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第9話

電気を消してからすぐに君の寝息が聞こえた。

こんな無理言ってごめんね。そっと君の背中に手を添える。君の温もりを肌で感じたかった。




僕の夏休みは慌ただしく始まったが、その後はいつもの様子を取り戻していた。

さくらや遥香と遊ぶことも無ければ、顔を見る機会すら無かった。


「うまっ…」


博多土産のめんべいを食べながら、僕は宿題を進める。宿題はさっさと終わらせるタイプだ。

『やっほー。今日はね、かっきーとショッピングに行ったんだ!』


1つ変わったことがあるとすれば、毎晩さくらから“今日の出来事”を報告するメールが届くようになった。


『それは良かったね。ところで、夏休みの宿題は進んでるの?』


『全然やってない!』


はぁ…。安定のさくらっぷりだ。

『楽しそうなところ悪いんだけど、明後日大丈夫なの?』


この調子だと多分…。


『明後日?なんのこと?』


やっぱり、僕の予想が当たった。


『明後日は登校日じゃないか。宿題の提出もあるよ』


多分さくらは画面を見て、顔を真っ青にしているはずだ。

しかし、僕の予想は当たらなかった。


『預言するね。明日、君は私の家に来る。そして、宿題を手伝うでしょう!』


さくらはこういう奴だ。でも、もう慣れていた。


『明日って…雨予報なんだけど…』


大きな欠伸をする。時刻はそろそろ0時を回る頃だ。

そして、その日、さくらからの返信は帰ってこなかった。



夏の雨は嫌いだ。蒸し暑いし、気分は下がるし、宿題を手伝わされるしで僕にとって良いことが1つもない。

ピーンポーン

チャイムを鳴らすと、間髪を入れずに扉が開いた。


「やぁやぁ、よく来たね」


「変な預言のせいだよ。まったく…」


僕の気分とは対照的に、さくらはニコニコしていた。


「ここが私の部屋です!」


何度も家の前には来ていたが、入るのは初めてだった。

さくらの部屋は物が少なかった。綺麗に整えられていた部屋に女の子らしさを感じる。


「で、どこまで終わってんの?」


「ゼロです!」


さくらは僕の隣に座った。まだお昼過ぎ、時間は十分ある…はずだった。


さくらはやる時はやる。そして話もちゃんと聞く。

そんなさくらに付き合っていると、時間は驚く様に溶けていった。


「疲れた。勉強は頭が痛くなるねぇ」


さくらの頭から煙が出ていた。


「集中してたからね。後は…まだ半分くらいか」


残っている量に絶望しつつ、とりあえず休憩することにした。

「君って、好きな人とかいたことある?」


もらったアイスティーを飲みながら、過去の恋愛話に花を咲かせる…ことは出来なかった。


「いや、そんな人はいたことない」


「そっか」


さくらはいつもみたいに悪戯に笑いはしなかった。

ただその言葉を噛み締めている、そんな表情をしていた。


「じゃあさ、こういうのは?」


さくらはいきなり膝立ちになると、僕との距離を急に詰めた。

僕はベッドの淵とさくらに挟まれる。さくらの髪からはとてもいい匂いがした。


「えっ…ちょっ…」


さくらの顔は僕の目の前にある。目線はじっと僕の目に注がれる。

心臓が口から飛び出しそうだった。

「ねぇ、どう?」


さくらの声は変に落ち着いていた。


「どうって…分からないよ」


緊張以外にも、もう1つの感情が湧いた。マッチの火の様な弱くて微かで、確かな怒りだった。


「冗談だよ〜。ドキドキした?」


いつもの調子で僕に尋ねた。

甘い匂いはまだ僕の鼻にこびりついている。

そして、その一言が僕の何かを刺激した。


僕は無言でさくらの体をベッドに押し倒す。


「えっ…ちょっと…冗談だよね?」


声色が変わる。明らかに狼狽えていた。


「どうかな」


自分でも意味の分からない返事をした。

さくらを握る僕の手も、掴まれていたさくらの手も震えていた。

「痛いよ…離して…」


その一言で我に返った。僕はさくらの手を離す。さくらは暫くベッドから動かなかった。


「ごめん、そんなつもりは無かったんだ。

本当にごめん」


さくらからの返事は無かった。僕は自分のしたことを後悔した。

夏の雨は嫌いだ。本当に今日は良いことがない。

無言の時間が続いた。それに耐えられなくなった僕が口を開く。


「偶然出会った僕らって、なかなか分かり合えないね」


さくらとは合わないことが多かった。でも、言葉に深い意味はなかった。

いつの間にかさくらはベッドの上に座っていた。

「そんなこと…言わないで…」


「何?」


言葉はちゃんと聞こえていた。


「そんなこと言わないでよ!」


さくらが声を張る。その目は潤んでいた。


「僕は事実しか言ってないじゃないか」


どうして張り合ってしまうのだろうか。でも、今日はさくらに謝る気分にはなれなかった。


「偶然だなんて…そんな簡単な言葉にしないでよ!」


初めて見るさくらの怒りの表情だった。僕には返す言葉が無い。


