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死神ちゃん 第2話



「このお花はねシロツメクサっていってね、花言葉はね…」

花の名前や花言葉なんて興味が無い。当時の俺はすぐにでもサッカーに混じりたかった。

「瑠奈は色んな花のことを知ってるんだね」

そう言うと瑠奈の顔にも花が咲く。

「だってね、瑠奈大きくなったらお花屋さんになるんだ!」

俺は瑠奈のこの顔が大好きだった。この顔を見るためなら、退屈な花の話も何時間でも聞いていられた。



「えっ…だって私、まだ17歳ですよ…」

目の前の医者は暗い顔をして俯くばかり。隣のお母さんは私より先に泣いていた。

「それなのに…白血病なんて…」

医者は重い口を開く。

「若い人の発症率が高い病気で、5年生存率は50%です」

私が何か悪いことでもしたの?

ただ普通に学校に行って、普通に勉強して、普通に部活をして…

ただ普通に生きていただけなのに。

それからの話は耳に入らなかった。でも、お母さんの「ごめんね」という声だけが耳に残った。



「じゃあ、サクラは知ってたってこと…?」

「はい」

「…いつから…?」

「初めて瑠奈さんと出会った時からです」

そう告げると瑠奈さんは何とも言えない顔をした。

悲しさ、絶望、失望、でも1番強かったのは‘怒り’だった。

「…出てって。今すぐ出ていってよ!」

お気に入りのぬいぐるみが飛んできた。今の私にはここにいる権利も、勇気も無かった。


瑠奈さんの元に来たのは5年前。まだ彼女は中学生になったばかりだった。

「お姉さん、誰?」

そう聞かれたことを昨日のように覚えている。

そして私は正体を隠した。まだあどけない12歳の少女に死神だなんて言えなかった。

そして私の5年越しのツケが回ってきた。

誰に付くと決まってから最期の時までの期間は分からない。5年という期間は、仲を深めるには十分過ぎた。

歩き慣れた道。もうどこに何があるかも完璧に分かる。

瑠奈さんが通う高校も、一緒に絵を書いた屋上も、初めて会ったあの公園も。

「なんでかなぁ…」

友達としての本音が口から漏れていた。



あれから1ヶ月。私は全てを諦めていた。病院にも行かず、治療もせず、ご飯も最低限しか食べていない。

このまま死んでもいい。そう思っていた。


でもそんな覚悟を揺らがすのは、やっぱりアイツだった。

「瑠奈いるかぁ」

今日もアイツは私の部屋の前で騒ぐ。その一言一言が私の心をくすぐる。

「今日は学校でな…」

先の無い私に学校の話なんてしたって意味無いのに。

「俺、サッカーの試合でゴール決めたんだぜ」

昔からサッカー上手だったでしょ。それくらい知ってるよ。

「花壇の花、たくさん咲いてるぜ。ちゃんと委員会の仕事しろよな」

一緒にやっていた環境委員会。そっか、ちゃんと咲いたんだね。

「なぁ瑠奈、顔見せてくれよ」

毎日最後にこれを言う。いつもなら無視をする。でも今日は…

「帰って…」

「瑠奈!」

「もう…もうここには来ないで…」

「どうしてだよ。なぁ、扉開けて…」

「もう来ないでって言ってるでしょ!」

またぬいぐるみを投げる。扉に当たった音が響く。

「…今日は帰るよ。またな」

その言葉を最後に、もう扉の向こうから声はしなかった。

さっきの勢いとは裏腹に、ぬいぐるみは力なく床に転がっている。

「どうして…どうして私だけ…」

言ったってしょうがない。それくらい分かっている。でも、言わずにはいられない。

固く握った拳でベッドを叩く。スプリングに弾かれて手が赤くなる。じんわりと広がる痛み。それが嫌でも生きていることを実感させる。

拳の上に涙が落ちる。赤みを和らげる様な、青い雫。でも、痛みは引かない。

もう枯れたと思っていた。散々泣いて諦めたはずだった。


散々泣くと、目の前に誰かの気配がした。スっとティッシュが差し出される。

「どうしてサクラが泣いてるのよ…」

そこにいたサクラは私より泣いていた。可愛い顔をぐしゃぐしゃにして。

「グスッ…だって…グスッ…瑠奈さんに後悔してほしくないから…」

後悔か…そんなのないって言ったら嘘になる。まだやりたいことはたくさんある。

「ばかっ…サクラのばか…」

私はサクラに抱きついた。サクラは優しくそれに応えてくれた。




その日、私は夢を見た。すごくリアルで、どこか懐かしい夢。


「いやぁ、派手にやられたね」

「うん、でもジャージ持ってて良かった」

「さく大丈夫?泣いてない?」

「大丈夫だよ。私、……と一緒なら……」

「ありがとう。私もさくが…ば……から……」


「お母さん、びっくりするかな」

「制服びちょびちょだからね。明日までに乾くかなぁ」

「プールに飛び込んだことにしちゃおっか」

「余計困らせちゃうだけだよ。ねぇさく、大…」


所々曖昧なまま、突然夢が終わる。目が覚めたとき、瑠奈さんはまだ私の膝の上で眠っていた。



次の日もアイツは私の部屋に来た。もう来ないでって言ったのに。

「今日は告白されたんだ」

えっ、アイツが告白?!

