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空の忘れ物 第2話



『皆さま、今日も乃木航空220便、羽田行きをご利用くださいましてありがとうございます』


入社式から1年が経ち、CAの仕事が少し板についてきた…気がする。


『羽田空港までの飛行時間は1時間5分を予定しております。それでは、ごゆっくりおくつろぎください』


慣れた手つきでアナウンスを終えた。

それに今日は記念すべき日でもある。今日のコックピットには…




「はい、久保はオレンジジュースね。橋田さんのコーヒーはここに置いておきますね」


「おぉ、ありがとう」


「ありがとう美月」


一礼をしてコックピットを後にする。副操縦席に久保がいる、それだけで仕事へのやる気が湧いてくる。

「山下、お客様の所へ」


「あ、はい!」


浮かれていてはダメだ。久保もしっかり操縦しているんだから。


お客さまの元へお飲み物を運ぶ。

その足取りはいつもより軽やかだった。




「同期か?」


美月が去った後のコックピットは静けさが目立つ。


「はい」


「同期は大切にな」


「もちろん、大切な仲間ですから」


指導教官の橋田さんは寡黙な方だ。これ以上、会話は弾まなかった。


橋田さんはアナウンスのスイッチを入れようとした。しかし、その手を1度止め、私を見た。


「今日は久保に任せる」


そう言うとアナウンスのスイッチをONにした。

『本日は乃木航空220便羽田行きをご利用いただき、誠にありがとうございます。

羽田空港への到着時刻は16時50分を予定しております。

機長は橋田、副操縦士は久保が勤めております。

それでは快適な空の旅をお楽しみください』


誰にも見られて居ないのにお辞儀をする。それを見て橋田さんはスイッチを切った。


「いきなり振らないで下さいよ」


「その割にはよく出来てたぞ。

機長目指すんだろ?その予行練習だよ」



「橋田さんがアナウンス苦手なの私知ってますよ」

少し生意気に答えると橋田さんは微かに笑った。




フライト時間は長いようで実は短い。

色々な機器の調整や計算をしていると、気付けばもう東京の明かりが近づいていた。


「なぁ、久保」


寡黙な橋田さんから話を振られる事は少ない。少し驚きつつ、内心は嬉しかったりもした。


「なんですか?」

気軽に答えたのを私は直ぐに後悔することになる。

「あの事故のこと、どう思っている?」


フライトで高ぶった気持ちは、冷水をかけられたの如く芯から冷めてしまった。


「えっと…」


いつも返していた答えも橋田さんの前だと何故かすんなり出てこない。


「父が起こした事故のことは…家族として申し訳ないなって…」


なんとか言葉を絞り出した。いつもと同じ苦しい言葉。


「そうか」


橋田さんはそれ以上聞いては来なかった。

自分で聞いたくせにその反応って…不満に思ってないことはない。


「そろそろ準備しろ」


何事も無かったかのように着陸準備の指示を出す。


「はい」


不満は仕事にぶつけることにする。心の叫びは着陸の轟音の中に溶けていった。




「ふぅ…」


地上に戻った時の安心感は何回感じても良いものだ。


「お疲れキャプテン!」


「まだ見習い。美月もお疲れ様」


2人ともこの後の仕事はない。こういう時は私の家で飲むのがお決まりのコースだった。


「久保、いつものね」


「はいはい」


更衣室を出てロビーに戻った。



「あれ、橋田さんじゃないですかぁ」


ロビーには、いつもならすぐ帰る橋田さんが誰かを待っていた。


「お疲れ様です」


「お疲れ様。久保、この後時間あるか?」


意外な誘いに驚く。私は美月の方を見た。

無言でグーサインを出してくれた。ごめんね美月。

「はい、大丈夫です」


「少し付き合ってくれ。山下、久保借りるな」


そう言うと2人は今来た道を戻って行った。



「はぁ…1人になっちゃったぁ」


今日は〇〇は夜までだし、1人で遊びに行く気力はない。


「家に帰るしかないな」


急に疲れが襲ってきた。明日もオフだし、今日はゆっくりしよう。




カチッ

橋田さんに連れられてきたのは馴染みのある部屋だった。


「シュミレーターって…

さっきまで操縦してましたよ?」



「まぁまぁ。使い方は分かるか?」


「訓練で使ったことあるので大丈夫です」


フライトシュミレーターの電源を入れる。訓練内容の選択画面が現れる。

「どれやりますか?」


「ちょっと待ってろ」


橋田さんは設定画面をいじる。そして、150と書かれた訓練を選択した。


「えっ…これって…」


言葉をかき消すようにアラーム音が鳴り響く。体験したことのない揺れがシュミレーターを襲う。


「あの日の150便だ」


橋田さんはそれだけ言うと教官の席に戻る。私は揺れる操縦桿を力いっぱい握った。


「えっ…何これ…」


今まで握っていた操縦桿とは全く別物だった。


「動かない…なんで…」


機体は高度を下げ続ける。そして大きな衝突音と共に、画面が暗転した。

「もう1回」


操縦桿を少し動かしても機体のコントロールは効かなかった。


「もう1回!」