「人は必要な時に必要な人に出会うの。

だから…偶然なんかで片付けて欲しくない…」


言葉は次第に弱々しくなっていった。僕はさくらの顔を見ることが出来なかった。


また無言の時間が流れる。雨なんて大嫌いだ。


「…ごめん」


冷静になったさくらが謝った。それでも僕はさくらに謝れなかった。


「…帰るね」


僕は急いで荷物をまとめた。


「ちよっ…」


さくらの声が聞こえたが、僕は構わず部屋の扉を閉める。

僕は傘も忘れて、夏の雨の中へと飛び出した。

いつもなら、なんてことは無かった。

それでも今日はさくらの冗談を許容することが出来なかった。

理由は分からない。それでも、理由のない怒りで僕がさくらを傷つけた。

降りしきる雨だけが僕を責め立てる。さくらの家が遠ざかる程、僕の心は後悔の念で溢れていった。

家に帰ると母はずぶ濡れの僕に驚いていた。

直ぐに風呂に入る。風呂の中で僕は頭を冷やした。

発端はさくらのあの行動だった。でも、僕はさくらを傷つけた。

素直に謝れそうには無かった。最悪の場合も考えた。でもそれは数ヶ月前に戻るだけだ。


のぼせてきたから、僕は風呂を出た。脱衣所の時計を見ると、僕は1時間も入っていた。

冷蔵庫からコーラを取り、半分くらいを飲み干す。僕は思いっきりむせる。それでも僕はコーラを一本飲み干した。

部屋に戻り、携帯を開く。何故か無数の着信がきていた。

僕は渋々、その番号に電話をかけた。

「どうしたの遥香?」


『どうしたのじゃないでしょ!ねぇ、さくに何したの?』


情報は早かった。既に僕の愚行は遥香の耳に入っているらしい。


『さっき、さくが家に来た。こんな雨なのに傘もささないでね』


僕は心臓が掴まれる感覚がした。さっき飲み干したコーラが喉元まで上がってきた。

『さく泣いてたよ。“○○に酷いことしちゃった”って。

詳しくは話してくれなかったけど、初めて見るくらい大泣きだった…』


さくらは詳細を遥香に話していなかった。


「それは…その…」


僕は応えを濁した。隠したかった訳では無い。ただ、上手く説明できる言葉が見つからなかった。


『ねぇ○○、あの言葉嘘だったの?』


電話越しの遥香の声は泣いていた。


『旅行の時言ってたよね。さくのこと悲しませないって』


僕はやっぱり最低だ。

女の子を泣かせるのも、

約束を守れないのも、

自分のエゴで他人を傷つけるのも。


「ごめん。僕は最低だ」


何とか言葉を絞り出した。

『そんなこと無い。私もさくもそんなこと思ったこと無いよ』


いつも強気な遥香の涙声に僕は強がるのを止めた。


『私は2人が仲良くないのは悲しい。だから明日、必ず仲直りしてよね!』


そう言われると電話が切れた。僕もそのつもりだった。

その日、さくらからのメールは来なかった。




登校日のホームルームの記憶はほぼない。とりあえず、宿題はちゃんと提出した。

昨日の後悔と今日の緊張が混ざって、今にも吐きそうだった。

それでも1つだけ確かな気持ちがある。

僕は数ヶ月前には戻りたくなかった。

遥香には背中を叩かれた。痛くはなかったし、少し緊張が解れた。

ホームルームが終わると、僕は図書室に向かった。

そこにさくらがいる保証はない。でも、何故か図書室に呼ばれた気がした。

図書室は相変わらずひんやりと冷えている。こんな日に残っている物好きは居ない。

本の壁を抜ける。そこで僕は定位置にいたさくらと目が合った。

さくらは無言で視線を外す。僕は慣れた手つきで椅子を移動させ、対面に座った。


「君なんて知らないもん」


さくらの目は少し腫れていた。

謝ると決めて来たはずなのに、なかなか言葉が出てこない。

視線を余らせたさくらは、窓の外の様子を眺めている。

僕は深呼吸をすると、言葉を強引に引っ張り出した。


「昨日はごめん。さくらを傷つけるつもりは無かった」


頭を下げる。さくらからの返答は無い。

恐る恐る頭を上げると、さくらは怒ってはいなかった。

怒ってはいなかったけど、不服そうな顔をしている。

「僕はまだ…どうしてさくらと出会えたか分からない。

…でもこれからそれを見つけたい。

…昨日は偶然なんて言って…ごめん」



謝るとは別ベクトルの恥ずかしさがあった。でも、もうさくらは不服そうな顔はしていなかった。

ふと、さくらの鞄の横が目に入った。そこには昨日忘れた僕の傘があった。


「私さ、残った宿題を今日中にやらないといけないんだよねぇ〜」


ちらちらと僕を見ながらわざとらしく言う。いつも通りのさくらの笑顔だった。


「分かった。一緒にやろう」


「答えを教えてくれてもいいんだよ?」


「それはダメ。ほら、やるよ」


さくらは鞄から宿題を取り出す。

冷えた図書室に響くシャーペンの音。2人だけの空間はとても居心地が良い。

昨日の雨が嘘かのように、今日の空は青く澄み渡っていた。



……To be continued

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