嫌でも興味が湧く。音を立てないように、こっそり扉に近づいた。

「ほら、隣のクラスの松尾さん。結構可愛いよな。

でも、断っちまった。」

どうしてよ、アンタには二度とないチャンスなのに。

そう思っている反面、胸の奥がザワザワしていた。


「なぁ瑠奈、そこにいるんだろ。開けていいか?」

いつもと同じ言葉。何でかは分からない。分からないけど、私は扉を開けていた。


「瑠奈、久しぶりだな」

私は黙って頷く。

「髪の毛、ボサボサじゃねぇかよ」

うるさい、一言余計なやつ。でもそんなこと今は二の次だ。

「…どうして告白断ったの」

心拍数が上がる。心臓が口から飛び出そうだ。

聞きたい答えを待っている、そんなズルい私がいる。



「俺はさ、子供の頃から花なんて微塵も興味なかった。花を眺めてるくらいなら、ボールを蹴っている方が何倍も楽しかったよ。

でも、そんな花の話をする瑠奈の顔が好きだった。

覚えたての花言葉を自慢げに話す、そんな瑠奈の笑顔を見るためなら、サッカーだって我慢できた。

俺が好きなのは昔っからずっと瑠奈だよ。」



嬉しかった。最高な答えだった。まぁ、少し知っていたけどね。

でも、頭は冷静だった。

「ありがとう…。でも、私死んじゃうんだよ?」

言いたくないこと、いや、伝えないといけないこと。

「私はアンタより先に死んじゃう。

来年だって…1週間先だって分からないんだよ。

そんなの…そんなの辛すぎるよ。

もっと…もっと私は一緒に居たいのに…」

ダメ、耐えて。もう泣かないって、そう決めたでしょ。


「そんなの関係ないよ。

それが明日でも、

1ヶ月後でも、

1年後でも、

100年後だって、

俺はいつでも瑠奈の隣にいるからさ」

そう言って優しく私を抱きしめる。その胸に私は重みを預けた。

「約束だからね。

絶対、絶対一緒だからね」

子供みたいな我儘。でも、今日くらいは許してほしい。


それからは時間の埋め合わせをするかのように、私の部屋でたくさん話をした。

思い出話に花が咲く。気づけば窓の外は暗くなっていた。


「なぁ、明日はどうすんだよ。

学校来るだろ?」

私は首を横に振る。アンタの驚いた顔、やっぱり最高だよ。

「独りじゃ行けない。朝、迎えに来てくれるよね?」


「もちろん。可愛い彼女のお願いだからな」

彼女…その言葉に心が跳ねる。驚かせたつもりが、もろにカウンターを食らっていた。



それから瑠奈さんは普通の生活を送った。

学校に行き、

友達と遊び、

部活にも足を運び、

委員会の花壇で花を育て、

放課後は2人でデートもしていた。


でも、普通だけじゃなかった。

数日置きに病院にも足を運び、

数日間入院することも少なくなかった。

辛い抗がん剤の治療で髪の毛が抜けた。

ご飯が全く食べられないときもあった。

1日中、吐き気と戦っているときもあった。

それでも瑠奈さんは治療を辞めなかった。あの日の約束がいつも瑠奈さんを支えている。

どんなに辛い治療でも、隣にはいつも彼がいた。


「ねぇ、サクラ」

「どうしましたか」

「ううん、やっぱり何でもない」

このやり取りは夜の定番だった。

何を聞きたいかは分からない。でも、何かを確認するかのようだ。

「私、今日も頑張ったよね」

そう言うとニッコリ笑う。以前より痩せた笑顔は、以前よりも明るく見える。

「はい」

そんな笑顔に私もつられていた。



「俺さ、花言葉覚えることにしたんだよね」

