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サボテン



学生時代、私は人間関係に悩んでいた。


直ぐに他人と比べてしまう私は、本当の自分をひた隠し、劣等感を押し殺して生きるのに疲れてしまった。


そんな私を救ってくれたのは1鉢のサボテンだった。




「あ、まいちゅん!ばいばーい!」


高校生とは不思議な生き物だ。みんなキラキラしている。


「新内先生でしょ。気を付けて帰るんだよ〜」


でも、私は知っている。その輝きはメッキでしかないことを。

薄く延ばされたメッキの中には誰にも言えない悩みを抱えている。高校生とはそんな生き物だ。


私が彼女と出会ったのは、まだ寒さが残る3月だった。

校内には、春休みの扉が開かれた生徒たちの声で溢れていた。

そんな喧騒を抜け、階段を登る。扉を開けると、春の魔物に私の目が襲われる。

体質改善をしたとはいえ、花粉には手を焼かされる。

擦った目を開けると、そこには先客がいた。


「新内先生…」


久しぶりにちゃんと呼ばれると背筋が伸びる。しかし、私は彼女の名前が分からない。


「こんな所で何してるの?」


「…」


彼女は口を開かない。透き通った白い肌は空の青さを反映させていた。


「危ないわよ。こっちに来て」


意外にも彼女はすんなりと柵の外から戻って来た。


「こらっ」


震える彼女に近づくと頭を軽く叩いた。

名前は分からなくても、何をしようとしていたかは分かる。丁寧に並べられた靴がそれを自白していた。


「…」


彼女は俯き続けた。

こういう時は生徒指導室に連れて行って親を呼ぶのがセオリーだ。

でも、今日はそうじゃない気がした。

「紅茶とコーヒー、どっちが好き?」


チラリと目が合う。困惑していますと顔に書いてあった。


「…どっちも…飲んだことないです…」


高校生だから無理もない。いくらメッキを纏っていても、中身はまだまだお子様だ。


「そっか。じゃあ行こう!」


彼女の手を取ると、私は再び喧騒の中に戻った。

喧騒を駆け戻ると、彼女を私の城に案内した。

本来なら保健室は色々な薬品の匂いが喧嘩している。しかし、私の城には紅茶にコーヒー、それにお茶菓子だってある。


「はい、どうぞ」


テーブルに腰掛ける彼女の前にカップを2つ差し出した。

「右がコーヒーで左が紅茶ね」


透き通った白い手がカップを口に運ぶ。


「美味しい…」


紅茶を飲んでそう呟く。


「苦っ…」


コーヒーを飲んでそう呟く。コーヒーと言えばブラックよね。

その新鮮な反応が面白い。私が過去に忘れた物を彼女は今、手元に持っていた。


「大人に1歩近づいたね」


彼女にそう投げかける。それが何を刺激したのか、彼女の目から涙が溢れた。

それはメッキが剥がれた瞬間でもあった。

静かな保健室に啜り泣く声と時計の秒針の音だけが響いた。

時刻はあと少しで13時になる。


それから10分程すると彼女は落ち着きを取り戻した。そして紅茶をもう一口啜った。


「私…不器用なんですよね」


空のカップに紅茶を注ぐ。これは私専用の茶葉だ。


「周りのみんなが大人に見えて…

それに追いつくために必死に走り続けて…

でも、自分を押し殺して生きるのに疲れたんです。

それで気づいたら屋上にいました。

飛び降りる勇気なんて無いくせに…笑っちゃいますよね」


彼女は強ばった笑顔をみせる。また別のメッキを自分に纏っていた。


「笑わないわよ」


少しだけ声が大きくなった。彼女も少し怯えているように見えた。

あの日の自分の姿が彼女と重なる。



それからしばらく沈黙が流れた。

彼女は気まずそうに座っていたが、時折コソッと紅茶を飲むのが可愛らしい。


「あなた、花は好き?」


彼女はぽかんとしていた。私は空のカップにおかわりを注いだ。


「桜とか…萩とか好きです」


「どっちも綺麗なピンク色の花ね。

じゃあ、これはどう?」


私は窓際の棚から1鉢の鉢植えをテーブルの上に移動した。


「サボテン…ですか?」


鉢植えサイズの小さなサボテン。彼女は興味深く覗き込んでいた。


「この子はいつ咲くと思う?」


彼女は少し長く考え込んだ。白い眉間に皺まで寄せていた。

「1年くらいですか?」


真面目な彼女らしい、予想通りの答えに少し頬が緩む。


「残念。正解は…」


彼女の前に手を差し出して広げた。


「5年よ」


少し誇らしげに話す。彼女はまた、ぽかんと口を開けていた。

時計は16時を指していた。校庭の部活に汗を流す生徒の声が聞こえる。

「そんなに時間が…凄いです」


「そうよね。でもね、人間だって一緒なのよ」


「えっ…」


「さっき言ってたわよね、周りに追いつくのに必死で走ったって」


「…」


「隣で早く咲いている花は綺麗に見えるよね。

自分なんて…そう思うこともある。

でもね、あなたはあなたのペースで歩けば良いの」


彼女は静かに話を聞いていた。膝の上で握られていた拳が小刻みに震えている。


「あなたはこのサボテンと同じ。早く咲いた花が一番綺麗とは限らないわよ」


私の紅茶は既に冷めていた。でも、今は丁度良かった。



それ以上、私から言えることは無かった。これからを決めるのは彼女自身だからだ。

どれくらい経っただろう。彼女はカップの紅茶を一気に飲み干した。


「先生、ありがとうございました」


深々とお辞儀をし、彼女は保健室を後にした。


「ん…苦っ」


彼女が残したコーヒーを一気に飲み干した。



私が彼女に伝えたのは、私が恩人から言われた言葉の横流しだった。

それでも良い。その言葉がまた、彼女から誰かに伝われば尚良いな。

何に背中を押されるか分からない。ラジオのお便り、歌の一節、保健室の先生の言葉…。

1歩踏み出せさえすれば理由は何だっていい。


それから彼女が保健室に来ることは無かった。

あれから1年経つ。胸にコサージュを着けた生徒たちが校庭に溢れる。


「あ…」


友達と笑顔で話す彼女を見つけた。誰にも負けない、満開の笑顔だった。


「やれば出来るじゃない、もう…」


わざとらしいため息をつく。


人は誰しも、迷い、立ち止まる。他人と比べてしまうのは人間の性なのかもしれない。

でも、他人と比べる必要なんて無い。ナンバーワンよりオンリーワン、SMAPも歌っていたでしょ?

立ち止まるのは悪いことじゃない。そんな時には、こう思えば良いの。


“私はゆっくりと咲く花なんだ”ってね。


fin.

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