場況判断

麻雀では場況が良いとか悪いという言葉を耳にする。
しかし手組においてこれってどう活かせばいいのだろうか?
平面判断と場況判断が割れたらどっちを採用するのか?
そもそも場況って何なのか?
少し考えてみよう。

序盤に捨てられた「1」に対する評価

概念的な話より具体的な話をしてみよう。

スクリーンショット (95)

上記の画像は筆者の実戦譜である。
ここから何を捨てるだろうか?少し考えてみてほしい。
平面的にも色々ありそうだがまあ普通に手を見れば1p2pを切る人が多いだろうか?
では場を見てみる。この時通常より3pが山にいそうだと考えた人は中々できる人かもしれない。1pを序盤に切った相手は2pや3pを持っている可能性が低くなると思われるからだ。序盤に切る牌は孤立牌であることが比較的多くその場合周辺の牌は持っていない理屈になる。
無論例外も結構あるのだが、このような論理判断が一般的に場況判断と言われるものの一つではないだろうか?
下図が相手の実際の手牌である。この瞬間3pが山に良さそうという感覚は悪くないと思える。

スクリーンショット (96)

ちなみに筆者はここから2pを切った。
理由は2つある。
24sとの比較になるかと思うのだが、雀頭が無く6778mの形が2面子見込める形のため縦受け枚数の差とタンヤオへの渡り、5sの受け(赤含む)で24sの方が価値が高いと判断したことが1つ。
もう1つはこの3pが良いという情報は未来確認不可情報だからである。例えば、14pから1pを切る代表的な形でこの後3pを自模った時は手牌に組み込まれることになる。この瞬間は持っていない可能性が高くても将来3pが他家に行って枚数が減ってもそれを確認できないということである。

序盤に捨てられた「2」に対する評価

先に未来確認不可情報とかいう造語をブチかました。では未来確認可能情報はあるのか?と考えるのはごく自然である。

スクリーンショット (99)

こちらも私の実戦譜から。先の論理でいくなら上家の2pは孤立牌なんじゃないか?という疑いが持てる。また対面が1pを切っている。
所謂自身の2pの周りを引くと「場況が良いターツ」ができそうで特に3pを引いての14p待ち(特に1p)はとても良さそうに見えるという話になる。
そしてこの1pって場況いいよねが上家に対して未来確認可能情報となる。何故なら推測が正しいなら上家はこの後1pを自模った時要らないので捨てることになるからだ。捨て牌に出るということは確認できるということである。
また対面も手牌に1pを持っている可能性は低くなっており、またこの後1pを持ってくれば切ってくれそうである。つまり対面にも1pは未来確認可能情報になっていると推測できる。

スクリーンショット (100)

上記が実際の手牌である。繰り返すようで申し訳ないが例外は無論ある。ただレンジに濃淡が付くと考えて頂ければよいのかなと思う。
上記のことを体系化っぽくすると
「序盤の内側は未来確認不可情報」
「序盤の外側は未来確認可能情報」

となるかと思う。
序盤の外が無筋の中で比較的安全度が高くなるという守備技術の原理もこういう読み筋の応用である。
何度も繰り返すが絶対じゃないからね。

平面判断と場況判断の比較

では平面判断で良い選択と場況判断で良い選択が異なった場合どうするのが良いのだろうか?
当然両方の選択の「良さ」を定量的に比較できればいいのだがそれができないから迷うわけでこれは答えになっていない。両者を比較してこちらがいいと思う選択があるならそちらを採用して問題ない。

私は迷ったら平面判断を優先することをオススメする。
普通の人は平面判断のほうが判断精度が高いからだ。場況判断は難しくまた判断が推測であるため定量的に「良さ」を測り難い。
平面判断による選択Aを覆すためには場況判断による選択Bはそれを超える利得が無いといけないのだが仮にあったとしても差分の損でしかなく大損はしないというのが私個人の感想である。
「いや、それは逆もいえるんじゃね?」と考えられた方はよく考えてこの記事を読んで下さっていると思う。しかし場況判断というのはその選択をすごく優位にすることは少ないというのが私の見解と考えて頂きたい。
つまり平面判断を優先してミスするのと場況判断を優先してミスするのでは後者の方が大きなミスをしやすいというのが私見である。
もっと言うと不確定情報は確定情報より価値が低いという主張に変えてもいいかなと思う。

場況判断の活用

基本的に場況判断は平面判断において等価の選択に用いると良いと思う。これなら場況判断取り入れたら弱くなったという事態を回避できる。その先は経験や研究を重ねて「これは平面判断に勝る場況だ」と自信が持ててからの採用でも遅くはないはずだ。

場況判断は「読み」の一種でありこれを読み解くのは大変だ。上記は説明し易い簡単な例であり高度になるほど難解になる。それなのに高度になるほど勝率貢献度は下がり他の技術に比較するとその労苦に報いるほど勝利に貢献してくれないように感じる。
困ったことに人間というのは苦労して得た情報に対して実際以上の価値を感じやすいと思う。「こんなに頑張って得た情報なんだから活用したい」と考えてしまう。結果苦労してミスするという悲しい事件がおきる。
さらに言うと「読み」を駆使して成功すると目立つしかっこいい。だからついやりたくなってしまう。
でも勝利は多くの場合地味な積み重ねの上に築かれると思う。読むなというのではなく平面判断を軽視しないようにしたいものである。

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