大学3年生のある日、窓の外ではイチョウが色とりどりに輝いていた。

「昔から沢山教えてあげたのに、覚えてないの?」

横を見ると決まりの悪そうに顔をしかめている。

「そんな顔しないで。

でも、なんで急に?」

今度は何故か自信満々な顔をして答える。

「俺、やりたいことが決まったんだ。将来の夢的なね」

「将来の夢もいいけど、ちゃんと卒業するんだよ?」

「おう、任せとけよ」

そう言ってパソコンの画面に目を移す。カタカタとキーボードを打つ音が病室に響く。


「瑠奈の夢ってさ…お花屋さんだっけ?」

「昔に言ったの、よく覚えてたね」

とっても嬉しかった。でも、今の本当の夢は…

「じゃあ、その夢叶えよう!俺に任せとけ!」

そう言い残して病室を飛び出して行った。パソコンには作りかけの卒論が開きっぱなしだった。

「まったく、どこに行ったのやら…」

こんなの昔から慣れっこだ。私は卒論を上書き保存をして、パソコンを閉じた。


「ただいま!」

うきうきで帰ってきたその手には…

「折り紙?」

「そう。本当は本物の花が良かったんだけどな」

「誰が折るのよ」

「そりゃあ俺と瑠奈でしょ」

それからは面会時間ギリギリまで2人で折り紙をした。

意外と難しくて、奥が深い。暇な入院生活にはもってこいかもしれない。


「出来た」

折り方の本と何回もにらめっこをして、時間をかけた最初の作品は‘’ピンクのバラ”だった。

「なんでピンクのバラ?」

「ちゃんと勉強しなさい」

答えは教えない。でも、いつかは分かってくれるはず。

1人になった病室もその日から寂しくなかった。難しい花を折る度、今に色が塗られていったから。



大学4年生の年になるとお見舞いの回数も減った。アイツ、就活大丈夫なのかな。

そう思いながら病棟を歩いている。ラウンジを通りかかったとき、見慣れない背中が俯いていた。


「大丈夫?」

その小さな背中は驚きながらも、ゆっくりと顔を上げた。

「最近入院したの?」

その子は無言で頷く。

「そっか。暇だよねここの生活は」

表情が少しずつ緩んでいく。ギュッと結ばれていた額のシワはもうない。

「私は瑠奈。名前は?」

「…あやめ…」

「可愛い名前じゃん。同じ名前のお花があるの知ってる?」

「うん!キレイな紫色のお花だよね!」

パッと輝く笑顔。これだけは何にも変えられない。

「ちょっと待ってて」

私は急いで病室に戻る。そして、1輪の花をポケットに入れる。


「お待たせ。これ私からのプレゼント」

「これ…アヤメだ!」

紫色の花は我ながらよく出来ていると思う。

「一緒に折ってみる?」

ポケットから本と折り紙を取り出した。屈託のないいっそうと輝く。

「うん!!」


そこからは2人で折り紙を折った。諦めないで折る姿に私は終始癒されっぱなしだった。

「ふぅ…いっぱい折ったね」

午後6時、夕食の時間でその日はお開きになった。

「お姉ちゃんはお花屋さんだね!」

唐突な言葉に私は驚く。

「なんで?」

「だってこんなにいっぱいのお花を作れるんだよ。病院のお花屋さんだよ!!」

「ありがとう。また一緒に作ろうね!」

小さな背中が遠ざかる。見えなくなるまで、私はずっと手を振っていた。

その背中に合わないくらい辛いことを背負っている。でも、今日この時だけは笑顔でいてくれた。

「お花屋さんか…」

緩みっぱなしの頬と折り紙の本、袋いっぱいの花を詰めて私は病室に戻った。



その日からラウンジは明るい声で溢れていた。

