「好きなことがしたい」はやめましょう

熊です。

子供の教育に関して、
NOTEでも実社会でも、
「好きなことをさせる」という風潮ができている。

今日も満身創痍になる覚悟で話します。


「好きなことがしたい」


これからの話はまず大前提として、
嫌いなことを行うと健康に悪影響を及ぼす場合や、
嫌なこと/不当な行為をされた場合は
この限りではありません。


子供は好きなことがしたい。

熊は商売したいわけではないので、
誠意を持って本音を伝えたい。

人間は都合の悪い話を少し改竄する習性がある。
他人を騙すというより自分を騙したい。

「好きなことがしたい」
もしこれを言われたら、
熊は「で?」って返すかも。

🐺チワワ「クズやん」

何故かというと、熊からすると
「私は好きなことがしたい」は、
「私は酸素が必要」と同じように聞こえる。

好きなことがしたくない人間は居ないよね?

言っても言わなくても一緒だ。
じゃ、何故言ったのか。
というか言いたいのは本当に「これ」か?

「好きなことがしたい」はナンセンスだが、
二文字を足して、
「好きなことだけがしたい」にすれば分かる。

「好きなことがしたい」と
「好きなことだけがしたい」は、
全く別の意味を持っている。

何故後者のままで言わないのか?
何か後ろめたさを感じたのではないか?
それでも言ったのは何故なのか?
誰に対しても言えるのか?
わがまま聞いてくれる対象だけに言うじゃないか?

鬼熊

子熊の頃は食いしん坊のくせに、
食べ物の好き嫌いが激しかった。

母熊は子熊に「これ嫌、あれにして」と言われ、
子熊に翻弄される日々だった。

やがて母熊は父熊と相談し、鬼になった。

🐻子熊「この野菜嫌い、あげる」
🐼母熊「だめ、ご飯を全部食べるか、全部食べないか」

🐻子熊「何!?他のやつは食べられるけど」
🐼母熊「全部食べられるものだよ」

🐻子熊「好きじゃないものは食べたくない。泣くぞゴラ
🐼母熊「ファイナルアンサー?」

🐻子熊「・・・・・・・。
    (静かに好きなものを取ろうとしている)」
🐼鬼熊「はい、撤収〜〜〜
    (子熊のご飯が回収された)」

🐻子熊「!?!?!?!?」
🐻子熊「・・・・・・・・」
🐻子熊「ピエーーーーーーーーーーーーン!!!!」
🐼鬼熊「泣いてもあげないぞ。
    一食抜く程度で健康に何の影響もないから」

🐻子熊「何を食べるのかは本熊の自由じゃん!!」
🐼鬼熊「それは自分で稼いで、
     自分で買い物して、
     自分で調理する人が言う言葉だ」

🐻子熊「子供にご飯あげない親なんて居るもんか!!」
🐼鬼熊「居る居る。
    法的に健康に支障をきたさなければ、
    全部母さんの自由だ」

🐻子熊「むっ・・・」
🐼母熊「今後はこのルールを徹底する」

🐻子熊「食べられないものを何で強制するの?」
🐼母熊「人間は一週間も食べていなければ、
    木の皮でも剥いて食べ始める。
    母さんのご飯は木の皮よりマシだと思う」

それから文句を言ったら、
ご飯が撤収される日々がしばらく続いてた。

子熊の観察だと、
三食のうち二食は好きな食べ物だけで構成され、
一食だけゴミが仕込まれているので、
確かに健康に影響はない。
優しいじゃねえかクソ涙🐻

そして、
「ギャン泣き」作戦
→無効、余計腹が減る

「父熊助けて!」作戦
→母熊に逆らうと、
 お小遣いが減らされるという理由で拒否された

「学校の先生に告げ口」作戦
→自分に非があると分かってできない

もう・・・食べるよ。
好きなもの3:嫌いなもの1で食べるとか
嫌いなものを刻んで高速で食べるとか
テレビを見て気を逸らすとか
もう・・・食べたよ。

そして自力で金を稼ぐようになって、
買い出しも料理もするようになった今、
偏食に困ったことがない。

多様性を知らない

その都度の子供の気分に影響されると、
子供の将来性を殺してしまう。

「子供を理解している、尊重している親」
というイメージを過度に意識すると溺愛につながる。

好きなことだけする人は、
・極々一部突出した才能を持ち
・そういった才能に合う職種が存在する時代に生き
・その才能を認めてくれる人が居る
・安定した収入を得られる
といった条件が揃っている場合だけやっていける。

「いやいや、子供には夢を見せろよ」
と言う人も居るだろうが、
夢と幻の区別も付かんのかい?
夢は現実の意思決定に役立つ場合もあるが、
夢遊病になったらやばいぞ。

自分の能力特性と、
社会的需要と、
費やす犠牲を見極めないといけない。

熊は子供に
「前を見る勇気」
「最悪に備える勇気」を持ってもらいたい。

「いやいや、多様性、多様性」
と言う人も居るだろうが、
君たちこそ世界の多様性を殺しているのよ。

嫌いなことがあっても、
その先をまず見てほしい。

そうしないと、
人生はずっと嫌いなことをする/しない、
という二択に囚われる。

「嫌いなことの先」にしか存在しない「好きなこと」もある。

これは失敗を含めて、
様々な選択を経験してきた大人が伝えるべきこと。

好きなことをする人生は幸せだ。
好きなことをしている時はその瞬間に集中しよう。

好きなことだけをする人生は不自由だ。
人生はずっと何かから逃げるしかないから。

人生は、
その瞬間その瞬間に現れた選択肢から選ぶことである。

場合によっては、全ての選択肢が気に食わない。
じゃ、どれも選ばなくて良いのか?
その選択肢の先の人生を見ずに諦めるのか?

感謝を知らない

6畳1Kに一家兄弟含む全員と暮らせば、
高校から働きに行かないと餓死するかもしれない。

結局、引きこもれるのは、
親が自分を養う金を持ち、
何をしても見捨てられない卑怯な心理があるからだ。

親が居なくても、失業手当はあるし、
何らかの精神疾患の証明を貰えば障害手当もある。
サボってる精神科医はいっぱい居るから簡単です。
特に発達障害の診断はコツが分かれば誰でも取得可能です ※ガチ

この社会は、
誰も愛していない、
他人の愛も理解できないモンスター
を育てたいのか?

責任を知らない

何故、社会に居る全員が
「好きなことだけがしたい」
という人生を送れないのか?

これを考えたことがあるのか?

何故、そういった社会を、
完全ではなくでも、
少し近い形で実現できるように行動しないのか?

皆が考えないから、
皆が自分さえ良ければいいと思っているから、
こうなってしまったのよ。


様々な支援者が溢れている時代では、
綺麗な言葉には気をつけよう。
この世界は綺麗な部分だけじゃないから。

人の言葉の真偽には気をつけよう。
話していることが事実かどうかと、
話した本人が本当に理解しているかどうかは別です。
読むぐらいなら誰だってできるから。


ではでは🐻

お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