またも衝突音が鳴り響く。山どころか市街地に墜落させてしまった。


「もう1回!!」


意地になって操縦桿を握る。


「んんんっ!」


機体の頭を上げようとする。それでも機体の水平を保つのがやっとだった。

「どうして…」


額から大粒の汗が落ちる。気付け1時間以上経っていた。

操縦桿に顔を埋める。自分の実力の無さを痛感した。


「もう1回やる…」


始めようとした時、橋田さんが肩を叩いた。


「とりあえず上がれ。もう限界だろ」


悔しいがその通りだった。フラフラの足取りで席を立った。

「お疲れ様」


まだ熱が冷めきらない。目の前に置かれたお茶を飲む気にもなれなかった。


「あ…ありがとうございます…」


上がった息を整えるにはまだ時間が必要だった。

橋田さんはゆっくりとカップを口に運ぶ。飲んでいるのは大好きなコーヒーだろうか。


「あの事故の後、世界中のフライトシュミレーターに150便の事故が加えられたんだ」


やっと息が落ち着いてきた。出されたお茶はすっかりぬるくなっていた。


「世界にパイロットは何人いると思う?」


「えっと…10万人位ですか?」


昔教わった記憶があるが、残念ながら記憶の海には残っていない。


「約30万人だ。

その30万人が事故のシュミレーションをした。

何人が親父さん…久保さんと同じ飛行ができたと思う?」


答えることが出来なかった。同時に胸の奥に何かが込み上げてきた。


「ほんのひと握りだ。乃木航空内でも数人もいない」


唾を飲み込む。私は声を絞り出した。

「は…橋田さんはどうなんですか」

橋田さんはゆっくりと答える。


「俺だって成功したことはない。

世界中のパイロットが出来ないことを久保さんはやってのけたんだ。

しかも、あの極限の状況でだ」


柄にもなく橋田さんはよく喋る。言葉の節に気持ちがこもっているように感じた。



「えっ…」



突然、手に水滴が落ちる。額の汗はとっくに引いていた。

「それでも久保さんが起こした事故か?」

橋田さんの言葉が重くのしかかった。

涙が止まらない。ずっと心の中で塞いでいた気持ちが溢れる。


「物心ついた時からお父さんはずっと悪者で

それを言われるのが悔しくて…でも…」


今までの出来事が頭を巡る。そうだ、私はいつも…

「でも、人の目を気にして嘘をついている自分が一番悔しくて…」


自分の気持ちに蓋をし続けてきた。今ならその蓋を開けられる気がした。


「本当はお父さんのこと、今でも…昔からずっと、ずぅーーっと尊敬してます」


長く心にかかった靄が晴れていく。大きく深呼吸をすると、次第に周りが見えてくる。

橋田さんの顔を見る。涙でよく見えなかったが、笑っている気がした。


「1つ覚えておけ

俺たちは、久保さんのことを悪者だなんて思ったことは1度たりともないからな」


その言葉を聞いて、収まりかけていた涙がまた溢れ出す。


「おい、もう泣くな」


「だって…うぁぁぁぁん」

橋田さんに抱きつく。


「おい、俺には妻子が…」


その言葉に思わず笑ってしまった。


「もう、違いますよ。

こんな時くらい慰めてください」


普段の調子に戻った。急に泣いていたのが恥ずかしく思える。


「早く一人前になれよな」


「すぐなっちゃいますよ」


こうして私たちは部屋を後にした。




「やっぱりここが一番落ち着く」

橋田さんと別れた後、どうしても飛行機を見たくて展望デッキに来た。


「んーーーっ」


軽くなった心に空気をいっぱい吸い込んだ。


目の前を飛行機が離陸した。


私も早く一人前になりたい。そして、早く空に忘れ物を取りいかないといけない。

決心を再確認した時、スマホに一通のLINEが届く。


「あちゃ、こりゃやってんな」


美月からボイスメッセージが届いた。聞くまでもない。美月は酔うと甘え上戸になる。


「何か持ってってあげよ」


スマホの時間を見る。まだ21時にもなっていないかった。




「あ、〇〇」


食堂で会うなんて珍しい。


「お、久保か」


そんな会話をしていると貫禄のある人物が近づいてくる。


「吉見さん、お疲れ様です」


「お久しぶりです」


2人揃って頭を下げていた。新人ムーブはなかなか抜けない。

「2人とも、昼食は済ませたかな」


「俺は今からで…久保は?」


「私も今からです」


「なら好きなものを頼むといい」


その言葉に胸をときめかせた。さすが上司だ。橋田さんも見習って欲しい。


「「ありがとうございます!」」




「吉見さん、ご馳走様でした!」


仕事があった久保は俺たちより先に食堂を後にした。



「彼女、良い顔になったな」


「前からあんな感じっすよ」


「馬鹿、造りの話じゃない。

今の笑顔は清々しい笑顔だったよ」


俺には分からなかった。上に立つ人はそこまで分かるのかと感心する。

「先に独り立ちするのは彼女の方かもね」


「いや、絶対に俺っす」


「ハハハ、期待してるよ」


そう言い残し吉見さんは席を立った。


(絶対負けない)


謎の対抗心を燃やしながら、俺は残りのカツ丼を頬ばった。



fin.

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