咲かせた。


「君からのお誘いは初めてだね!」


「も…もちろん遥香もね。3人で楽しもうよ」


急に顔に血が登り、誤魔化してしまった。いや、嘘ではないが本心ではない。


「それも楽しそう!浴衣着ないとなぁ〜」



ガチャンと扉が開く。僕らは地上へと戻ってきた。

僕は先に降り、さくらの手を引いた。


「あら、いい雰囲気じゃな〜い」


おばさんが一番楽しそうだった。人前に出ると急にしていることの重さに気づく。


「夏祭りに浴衣はめんどくさいなぁ」


「はい、そういう“ふじょう”の無いこと言わないの!」


「ふじょうはそもそもないし、僕は風情には興味はないんだ」


さくらは口角をムッと上げる。お決まりの顔だ。


「いじめだ。泣いちゃうよ?」


さくらは拗ねた。それでも、僕らは手を繋いだままだった。


「それじゃあ、また来週」


「うん。ばいばい!」


僕はさくらが家に入るまで手を振った。さくらもなかなか家に入らなかった。

1人になって今日のことを思い出してみた。でも、緊張のせいかあんまり覚えていなかった。

でも、一つ予定が加わった。

僕の夏休みはまだ輝きを失ってはいなかった。





「あ、○○!」


待ち合わせ場所に最初に来たのは遥香だった。白地に淡い花柄の浴衣が似合っている。


「浴衣、似合ってるよ」


「○○こそ、気合い入れちゃって!」


さくらにあれだけ言ったけれど、僕には風情がまだ残っていたようだ。


「別に、夏祭りなんだから良いじゃないか」


ニヤニヤと視線を向ける遥香を尻目に、僕はさくらを待った。

辺りは人でごった返していた。慣れない僕の浴衣姿も、今日は景色に溶け込んでいた。

スマホの時間を確認する。時刻はちょうど待ち合わせの19時だった。



「さく…どうしたのかな?」


スマホに目を向ける。時刻は20時を過ぎていた。

今まで遅刻さえ無かったさくらが連絡もしないなんて…。


「繋がらない…」


「私も…あっ」


背後でドンと大きな音が聞こえた。メインイベントの花火が始まったのだろう。

でも、気持ちはそれどころでは無かった。

花火が終わっても、辺りのライトが暗くなっても、僕らはさくらを待ち続けた。

それでもその日、さくらが来ることはなかった。



「大丈夫だよ、○○。さくなら大丈夫だから。

絶対」


遥香を家に送る。別れ際の“絶対”が頭から離れない。


「うん…。じゃあ、また学校でね」


1人夜道を歩く。心配と不安で心の中はぐしゃぐしゃだった。

こうして僕の輝いていた夏休みは唐突に暗く終わりを告げた。



……To be continued


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