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後編



「史緖里!」



病室の扉を開くと同時に名前を叫ぶ。そこにはベッドの上に座り、何かを編んでいる史緖里がいた。



「〇〇…ここ病院だよ、静かに」


口に手をやる史緖里。声は震えていたがいつもの史緖里だった。


「でも、どうして?」


不思議そうな顔をする。遅れて来た美月が訳を話した。


「ごめん、私が〇〇に伝えた」


俯く美月に史緖里は優しく答える。


「そっか。今まで隠してくれてありがとね、やま」


今日の史緖里の言葉の節々には、風に揺れる灯火の様な儚さが見えた。


首を横に振る美月。俺も次の言葉を探していた。

「史緖里…その…」


真っ直ぐな瞳が俺を見る。


「あんなこと言ってごめん…俺、史緖里のこと何も知らなかった」


涙声の俺に史緖里が優しく頭を撫でる。手は白く華奢だったが、温かさで溢れていた。


「ありがとう、〇〇」


その言葉を聞いた時、俺の胸のわだかまりがスっと消えた。

「俺…野球また頑張るよ」


そう言った瞬間、史緖里の顔が今日1番の輝きを見せた。


「やっぱり〇〇は野球が好きなんだからぁ〜


それに…」


史緖里はベッド脇の引き出しから何かを取り出した。


「これ、覚えてる?」


手にしているのは汚れた軟式ボールだった。

「それは…」


俺はすっかり忘れていた。

いつもの思い出すあの思い出。

俺の野球を続ける理由には続きがあったことを。



それはレフトにホームランを打ち、史緖里が締めくくった試合の後の話。


俺は悔しくて悔しくて、泣きながら史緖里の前に立っていた。


「どうしたの〇〇?」


「しおり…おれ…グスッ…まけないからな…グスッ」


唐突な発言に史緖里は困惑しているだろう、そう思ってた。

しかし、史緖里は真剣な表情で俺の話を聞いてくれていた。


「わたしだって〇〇にはまけないよ。わたしたちライバルでしょ?」


日焼けした顔に白い歯が輝いていた。


「これ」


俺はそう言うとポケットからボールを取り出し、史緖里に手渡した。

「おれもいつかホームランうつから!もう、しおりにはまけないからな!」

何の変哲もないただの軟式ボール。

それは俺と史緒里との約束の証だった。



「私、まだホームラン見てないけど?」

痛いところを突かれる。イタズラな笑顔は変わらない。

「もちろん約束は守る。だから…

だから絶対に元気になれよな」

「もちろん。私だって病気なんかには負けないよ!」

その日から第2の野球人生が始まった。



1年後、場所は阪神甲子園球場


雲ひとつない青空の下、俺は甲子園の土を踏んでいた。


ブラスバンド、観客の声援がスタンドで鳴り響いている。


1点差で迎えた9回裏2アウト1、3塁。俺に打席が回ってきた。


大きく深呼吸をする。そして、ズボンのポケットに手を添える。

いつものルーティンで打席に入った。

打席に入ると不思議と音が聞こえなくなった。観客の声援、ブラスバンド、仲間の声、全てが耳から遠ざかる。


相手の投手と目が合う。そして互いに笑顔になった。


ピッチャーが腕を上げる。一瞬の出来事のはずが、俺には永遠にも感じられた。



カキーン



俺は迷いなくバットを振った。鋭い音が球場に響き渡る。


急に音が聞こえ始める。観客の興奮が入り交じり、打球はグングンと伸びていく。


打った感触は全く無かった。





カキーン


鋭い音が響くと同時に、私は思わずベンチの席を立ち上がる。


レフトに高々と上がったボール。そう言えば、初めてホームランを見たのもこんな感じだったなぁ。


その時はネット裏から見ていた。そして、打ったのは久保だった。


打った人も、打った場所も、全然違う。


それでも、あの日も同じことを叫んでいたと思う。

「いけ、届けーーー!」


机の上に置いてあった写真を握った。

打球はレフトスタンドに飛び込んだ。2塁ベースを回った〇〇は高く拳を突き上げている。

ホームでチームメイトに手洗い歓迎を受けた。その目には光る何かが見える。

「全く、男のくせに…情けないぞ…」


机の上のスコアブックの文字は私の涙で滲んでいた。



手にした写真を抱きしめる。試合終了のサイレンが鳴り響いている。



写真を持ったまま、ベンチ前に立つ。

夏の日差しが眩しかった。



ホームを踏むと皆が一斉に駆け寄ってきた。


逆転サヨナラスリーランホームラン。俺の初めてのホームランは最高の結果になった。


ベンチを見ると美月が涙を流しているのが見える。


史緖里、見てるか。これで約束は果たしたぞ。



空を見上げる。試合終了のサイレンが鳴り響いていた。

fin.

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