「次はね、ここを内側におるの。このときにしっかりと角と角を…」

病院のお花屋さんの話は直ぐに広まった。花屋さんは今、ちびっ子たちに作り方を教えてるので大忙しだ。

毎日大盛況。看護師さんも病棟が明るくなったと喜んでいる。

「あれ、あやめちゃんは?」

「昨日退院したみたいですよ。アヤメの効果があったんですかね」

良かった、瑠奈さんはそう呟く。


「はい、これ」

瑠奈さんはピンクの花を私に差し出す。

「桜ですか?」

「そう。サクラにピッタリでしょ?」

さらに痩せた頬。それでも笑顔は昔から変わらずだ。

「ありがとうございます。大切にします」

その花から匂いはしない。水も必要ない。枯れることもない。

今までで1番綺麗な桜だった。



ピッ

ピッ

ピッ

ピッ


耳障りな機械音。もうどれくらい時間があるのだろうか。


「ねぇ…サクラ…」

「どうしましたか」

「ありがとね」

「そんなこと…そんなこと言わないでください」


「あの…ね、最後のお願い…決めたの…」




その日は凄く寒かった。

いつも通り大学に行って、昼飯を食ってから瑠奈のところに顔を出す予定だった。


でも登校中に気が変わった。それがなんでかは俺にも分からない。



「瑠奈、今日はちょっと早く来ちまったよ」

無機質な機械音に弱々しい声が消される。ここに来るとどうしても気持ちが揺らぐ。

「がっこ…サボっちゃダメだよ…」

「今日は休講なんだよ」

「ありがとう」

そこからはいつも通り、他愛のない話をしていた。就活のこと、卒論のこと、本当にいつもと変わらない。


それでも何か上手くいかない。今日は何だか変な感じがした。

瑠奈の枕元に機械が増えたから?

瑠奈の手が更に細くなったから?

考えても答えは違かった。


「そうだ。これ」

サイドテーブルに置いてある3輪の折り紙。

「これがハーデンベルギア


こっちはシラー



そして、この赤いのがアネモネ」


細く冷たい手から渡される3輪の花。

「これはどんな花言葉なの?」

涙は我慢した。辛いのは俺なんかじゃない。

「もう分かるでしょ」

その一言が嬉しかった。瑠奈に認められた、そんな気がした。

「アンタには小さい頃から迷惑かけっぱなしだね。

こんな自分が情けないよ」

「迷惑だなんて…」

「さいごまで約束を守ってくれてありがとう。

本当に、本当にありがとう」

大きな瞳から白い頬へと涙が伝う。俺の視界も、もうぼやけっぱなしだった。

「全く、男の子なのに情けないぞ…。


私、眠いから少し寝るね」

そう言って瑠奈は目を瞑った。俺はその手を離すことは無かった。



それが瑠奈との最後の会話だった。




「んーーーっ…」

重いシャッターを開けると、朝の太陽が俺を迎える。

「今日も綺麗だな」

花に水をやり、開店の準備を整える。

俺は大学を卒業して花屋を開いた。店の名前は『お花屋さん』。シンプルで超分かりやすいだろ?


「それじゃ、今日も頑張るよ」

店の奥には誰にも売らない、絶対に枯れない、俺だけの花が4輪ある。

1輪目はハーデンベルギア。
花言葉は『出会えて良かった』


2輪目はシラー。
花言葉は『変わらない愛』

3輪目は赤いアネモネ。
花言葉は『あなたを愛している』


4輪目はハルジオン。
花言葉は『追想の愛』

fin.

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